異世界転生デストロイヤー

比古胡桃

一章 悪役令嬢ランナウェイ

異世界転生デストロイヤー その1

 藍緑のリボンで結ばれた双房が優美に靡く。


 副業、学生。

 本業、秘密組織の実働部隊。それも、隊とは名ばかりのぼっちな小隊長。

 深呼吸を一つ。心根に、碑文のように刻まれた一小節を、小さく、呟く。


「手綱は己が手にのみあり」


 秘密組織が発見開発した秘密物質で、色々な世界から干渉してくる秘密存在を追いかけ、秘密兵器で追い払い、取り返すだけのが業務内容。時には、異世界まで追いかけることもある大変なお仕事。福利厚生は充実。なにより、やりがいが満ちあふれたアットホームな職場。但し、企業秘密満載。というか、企業の存在自体が秘密そのもの。

 説明を重ねれば重ねるほど、つらつら、長々、無限と続く。寿限無のように。


「突入します」


 伝えた言葉は、静かな御旗。

 この世界から文字通り命を奪っていく不法侵入者或いは泥棒たち。態々、遠い場所から来てくれたのだから手ぶらで帰すのは忍びない。

 代わりに持ち帰って貰うのは、砲煙弾雨のサプライズ。二度と忘れられないような火傷。精一杯にもてなすのだから、土産話の一つくらいにはなってくれるだろう。

 カチッ、と煙草一箱サイズの小箱、スイッチを入れ、放り投げる。

 放物線を描いた小箱は、数秒後、パンッ。弾ける。パーティーのクラッカーにも似た気持ちばかりの破裂音。

 両の手を強く握り、瞳を閉じる。そして、打ち倒すべきを脳の皺、全てに刷り込んでいく。これから、矛を向ける敵。上位者気取りの連中というのは自身が干渉することはあっても、干渉されることはないと傲慢に胡座をかいている。

 そもそも、干渉されたところでどうということはない、と見下していると言っても良い。どちらにせよ舐められているという事実は、心火に焼べる薪に丁度良い。

 これからするのは、単純明快。

 惚けきった、油断しきった顔面を思い切り、横から殴りつける。

 たった、それだけ。


「神を名乗るようなヤツなんて、ロクデナシに決まってる……なんてね」


 嘯いた。そして、撃鉄を起こす。

 頭の中、こぽこぽ、湯水のように湧き出てくるのは、倒す、殺す、勝つ、叩く、折る、打ち砕くイメージ。イメージに纏わり付いているのは、マグマのような熱量。ドロドログツグツと煮えたぎる熱が、力強く鐘を鳴らす心の臓を通って、全身へと。毛細血管の端の端まで運ばれ、余すこと無く満たしていく。

 身体に纏っているものも、両手に持っているものも。身を守る護身具なんかじゃない。

 理不尽を打ち砕くための、鉄火の槌。


 結局、私が。私たちが、何をしているのか。

 無理矢理にたった一言、一単語で纏めるとするなら、きっと……


 異世界転生デストロイヤー(理不尽には理不尽を)。

 それくらいバカバカしい呼び名が、きっと、一番分かりやすい。






 気が付くと、真っ白な空間に居た。

 真っ白、と表現するのが正しいのかどうかも分からない。だが、どこまでも何も無い場所。自分の立っている場所が、本当に地面か床が存在するのかも分からない。どこまでが地面なのか区別さえ付かないような、虚無の空間。


「ここ、どこだ?」


 自分の名前は思い出せる。そこから手繰り寄せるように、記憶の紐を遡っていく。確か、いつも通り、学校に行って、眠たい授業を終えた。所属する部活動は中学からずっと続けている帰宅部。その上、今はバイトもしていないから、直帰してゲームでもしようかと意気込んでいたところ。現在、着ているのは学校指定の制服。ただ、鞄はどこに置いてきたのか、手元にはなかった。


「いやぁー、スマンスマン」

「はい?」


 唐突に、聞こえた声。何も無かった空間。突然、目の前に老人。顔を伏せていたわけでも無い。瞬き一つしていない。それなのに前触れも、予兆もなく現れた存在。まるで、元からそこに存在したかのように、老人はいた。みっともなく声を上げたりしなかったのは、あまりにも理解不能な状況に頭がついていっていなかったから、声も出せなかっただけ。


「あの、誰ですか?」


 ひとまず、一人で考えてもどうにもならない。あからさまに何かを知っていそうな存在が現れたので、することは一つ。質問しかない。


「人に名前を尋ねる前は、まずは自分からじゃろうが」

「あっ、すみません」


 眉を顰め、全く嘆かわしいと首を横に振るう老人。白髪と長いひげの年老いた見た目と、昨今の若者を嘆く言動は、これ以上ないくらいマッチしている……おかしいのは状況だけ。こんな常識とは正反対の、意味不明な状況でそれを指摘されると思っていなかった。


「えっと、俺は」

「あぁ、大丈夫大丈夫。知っておるから。名前は……」


 指摘され、名前を名乗ろうとした矢先、手で制された。それから、当然のように名前を言い当てられ……それどころか、誕生日、血液型、両親の名前……果ては、性癖や、それに類するコレクションまで言い当てられる始末。


