先輩後輩ロマンシス その7

 ぽり、ぽり。沢庵が、奥歯に押し潰されて音を鳴らす。下に感じる大根の旨味を含んだ塩気が、今すぐに白米をかきこめと、スクランブルを発令する。従うまま、艶々の白ご飯を、箸で掴み上げて、放り込んでから……一緒に、噛みしめる。


「んぅ、ん」


 最高の朝食に、涙が出そうになる。

 食卓に、白米という主人公が存在する日本に生まれて、本当によかった、と。農家の方々に感謝しながら、豚汁に手をつけて、ずずずと、啜って……喉の奥へと、流し込む。


「里芋入れたの、正解だったわね」


 小皿に載ったなすの糠漬け。口に放り込んで一噛みした瞬間、白米をかきこんでいた。

 漬物と豚汁に白米。既に、文句の一つだってつけようが無いのに、鰆の西京焼きという主力を残している。柔らかな身に、二本の箸先を沈め、ほぐす。ほどけた身を、ご飯の上にワンバウンドさせてから、口の中に。


「んっ、ん~……!!」


 鰆の程よい脂と、香り膨らむ味噌が、口腔内で溶け合って、一つになる。

 最後の一押し……僅かに、味噌をつけた白ご飯を口の中に放り込んで、一緒に咀嚼。筆舌に尽くしがたい、幸福がそこにはあった。

 理由や事情は全て横に置いておいて、美味しい食事を噛み締めていると異世界への転生を喜べる人の気持ちが本当に分からない。インフラや交通網、冷凍技術に農薬だとかエトセトラエトセトラ……それらの積み重ねが今日の食生活を支えている。一朝一夕に、食のレベルというものは上がらない。食とは謂わば歴史が積み重ねた文化の結実。一品単位の再現ならばともかく、調味料、調理法、保存方法、調理道具エトセトラエトセトラ。それらのものを再現するのはプロの料理人だって不可能。

 特に、菜沙の数少ない癒やしである和食文化から引き離されることを思うと涙がちょちょ切れる。


 狭い六畳一間の一室。郊外都市の中でも開発が遅れている寂れた住宅街……その中でも、奥まった細い路地を通った先に菜沙の暮らす小さな平屋一階一戸建て。隣の長屋には数年前の大きな台風で屋根に穴が開いてからそのまま放置。反対側は塀と用水路。

 外から見ても人が暮らしているとは思えないほどオンボロ家屋。物置と間違えられてもおかしくないこぢんまりとした平屋。ご近所さんは居ない。

 そこが菜沙の家だった。

 唯一聞こえてくる他人の声は、小さなテレビから流れてくる朝のニュースキャスターだけ。


『世界に先駆け日本が火星に最初のコロニーを建設したのが記憶に新しいですが、既に第二の建設物として調査用プラントを作成していると発表されました――』


 ここ数十年で取り戻した技術大国ニッポンという肩書き。停滞及び緩やかな衰退を描いていた経済は回復傾向にある。そんな、明るい話題が流れてくる。

 回復した背景を知っている……というか、遠回しな要因である菜沙。実態とは違う発表の内容に『なんだかなぁ』と豚汁を啜る。

 こんなところに暮らしているのはいくつか理由がある。一番の理由は自宅から直接、J7セクタへの直通地下道を引いてもらうのに都合が良かったから。


「ごちそうさまでした」


 ご飯の一粒さえも残すこと無く完食した菜沙。洗い物は高性能自動食洗機に放り投げる。どんな焦げも油汚れも、放り入れるだけでピカピカにしてくれるスグレモノ。

 実は見た目のオンボロ平屋に反して、実際は技術の粋を凝らしたリフォームが行われている。玄関の曇りガラスや薄そうに見える壁は、防音防寒防熱は勿論拳銃どころかライフル弾だって通さない……流石に、戦車砲とか持ってこられると厳しいらしいが、そんなモノに家を襲撃される予定は無い。

 家電の一つ一つが技開部が作ってくれた、あらゆる既存製品を凌駕するような高性能品。

 極めつけがこの家には鍵なんてものはない。生体認証でしか玄関が開かない。

 オンボロ家屋がやたらと高性能化を遂げたのは大人達……技開部と工廠部が暇つぶしにと悪ノリした結果。たった一日で改修を終えたのだから、大人達が行う本気の悪ふざけの凄まじさを体感した。


