悪役令嬢ランナウェイ その20

 空間を支配していた流れは、瞬きの間にカトレアが取り返していた。更なる棘と軋みを重く含んで。


「雑草というのは不思議なもので幾ら抜いても、時間を置くとまた生えてきますの。処理が大変だと庭師もよくぼやいていましたわ」


 朗々と語る。淀みも焦りも緊張もない。お茶会をしているかのような軽やかな口振り。芹が語っていた先ほどまでの張り詰めた声とは正反対。それが、気味の悪さを助長していた。


「ならば、土を丸ごと入れ替えましょうか。いいえ、それでも尚足りない」


 背筋を伸ばして座っていたのに力が抜けて、姿勢がほんの少しだけ悪くなる。そして、これ見よがしに脚を組む。偉そうに、見下しているように。


「時が流れれば結局は同じ。その内、荒れ果ててしまう。それが十年か五十年か、はたまた百年かの違いだけ」


 ふるふる、と首を左右に振るうカトレア。誰も声を挟めない独壇場。どうしようもないほどの一人芝居が、石造りの床に跳ね返ってよく響く。


「となれば簡単な話です。石を敷き詰め、要らぬ草木の生えぬ土壌を築く。次に、朽ちぬよう、自浄作用を土壌自体に持たせれば良い。己が土壌は己が手で維持。頭が腐ればすぐに別の頭が取って代わる。間違った頭が大きく道を違えぬよう権力の一極集中の排除」


 声が響く。言葉が突き刺さっているのは王子達よりも、芹。

 カトレアの口から出るはずのない政治の仕組み。思想自体はこの世界にもあるかもしれない……少なくともこの国は完全な王制。民主主義的な要素は存在しない、テンプレート的な中世イメージを下地にした国。


「民による民のための政治と権力の分立……一先ず、わたくしが生きている間に、この政治基盤を作り上げますわ」

 


 伝わってくるのは、カトレアの歓喜。

 カトレアは想定外過ぎる事象には見舞われた混乱以上に、この国どころか他国すら及ばない社会構造知識に触れた。今の弱っていくだけの国を立て直す、打開策が見えなかったカトレアにとってこれ以上の贈り物は存在しない。

 目の前に、一つの解答が転がり込んできた。正解不正解は兎も角、停滞を打ち壊す起爆剤にはなる。


「当然、国民全ての意見を聞くのなんて不可能ですから代表者を選出して、民の中から投票を募ることで複数の代表者となっていただき、政を執り行っていただきましょう」


 止まらない、止めさせてなるものか。

 芹にさえひた隠しにしていた感情が雪崩れ込む。苦し紛れの悪魔召喚ではない、ハッキリとした将来像が描ける。芹という異物の知識を得た瞬間から、カトレアはプランを作り直していた。


「とはいえ、どう公平且つ不正をなくすかや、能力があると判断するかが問題ですわね。これでは識字出来れば御の字の平民は結局活躍の場がない。暫くは、能力のある貴族で急場をしのぐ必要がありそうですわね……なにより、この思想を浸透させることこそが最大の壁」


 民主主義。少なくとも、カトレアが今、この場で言っている民主主義は、義務教育レベルの社会知識を引き摺りだしている。異物の影響を一番受けたのは、誰よりも葛代芹の近くに居たカトレアという当たり前の話。


「今述べたのはただの素案、とも言い難いほど粗い内容ですが……少なくとも、貴族という特権階級こそが国の病巣なのは学園に通ったことで確信いたしました。故に、一刻も早く取り除く必要がありますわ」


 カトレアは本気でやる。たとえ、独りになったとしても葛代芹という人間から得た知識を活用して、死ぬ瞬間まで止まるつもりがない。

 いや、自分が死ぬことすら勘定に入れている。


「わたくしの一生をかけても、間に合うかが分からないのが見えてきましたので、実行に移したまで。迂遠なやり方では時間が掛かる上に決定力に欠ける……必要なのは劇薬。それに気付いたのです」


 国の成り立ちも歴史も違う。

 カトレアだって本気で適用できるとは思っていない。あくまで、すぐに実行でき、尚且つ有用性の高い手のみを選択。

 究極的に言えば、手段はなんでもよかった。先細りする現状体制の打破が最重要課題に他ならない。


「安寧と平穏に背を向け……尚、進まなければならない時が来た」


 手を伸ばすカトレア。静かな声を一皮剥いた先にある、魂まで焼き付くような焦熱。道の先に名誉がなくとも、誇りが残らなくても歩みを止めない。


「さぁ、わたくしとともに四肢が散っても這いつくばり骨の一片までを、この地へと捧げましょう」


 カトレアは止まらない。強固な意志で芹による干渉を全て撥ね除ける。

 今のカトレアが正気か狂気か、誰にも判別がつかない。ただ一人、芹を除いて。


「その手を取ることは出来ない」


 それでも、カトレアは拒絶される。

 発動される魔法。否応なしに持って行かれる、芹の精神力。


「有能な若者は必要ですが、反抗の御旗は不要」


 再び風鎧という外付けの膂力を纏い銃を構える。


「他国よりも劣っているとしよう。貴族が停滞を良しとしているとしよう……だが、強引なやり方では、侵略されるよりも先に自壊するのが目に見えている。少なくとも今の平穏は民の血に濡れる。間違いなく内乱が起きると、分かっている筈だ」


