先輩後輩ロマンシス その16

 パチリ。目が覚めた。ボーッとする頭。寝起き特有の曖昧とした意識。曖昧な状態にあっても、どうしようもない違和感。なんというか、寝る前の記憶が無い。違和感を辿っていって、正体に気付く。そもそも、寝たという記憶自体がない。

 布団に入って、おやすみなさいをした記憶がないにも関わらず、ふかふかのベッドの上に居る。薄ら薄らと、未だ夢と現実の間を歩いている自意識を引っ張り上げる。

 ゆっくりと深呼吸をして、曖昧な自分に形を持たせる。ぼやけていた頭は少しずつ鮮明になり、喉元で引っかかっていた言葉。その言葉の意味、誰を指しているのか、そもそも本当に人名なのかすらも分からない。けれど、張り付いて、こびり付いて離れない。

 一先ず、スッキリするために、声に出して、吐き出した。


「なず先輩」


 びくりっ。身体が跳ねた。周りに誰かが居るわけでも、ましてやオバケや幽霊なんてのが居るわけでもない。だと、いうのに、全く知らない声が聞こえてきた。


「あ、あー……あー、テステス……あぁー」


 まさか、ありえない。冷静な部分が諭してくるけれど、確認のために何度も出した声。

 この、誰のものかわらかない声の正体は、自分自身の声帯。一言、二言呟く度に、自分の喉から他人の声がするモノだから違和感が尋常ではない。


「んっ、んぅっ」


 咳払いを一つ。それですら、聞いたことのない音色をしている。

 一気に覚めた頭、それから視界。見えるモノ全てに、困惑。今の心境は、たった一言で全てを表してしまえる。


「ここ、どこ……?」


 ぼそり、呟く。品のある凜とした声は、小さな声であっても暗い部屋によく響く。身体を起こすと、サラリ、頬に掛かる髪。


「えぇー……」


 ごくごく普通の女子高生。どこにでもいるような髪色が、町を歩けば誰もが振り返るような輝かしいブロンドに染まっている。

 尋常ではないロングヘアだというのに、サラサラで枝毛の一つすら存在していない。



「なにが、どうなってるの……?」


 それから、訪れた混乱は声と、髪だけに留まらない。今、自分が寝転がっているベッドには天蓋付き。それから薄い上等そうなヴェールで覆われている。ベッドサイズなんて、キングサイズよりもさらに大きい。四人くらいまでなら余裕で収まりそうな大きさ。こんなベッドで横になった覚えはない。そもそも、いつも眠っているのはベッドでは無く布団だ。

 ヴェールの向こうに薄らと見えるテーブルやドレッサー。部屋の調度品の一つ一つが、生まれてこの方、見たことないような意匠が施されている。根が庶民ということもあり、見ているだけで疲れる。まるで、夢の国に併設されているホテルの一番いい部屋に泊まっているみたい。生憎と、本当に泊まったことはないけれど。


「よっこいしょっ、と」


 涼やかで芯のある声で、おじさんのように言葉を溢す。大きすぎるベッドから這い出て、立ち上がる。案の定、着ているモノも、部屋と同じように高そうで、細かすぎるレースなんかが施されたネグリジェ。

 一つだけ灯されている光源が、蝋燭だというのも、部屋の雰囲気作りに一役買っている。上を見上げてみれば、やたらと高い天井。この、天井の高さが、妙な落ち着かなさを加速。ついでに、床一面に敷かれた、カーペットもフワフワで上等。このカーペットだけでも、家の布団より眠れそうだった。

 ゆっくりと、歩いて部屋の中を歩き回る。例えば、誰かをもてなすようなテーブルセット。上質な白樺を熟練の職人が一つ一つ手作りしました……と、聞こえてくるように、手が込んでいる。実際にコレが白樺か、手作りなのかどうかは分からない。少なくとも、そこら辺の既製品ではない。


「うぅ……思い、出せない」


 どういうワケか、自分自身の名前が思い出せない。けれど、全てが全て思い出せないというわけでは無い。自分が現代日本人だということは覚えているし、こんな豪華絢爛な部屋とは無縁の生活を送っていたことも覚えている。ただただ、個人に関わる記憶のみが、曖昧模糊、ぼんやりふんわり、うろ覚えにしか思い起こせない。

 女子高生だということは憶えていても、どこの高校に通っていたかは思い出せず。庶民だということは染みついていても、家族構成は浮かんでこない。と、言った具合に、情報がマクロからミクロになればなるほど、記憶の棚には二重三重に鍵が掛けられたように開かない。ただ、少なくとも、今の状況が特異過ぎる状況だと感じるような環境に居たことは疑いようもない。

 特異だと理解しているにも関わらず、妙に感じる既視感。それらが合わさって、今まで生きてきた人生の中でも、頭二つ抜けて、不思議な感覚だった。


「肝心の人生の殆どが思い出せないんだけど……」


 義務教育を受けたことは憶えているし、この間まで中学生だったことも憶えている。けれど、その記憶全てが、まだ保育園に通っていた頃の記憶のような、手の届かない、モヤモヤに変わっていて、気持ちが悪い。