「弁当も持ったし、大丈夫かな」


 早起きして作った弁当を肩掛けバッグに突っ込む。一日の睡眠時間なんて数時間あれば十分な菜沙。訓練や技開部のテストに付き合っていないと時間を持て余すので、朝食だとか弁当を作っている。数少ない趣味、みたいなもの。


 ボストンバッグを肩からかけて、アタッシュケースも確認よし。学生としての荷物は、ペンケースとノートが一冊。人体再構築で回転の速くなった頭に、第肆額縁での学習装置を使った刷り込みにも等しい促成学習があるから勉強に困らない。種も仕掛けもある反則、未来から来たネコ型ロボットの道具を使っているに等しいズルである。

 高校に通っているなんて危機感が無いのは自覚している。なのだが、二十四時間常に干渉されている訳でもないので、時間の使い方はそれぞれで異なっている。

 戸羽司令は、現れようと現れまいと激務。虎伏小隊長は部隊運用を考えたり、兼務している教官としての仕事に精を出している。

 武器から手を離した途端、ただの小娘になってしまうのが菜沙の悩み。事務や接待、調整会議エトセトラエトセトラ……そう言った、鉛玉や火薬が飛び交わない仕事はさせて貰えない。

 大人に任せて、学校へ通え、と。いつ死んでもおかしくない戦いに身を放り投げながら、女子高生としても過ごしていた。

 戸羽司令曰く、干渉を受けるのは十代の学生が特に多いため、マンモス校の中に鳥居菜沙の籍を置き、迅速に対応を可能とする……なんて言っていたけれど、詭弁もいいところ。菜沙を闘いから遠ざけようとしているのが、ありありと伝わってくる。

『戦うことを当たり前にするな』と、隊長時代から、菜沙に対しては繰り返された言葉。きっと、学校に通うように言っていることの表れ。それで、日常に染まって戦うことが怖くなるのを待っている。まだ、戸羽司令は菜沙を戦いから離そうとしてくれている。

 優しくて器用で、何でもソツなくこなすからモテる。けれど菜沙からすると、優しすぎて凄く息苦しい。同じ屋根の下で暮らしたらすぐに、窒息死すると思う。


 そんなどうでもいいことは置いておいて、学校へ向かうためにバッグを肩から掛けようとした。その時、携帯端末がブルブルと震えた。液晶が明るくなって、着信を告げる。

 菜沙に連絡してくる相手なんて数えるほどしかいない。表示されていたのは、戸羽伊月隊長。登録名は昔のまま。直さないといけないと思いつつ、ずっと後回し。


「現れたんですか? いつでもいけます。美味しいものを食べましたから」

『せめて、一言挨拶をしろ。朝から血気盛んが過ぎる』


 電話の向こうの声は、相も変わらず疲れ切っていた。眠っていないの可能性が大。けれど、やぶ蛇を突く気も無いので、あえて気付かないフリをする。


『……鳥居の声が聴きたくなったって言ったら、どうする?』

「寝不足ですか?」


 フリをするつもりだったのに、意味不明な事を言われて咄嗟に悪態が飛び出していた。あまり冗談やふざける事の無いお堅い戸羽司令がセンスの無いジョークを言う時の条件は二つある。過度な寝不足で疲労困憊であることと、改造人間でなければ胃に手のひら大の穴が開くほどのストレスを抱えていること。


『寝てないのはある種、鳥居の為でもあるんだけどな』

「あいつらへの出撃指示以外に、司令が私のために出来る事ってないと思いますけれど」

『徹夜明けにお前の殺意は胸焼けする。もっと胃に優しい感情を向けてくれ』


 寝ないでください、と頼んだつもりはない。特に何かを頼んで居るわけでも無い。ゆっくりと休んでくれた方が、部下のためになるというのを分かっていないのだろうか?