 クレィス王子には少しの怯えもない。つい先ほど銃の威力を見せたばかりだというのに、瞳を逸らさず頑なに告げる。


「流れる大多数は腫瘍である貴族の血。多少の歪み、痛みは生じようとも、すぐに持ち直すでしょう」


 組織の形、国の在り方を変えようとして、万事上手くいくことはない。

 荒れようと歪みがあろうと押し潰されぬ強固さが今、必要なのだ、と。


「カトレアさん、それじゃダメ。間違っています」


 ずっと黙っていた、無力な少女……リーナが、ハッキリ、拒絶の声を上げた。

 どれほどカトレアの中に確立された道理を説いたところで、クレィス王子が、ノールドアが、国王が、公爵が……そして、リーナは受け入れることはない。


「国は一人では作れない。皆で築き上げるものでしょう」

「当然。だからこそ、有用な者を選別することによる、更なる発展が急務であると」

「なら、どうしてカトレアさんは一人なんですか?」

「……」

「誰も信頼することない人が……上から勝手に不要だと判断を押し付ける人が、より良き国を作ることが出来るとは思いません」


 少なくとも今よりもマシには出来る。

 浮かんできた言葉を、カトレアは喉元で押し込めた。

 『今よりもマシ』そんな、妥協と言い訳に満ちた逃げ腰な理想なんて、最も唾棄すべき思想。カトレアが何より忌み嫌う日和見主義の戯れ言を、口に仕掛けた時点で……この場の趨勢は傾いていた。


「貴族を不要と切り捨てる理想を一部の民は支持するかも知れません。けれど、それじゃきっと理想に準じない国民すらも見捨ててしまいます。世界は、人は、カトレアさんほど高潔な理想を抱いて生きていけるわけじゃないんですよ」

「違います。能力がある者に、能力を発揮する場を整えるだけですわ」

「使えないと、貴族を切り捨てるカトレアさんは、いずれ能力が無い民すらも切り捨ててしまう」


 リーナに同意している芹が居る。カトレアの吐く言葉は確かに強い。強いけれど……中身が伴っていない空洞みたい。能力主義、貴族思想の排除……民主主義、権力の分立、技術改革……理屈の上で並べているけれど、響かない。

 理想主義の現実派。芹が触れたカトレアはそういう人物。理想に準じた御託を並べるだけ並べて終わるような性質じゃないハズなのに。


「人は石垣、人は城、人は堀……民がいるからこその国。無能な権力者を剪定するだけ」


 また、人の知識を勝手に引用してくる。二つの意識が一つに入っているからなのか、互いの知識はカフェオレのように混ざり合っている。


「有能だとか、無能だとか……見下ろして決めている人に、民のための政治はできません!!」


 会話は平行線の押し問答。芹となず先輩の目的を考えれば、悪魔を送り返す魔法をキーレルが発動する時間や動機を与え、誘導しつつ立ち振る舞えばいい。

 だが、カトレアはそうではない。芹たちが消えた後もこの世界で生き続ける。見届けることはできない。芹という異物が消えたら元の令嬢に戻り、魔法ブーストは使えない。何より、なず先輩というジョーカーが手元から去る。


「そもそも、民を守れなければ国は成り立ちません。あなたのそれは、恋愛や友愛の延長線上。わたくしのいう国政は生存競争……その優しさで、民は守れますか? なら、この場で、見せてください」


 空気が割れ、鼓膜に叩きつけられる炸裂音。

 腕から肩を抜ける衝撃。つい先ほども感じた規格外の反動。


「ガッ……!?」


 銃口の先に居たクレィスが一瞬くぐもった声を上げると同時……血を吐き出しながら、膝をついた。


「外してしまいましたわね」

「貴様ァ!!」


 再び、炸裂。激高し矢のように駆け出した騎士の片脚が後方へと吹き飛ぶ。鉛の圧縮台風は貫くどころか膝を引きちぎった。片脚を失ったノールドアは文字通り、地に足をつけることが出来ずに、石畳の上を滑り血を撒き散らす。


「クレィスさんっ!? ノールさん!?」


 裏返った声による悲痛な叫び。リーナは座っていた椅子から立ち上がり駆け寄っていく。自分が人質だっていうことすら、頭から吹き飛んだみたいに。


「治癒術士はいないのかっ!? カトレアっ、貴様のやり方は蛮族と変わらんっ。気に入らなければ排除し、力で押し通すだけの獣の道理だっ。そのような、愚かな娘に育ちおったか!! 公爵家の娘ともあろうものが!!」