 ふらふらと、歩いていると、大きな姿見が一つ。真っ直ぐと、姿見の前へと歩を進め、仁王立ち。


「……誰?」


 髪の色は、百歩、いや千歩くらい譲れば、寝ている間に誰かに染められた。と、言えば、なんとなく納得は、出来なくはない。ついでに、この状況も、一般人向けのドッキリです……と、こじつけた理由は並べられる。

 だけれど、姿見に映った自分自身の姿は……殆どがモザイクの掛かっている記憶と比較しても、ハッキリと違うと言い切れるほどに、別人。


「目の色なんて、もう、ゴールデンじゃん……」


 金色琥珀の瞳。膝裏まで届く長い長ーい透き通るブロンド。モデルのようなすらりとした脚。背丈はともかく、線の細さ、華奢さは見ていて不安になるほど。

 眼、鼻、口……なんだったら、耳の形まで、記憶とは違う……気がする。目の前に、別人が立っているようにしか見えない。

 試しに、右手を挙げる。目の前の高貴で高飛車そうな美少女が左手を挙げた。追って、左手も挙げる。美少女も右手を掲げる。くるりと回って、投げキッス。

 生活するのにも不便そうなスーパーロングの透き通る金糸がぶわり、ドレスのように舞う。キラキラと煌めきを幻視。

 対面の美少女に投げキッスをされて、思わずたじろぐ。美少女が過ぎる。


「高笑いとか似合いそう……こんな感じかな」


 目元がキリリとしているものだから、どこか冷たげに見える表情。ふやけた表情を引き締めて、腕を組み、片手の甲を口元へと添える。


「オーッホッホッホ、とか、言ってそー……」


 本当に言っているかどうかは分からない。ただ、駅前でアンケートを採ったら百人中、九十五人は『言ってそう』に票を入れる、と思う。


「うーん……なーんか、知ってる、ような」


 知り合いにこんな人は少なくとも居ない。けれど、頼りない記憶が、微弱な反応を返してくる。テレビとか、ネットで、見かけたことある……それくらいの、弱々しいレスポンス。


「……気持ち悪い」


 思い出せないこと。今の状況が理解できないこと。その、どれもこれもが、気持ち悪い。家族が居るのかどうかも思い出せないから、そこに対する心配も出来ない。怖がるような記憶に全部蓋がされているような感覚が気持ち悪くて仕方ない。

 いっその事、変な夢であって欲しいとの想いも込めて、頬を抓ろうとする……が、姿見に映る美少女に危害を加えるのが憚られてやめた。せめてもの、確認と、手の甲をペシッと叩く。しっぺ。

 微妙に反応する痛覚。


「多分、夢じゃない、かな?」


 いつか、どこかで聞いた話によると夢には痛みがない……のだそう。頼りない知識を頼りに、現状判断。

 改めて部屋を見渡す。広いとは言っても、一室。部屋の探索は、それほど時間をかけることなく終了。細かい装飾を一つ一つ見て回ったらそれだけで、時間は潰せそうだけれど……夜なのか、光源が足りない。このまま、部屋に籠もっていても埒があかない。開き直って、唯一の扉に向かってズンズンと進む。

 真鍮か、金で作られている、何らかの動物が象られたかのようなドアノブに手を掛ける。鍵の掛けられていない、木製扉が、静かにゆっくりと開く。

 ドアの隙間から顔をひょこりと、出す。


「あっ」



 目が合った。薄暗くて、何処かも分からない屋敷。その中で、部屋の扉横に控えるように、誰かが立っているものだから、背筋に冷たいモノが走る。


「如何なされましたか?」


 ホラー映画顔負けの状況に顔を引き攣らせていると、その誰か、が話し掛けてくる。よくよく見てみれば、衣服はホラー感はあまりない。どちらかといえばコスプレを連想させるメイド服。一つだけコスプレとの違いを挙げるとすれば、やたらと所作が楚々としていることだろうか。


「え、あっ、いやー」


 誰かが、何処かに、居るだろうか。そんな考えは確かにあったけれども、部屋を出た扉の真横に居るなんて、想定外。多分、これは偶然なんかじゃない、のだろう。


「散歩、的な?」

「てき、な……とは?」


 薄暗いけれども、マナーとか、礼儀とかが端々にまで行き届いているメイドさん。一体、どう説明したモノか、と悩んでいると、メイドさんの表情に陰りが差した。


「カトレアお嬢様、明日は第一王子との婚約の正式発表の日です。何かあっては、お身体に障りますので、お戻りください」


 深々、と頭を下げたものだから悩みも全て吹き飛んだ。初対面の相手に、最敬礼をされてしまっては、庶民根性一直線育ちは焦る。


「そ、そうします」


 一歩退いて、扉を閉める。ばたん。少なくとも、何か、悪の組織に誘拐された、といった状況ではないことだけは確か。良いか悪いかは別にして、いっその事、怖い人たちに攫われていた方が、少なくともある程度、何が起こっているかは分かっただろう。