 上司が無理をしていると、部下も休みづらい……それくらい、司令という責任の大きな立場になったのだから理解して欲しい。ただし、菜沙は菜沙は上司が休んでいても、戦うときは戦うし、休むときは勝手に休む。


『いいか、よく聞け。鳥居にとっては間違いの無い朗報だ……結構、根回しが面倒だったんけどな』

「はぁ……」


 戸羽司令や虎伏隊長とは違い、観測以外は殆ど任せきり。とは言え、女子高生だって暇じゃ無い。いい加減な内容だったら、上司だろうと、元上官だろうと容赦なく電話を切ろう。ストレス過多状態の戸羽司令に付き合っていると、延々と振り回されることだってあるのだから。


『学校、駅、コンビニ近くや、路地裏に、幾つかの追加装備を配置しておいた。何度言っても、死にかけで戻ってくるバカの為の例外措置だ』

「戸羽隊長、愛しています」


 世界で最高の上司に恵まれていると、常日頃から尊敬していたことをたった今、思い出した。


『気持ち悪い。それから司令だ』

「戸羽司令の部下になれたことが、私にとってこれ以上の無い幸運です」

『僕はお前のような部下の所為で胃薬という友人が増えたんだがな。この身体になっても胃に穴が開くことを教えてくれた鳥居には頭が上がらないな』

「それほどでも」

『……とりあえず、隠してある追加装備の位置は、情報部から連絡が行く』

「バレる恐れは?」

『ない。見た目では分からない上、仮に、重機でアスファルトを引っ剥がしたとしても、生体認証突破できない限り、箱が開くことは無い。時間を稼げたのなら、後はどうとでもなる』

「さっすが司令」


 きっちりしっかり抜かりない。お陰で、こちらの牙が、あいつらにも届きやすくなる。


『もう一度言うが、特別措置だ。だから……』

「戦うことを常とするな。死ぬな。そして、手綱は己の手にのみあり……分かってますよ。その為に、隊長は上へ行って、私は武器を握り続けている』

『なら、いい』

「改めて、ありがとうございました」


 冗談めかしたモノでは無い、心からの礼。立場は違えど、今でも仲間で有り、目的を共有する者として、報いなければならない。


『電話を切る前に、もう一つ』

「……遅刻してしまいそうなんですけど」


 干渉者の出現によって、授業を休むことも、遅刻することも、しょっちゅうある身としては、そのカウントが一つ増えるだけ。別に問題は無いのだが、学校へ行けと常々言っている戸羽司令が原因で遅刻するのは如何なモノだろうか、とつい、口に出ていた。


『走れば間に合うだろう』

「前にやって、ずーーーーっと陸上部に絡まれてるんですから。なんだったら他の運動部にもしつこく誘われ続けてるんですって」

「……そうか」


 自分で言っておいて『そうか』はないだろ、と、愚痴をぶつけたくなったけれど、口を噤んだ。

 菜沙は改造人間。軽く流すようだけで、世界記録だって更新できてしまうし、雑草を抜く感覚で道路標識とか電柱を引っこ抜ける。

 そんな身体能力を持っていれば、セーブしていても、高校生の全国大会出場するくらいの速度は余裕で出せてしまう。

 少し急いでいるところを見られてしまった。不注意だったと言えばそれまで。孤立……と、まではいかないものの、ぼっち気味な菜沙にもグイグイと来るので困ったもの。

 余談だけれど、格闘技系の部活は『相手を殺してしまうから』と一言こぼすと、それ以来誘われることはなくなった。誰に弁明するわけでは無いけれど、ちゃんと、手加減も出来る。


『ここ最近、ヤツらの手段が気持ち悪いほどに画一的過ぎる』


 電話のスピーカーから聞こえてくる言葉に、小さく頷く。一度、二度ならともかく、それが、倍……そのまた倍と、回数を重ねていけば流石に、好き勝手に武器を振り回しているだけの菜沙だって気付く。


「全部、トラックでの交通事故」


 何かしらの方法を用いて人を連れ去っていく干渉者。デタラメな奴らといえど、こちらの世界(ホーム)は干渉者にとってはアウェー。自分の世界ではないので、力は制限される。