 王様と王妃は、クレィス王子に手を当てて魔法による何らか処置を行っているけれど、一向に改善の余地はない。即死ではないにしろ間違いのない致命傷。多少の治癒魔法なんて焼け石に水。


「ち、血が、足がっ……このままじゃ二人ともっ……!!」


 場内に響く悲痛な声。どうしてだろうか……良心の呵責よりも前に、違和感が走り抜けた。


(これって……)


 カトレアが容赦なくクレィス王子やノールドアを撃ったことに対する驚きよりも……まるで、この場を俯瞰的に見下ろしているみたいな感覚が芹を満たす。


「二人とも、死なせませんっ。絶対に、助けますから!!」


 その正体は、既視感。腹部に穴が開いたクレィス王子、片脚を失ったノールドア。


(ゲームで見たシーンと、ほとんど同じだ……)


 それは作中で悪魔が初登場したときに、主人公たちを襲った圧倒的暴力と同じ傷。


「絶対に、助けますっ。この命に代えても……!!」


 止めどなく血が溢れる王子の腹部に出来た銃創を両手で押さえながら、涙を流すリーナ。手に込められた魔力。治癒魔法を直接かけている手がぼんやりと薄明かりを点す。

 ただの小市民である芹の心が痛まないのは、この先を知っているから。カトレアの内側から見る景色は、臨場感満点の映画のようで。


(……カトレア、何がしたいの?)


 国の在り方を変えるのが目的。ハッタリでも他国に劣っていると焚きつけるという手段で。けれど今のカトレアの行動は、その目的に向かっているようには見えない。

 リーナの手の淡い光が徐々に大きく、輝きを増す。儚かった白は、夜そのものを染め上げるような山吹色へと昇華。

 同時、死を待つだけだった王子の出血、呻き声も消え……苦悶に満ちていた表情は、穏やかさと驚きで染められる。リーナは自分の身に何が起きたのかは分かっていないにも関わらず、山吹の光をノールドアに向ける。

 千切れたはずの足は光に包まれ、瞬く間に何事もなかったかのように元通り。

 解呪だけではない治癒を越えた再生。伝説の中にあったような聖女としての本当の力。

 細かい設定を抜きに要約すると聖女の力を十全に発揮する鍵として、一定量以上の王家の血が必要。ただ、長い歴史の中で教会と王室の距離が離れたり近づいたりしているうちに、伝承が断絶され中途半端に継承された。

 覚醒した聖女の力は伝説と言われるだけあって、結構デタラメ。もっと言うとご都合主義な側面を詰め込んだ魔法。


「……誰も、死なせませんっ」

「ならばあなたから始末するだけですわ」


 たったの一分足らずで致命傷の二人を傷跡一つ残らずに治癒したリーナ。柔らかな黄金を纏いながら一歩前へ歩み出た。悪魔という圧倒的暴力に対するアンチテーゼ。それが、聖女の役割。

 完全に回復した二人はつい先ほど、何の抵抗も出来ずに死にかけていたというのに、再び武器を握ってリーナの前に歩み出る。今し方、三途の川を渡りかけたにも関わらず、戦意は衰えていない。


「そうはさせません」


 声と同時、空を裂き降り注ぐ氷の矢。咄嗟、身体に纏っていた嵐を強めてそのすべてを打ち砕く。カトレアが。


「……待たせすぎだ」

「申し訳ありません……旧宝物庫が楽しくて、つい」

「この緊急事態に何をのんきなこと言っているんだ……目当てのものは見つけたんだろうな?」

「当然です……リーナさん、受け取ってください」


 真っ直ぐと、リーナの手元に一冊の古めかしい羊皮紙で出来た本が放り込まれた。

 天井、遙か空まで空いた穴から降り立ったのはキーレル。主要キャラでの立ち位置はブレーン。純粋な魔術師としてはダントツ。近接戦に持ち込ませないという後衛の黒魔道士的なタイプ。そして、一番の便利キャラ。

 そんな彼のことだから、旧宝物庫にさえ行ってしまえば、送還魔法を引っ張り出してモノにしてくれるだろうという、相手任せの作戦。

 ぼそぼそとリーナに耳打ちをしているキーレルに、心の中でガッツポーズ。方法として一番確実なモノで、最短ルートで対策してくれるのが、芹たちにとっての最短ルートでもある。


「葬送彼方なる楔の君、罪知らぬ棺に滲む澱――」


 ゲーム本編ではついぞ聞くことのなかった送還魔法。それが、芹たち……いや、なず先輩に向けられている。

 それしか方法がないのだから……と突っ走っていたけれど、本当に上手くいくだろうか。もし、悪魔の跳梁跋扈する世界にそのまま送られてしまったら、状況は最悪。死は避けられないほどに。

 それなら、たとえ世界が変わろうとも、この世界でなず先輩と生きていく方がずっと……マシなのではないだろうか。

 ベストではなくても、ベター。

 そんな弱腰の自分は、とっくに捨てた。

 別にいい。なず先輩と突っ走るなら、地獄だって構わない。死んだって後悔しない。

 自分の手で選んでここまで来たのだから。

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