 新しい情報が、入れば、入るほど、今の自分が何処に立っているのかが、分からない。


「そういえば、カトレアお嬢様、って……」


 メイドさんは、確かにそう言った。あの場に他に誰も居ないことから、こちらの事を呼んだのは間違いない。聞き覚えのある名前。もう一度、姿見の前へと、戻る。雑多に纏められた記憶の箱に手を突っ込んで、引っ張り出す。


「確か、こんな感じで……」


 腕を組んで、身体を少し斜めに。そして、顔の角度を少しだけ傾けて、視線は見下すように。それから、と、もう一回、思い出す。


「ふぅん……あなたが、噂の平民ね」


 そんな台詞を吐き出してみる。とたん、モヤモヤが突風でも吹き荒れたのかというほどに、霧散。少なくとも、この、美少女の正体を掴んだ。


「あー……そーいうことかぁ」


 鏡に向かって取り繕っていた、やたらと棘のある表情がふにゃ、と崩れる。どこかで見たことがある、という引っかかりは確かに正しかった。


「公爵令嬢? しかも、悪役の……?」


 ここ最近、ハマっていた作品。その中の一登場人物になっていたのだから。

 内容としては、中世風王道ファンタジー作品と言われる筋で間違いは無い。少し前にアニメ化されて、結構面白かったので、原作のゲームも少ないお小遣いを叩いて買ったのだ。

 主人公が身分違いの王子や、その他諸々と交流を深めていくファンタジー学園モノ。ただ、前半は学園モノをしているが、あることを契機に国は徐々に不安の種が生まれ、最終的に戦火に包まれる。その中で、主人公達は大きな時代と運命のうねりの中、どういった選択をするのか。


「しかも、明日が婚約発表……って、これ、超、ピンチ……!?」


 それなりに手垢のついたストーリーなのだけれど、後半からの畳みかけ方が評判で王道であるが故に人気を誇っていた作品。

 物語に幾つかある転換点の一つ、内紛だとか戦争の切っ掛けになるキーキャラクターでもある。そのイベントというのが公爵令嬢カトレアと、第一王子との婚約発表の日に告げられる婚約破棄。主人公と王子が仲を深めたから嫌がらせをして婚約破棄を言い渡された……というのが表向きだが、裏の意図として公爵家に黒い噂が付き纏っていたという理由も存在。

 この婚約破棄を切っ掛けに、多少のトラブルはあるものの、比較的平和だった学園生活から、裏で動いていた暗躍策謀が表舞台に出はじめる。


 そして、その一大イベントが寝て起きたら発生してしまう。一体全体、こんな時に、本来のカトレアの人格は何処へ行ったのか。

 頭の中、ぐるぐるぐるぐる、あらゆる燃料と材料が投下されて、かき回される。


「脱走……する?」


 一先ず、此処に居ては、自分の知る物語通り、婚約破棄というイベントが発生してしまう。そうなってしまっては、血と炎の紅に染まる内紛へと、止まることのない特急列車が走り出してしまう。

 やたらと大きなカーテンを捲ってみるけれど、残念ながら飛び降りられる高さではない。カーテンをロープ代わりにして降りられるか、と考える。部屋の天井が高いため、カーテンの上端もまた遠く手が届かない。引きちぎろうと引っ張ってみるけれど、うんともすんとも言わない。

 一先ず、落ち着くためにベッドに腰掛ける。柔らかすぎるベットに、お尻が深く沈み込んで、そのまま後ろに倒れた。何らかの絵が描かれた、ベッドの天蓋を見つめながら、冷静になった末に、弾き出された答えを呟く。


「……もしかして、詰んでるんじゃ」


 そもそも、逃げ出したところで土地勘はゼロに等しい。ツテも知識もない。逃げ出したところで、見つけられて引き戻されるか、野垂れ死ぬのかの二者択一。仮に、逃亡に成功したところで、婚約破棄の背景は、カトレア一人が主人公に対して冷たくしただけではなく……公爵家の、背信行為が原因。遅かれ早かれ、結果は同じ。


「どうすればいいの……」


 帰る手段なんて、欠片も浮かばず。かと言って、これから起きるであろう悲劇の一歩目を止める方法も湧いてこない。カトレアは印象的な敵役ではあるものの、全体的な話が国家単位なモノになるので、一人の行動で大きな流れを止められるとは思えない。


 ぐーるぐる。情報量と、不可思議な状況のダブルパンチで、思考回路が焼き切れそう。


「……けど、なるようになれで開き直るのはダメ」


 何が出来るかは分からない。今の自分がどうしてこうなっているのかなんて想像もつかない。創作物によくある別世界へと何かしらの手段で来た……のに近いけれど、そう思い込むのも、よくない。

 ただ、考えるのを止めない。流されるだけの自分は、もう殺したんだから。

 

「自分の手綱は、自分の手でしっかり握ってないと」


 スルリと出た、その言葉が、唯一無二の芯となっている内は、大丈夫。

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