 例えば、トラックでの事故。例えば、病死。例えば、パワハラ過労死いじめでの自殺。例えば、例えば……。あげればキリはないが、自然な力で干渉するのが殆どのケース。

 自然な方が、説明も楽で転生者側も受け入れられるから。

 ただ、トラックでの事故が、手段として用いられるとしても……ここ最近は、これまでと比べものにならないほど増加傾向にあった。


『あぁ。全部、会社も存在してこそ居るが、不自然。まるで、事故が起きてから……その帳尻を合わすために出来上がってるとしか思えない』


 菜沙に理解できるのは、ここ最近、干渉者が取る手段がワンパターン過ぎるということだけ。幾らでも邪推を重ねるのは簡単だけれど、もっと手っ取り早い手段がある。


「……その心は?」


 名ばかり小隊長である菜沙とは比べようも無い程、情報が入ってくる立場の人間の推測を聞いた方が良い。そもそも、額縁は秘密組織。下っ端程度には知らされていない、情報なんて幾らでもある……というか、殆ど教えてもらえては居ない。


『画一的で……あまりにも、頻度が高すぎる。偶発的にしか事を起こせない干渉者の仕業とは考え難い』


 異世界から来た力を持った連中は、この世界の人間を……わかりやすい言い方をするなら、魂を攫っていく。だが、徒党を組まれたことは一度も無い。

 一人の泥棒が居たとして、偶然、同じ家に入ろうとする泥棒がもう一人いるというだけで、窃盗団になったことはないとでも言えば、いいのだろうか。

 干渉者同士で、連絡や連携は不可能。

 考えられる可能性は、異世界と異世界が、何らかの方法で互いに認識をし、同じようにこの世界へと干渉する為に手を取り合ったか……


「手引きしている存在が居る」

『おそらく、な。そいつもまた別世界の人間なのか、あるいは甘い汁を吸っているこの世界の人間なのかは分からないが』


 面倒だが、だからといって、菜沙のやることは変わらない。


「私は銃弾です。放たれたのであれば狙い違わず脳髄を貫いてみせます」


 理不尽を砕く為の才能が与えられた。だから、磨き、尖らせ、対象へと確実に突き立てることこそが、課せられた義務。


『銀の弾丸も狙うべき敵が居てるからこそ。分かっているさ。すぐにでも、炙りだしてやる』

「狙いさえ定まったのであれば、任せてください」

『あぁ……だから、今は任せてくれ』

「当然、任せますよ」


 ぷつ、と切れた通話。菜沙に対して文句は言っても、本当の意味で止めることは無い。それどころか、動きやすいように、手配してくれる。

 元上官と元部下。司令と隊長。

 どちらも正しいけれど、一番しっくりくるのは共犯者。


「ま、私は私に出来ることを。隊長は隊長が出来ることをするだけ」


 鞄を肩からかけ直す。狭い部屋の中に掛けた時計をちらり。普通に歩いてどころか走ってでも間に合わないことを確認。

 仕方が無い、と首をぐるりと回し、全身の関節もほぐす。

 曇りガラスの木製引き戸を手に掛け、六畳間から玄関。式台に腰を下ろし、

 どこからどう見ても普通のローファーを履く。実際のところは例の如く、防弾防刃エトセトラが最低限施されている。制服も同じく。

 別にマフィアでも何でも無いので、普段使いの私物にオーバーテクノロジーを凝らす意味は全くもってない。ほんの少しだって、ない……のだが、額縁の技術者及び開発者は倫理観とか、ノルマとか、仕事に対する義務感とかとかが皆無。一に能力、二に能力。たとえ、趣味が放火殺人窃盗であろうとも能力に長けていればいい……勿論、実際はそこまで露骨な犯罪者集団ではない。

 一般社会では出来ないような研究や開発に没頭しているマッドサイエンティストやベリーヘビーギークばっかり。

 菜沙のオンボロ家屋のリフォームや制服の改造を、面白おかしく技術全部乗せをした挙げ句、指さして笑うことが彼ら彼女らの暇潰しなのだ。


「行ってきまーす」


 家の中に向かって声を掛ける。オンボロ家屋に、木霊する声。当然、声は帰ってこない。

 ちら、と靴箱の上に置かれた鏡で、身嗜みを確認。

 化粧も殆どしていないし、肌が荒れることも、シミも日焼けもできないのでスキンケアもゼロ。確認することといえば、ツインテールがズレていないか、程度。

 問題なし。今日も、綺麗なツインテール。

 玄関の引き戸が、ガラガラと音を立てる。一歩踏み出す。


「……見られませんよーに」


 後ろ手に、玄関を閉めて、ぴしゃん、と閉まると同時……走り出した。

 陸上部にさえ見られなければいいのだ、と開き直って。 

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