「知ってたのに、名乗らせようとしたんだ……」

「それは、それ。これは、これじゃ」


 今まで、親は勿論、クラスメイトどころか、SNS上ですら言ったことのない、自分の情報を知っている老人。


「もしかして、おじいさん、普通のおじいさんじゃ無かったりします?」

「当たり前じゃろ。この状況が普通じゃないじゃろうに」

「自覚はあるんすね」


 空も、天井も、壁も、床も。全ての境目が分からないような謎空間。そこに居るのは自分と、老人。少なくとも、これまでの人生の中で、そんな経験は一度もしたことがない。これから先も、するとは考えにくい。


「あぁ、これから先は無いぞ。お主の人生なのじゃが、もう終わってしまったんじゃ、すまんの」

「はいっ?」


 初対面の、それも老人に対する態度ではないが、あまりに突飛な言葉に礼儀なんてモノは吹き飛んでいた。内容は全く飲み込めていない。飲み込めていないけれど、内容に対して謝罪が軽すぎる。


「覚えてないかの? お主、あんなに綺麗に跳ねられたというのに」

「え? あっ。あー……」


 言われて、頭の中、欠けていたパズルのピースが、カチリ、と噛み合った。そう、帰っている途中、横断歩道の信号待ちしている間にSNSを眺めていた時のこと。丁度、自身の性癖にこれ以上ないくらいド真ん中剛速球ドストライクを叩き出したイラストが流れてきた。それで気分が良くなって、鼻唄交じり、青に変わった信号にスキップしながら踏み出した直後、鼓膜が痛くなるようなクラクション。それから、顔を向けたら目の前に存在する壁。


「もしかして、俺、死んじゃったり……」

「綺麗なトリプルアクセルを決めて、即死じゃったな」


 嘘だ、と言葉にもならなかった。死んだ、と言われて冷静なままなのは、あまりにも信じられないから。確かに跳ねられた記憶があるし、今の状況が特異なのも理解できるけれど、現実感が皆無。

 ここまで来れば、アニメや漫画を人並みよりは嗜んでいるから状況は大体理解できた。


「あのー、もしかしておじいさんは神様だったりします?」

「うむ」

「それで、俺、まだ死ぬ運命じゃ無かった、的な……?」

「うむ」

「元の世界に戻ることは出来ない感じの……?」

「うむ」

「代わりと言ってはなんですけどって、提案されるのが……」

「異世界転生じゃな」

「あぁー……」


 ザ・テンプレ。

 これが現実か、自分の見ている夢かは別にして、俗に言うテンプレ的な異世界転生の場面に相対している、らしい。現実感がないのは変わらないが、あまりにもありふれた導入に、状況は理解。そういう作品を人並みに見るから、状況を飲み込むことはできる。


「当然、こちらの不手際で死んだのじゃから、多少のオマケはつけるぞ」


 ここまでテンプレ通りなのか。都合の良い展開も、ここまで捻りが無いとかえって清々しい。いや、数多の作品の中でテンプレート化されているのも、今の状況のように元ネタがあるからなのかもしれない。火のない所に煙は立たない、と言うし。


「正直、現実感が湧きませんし……はい、そうですか、と未練がゼロって程、頷けるほど、世捨て人じゃありません」


 ただ、目の前に居るのが神だったとして、相対する自分はただの人間。トラックに跳ねられたら死んでしまう、普通の人間。機嫌を損ねた時のリスクを思うと、何をされるか分からないのが、怖い。帰してくれと、言い張っても、状況が好転するとは思えない。

 このまま、転生も出来ず、消滅……なんていうのに比べれば、異世界転生万々歳。


「考えているとおり、元の世界にはどれだけ頼まれても帰せん。こうやって、一個人に対して、譲歩している時点で、お主は相当優遇されておるな」

「俺以外にも、こういうのってあるんですね……」

「目が覚めたらいきなり、ダンジョンの中や、戦争中の国に放り出された上、何のスキルもなしに合意もなく転生させられたりする者もおる」

「流石に、それは嫌だな……」


 溜め息を一つ、頭を横に振る。少なくとも、自分は争い事とは無縁の日本で育った一学生。着の身着のまま放り出されて、生きていける気がしない。拒否権は無いにしても、転生特典と、心の準備をさせてくれるだけ、まだ恵まれているのだろう。

 今起こっていることの整理が出来たかと言われれば違う。だが、それはそれとして、異世界という言葉に心が躍っているのも事実。


「うむ、じゃから、どういう特典がいいかの? ある程度は望みを聞いてやるぞい」


 特典、と言っても、それを活かせる世界で無ければ意味が無い。まずは、どういう世界に転生するのか、それとも、それすら選べるのか。

 質問しようと手を上げようとした……時のことだった。

 どこかから、重たい音が、聞こえた気がした。まるで、遠くで花火が打ち上がったみたいな。


「……今、なにか聞こえませんでした?」

「気のせいじゃないかの。ここは、儂とお主以外存在しない、存在できないのじゃからのう」


 それが事実かどうか確認する術が無いので、信じる他なかった。少なくとも、今現在、目に映る全て、聞こえる全ては、この神様だけ。他には何も、砂粒一つだって転がっていない。


「じゃあ、一個質問なんですけど……」

「どのような世界に転生するか、じゃな……」


 はい、と相槌を帰そうとした時、再び聞こえた。今度は、ハッキリと。ガリガリガリ。何かを掘削するような音。

 度合いとしては、授業中の教室の外から聞こえてくる、工事現場の作業音。今度は気のせいで流すのは、かなり厳しい大音量。


「今、聞こえましたよね」

「……うむ、不味いな」

「えっ」


 大きくなっていく音。理解できないのは、目の前のお爺さんも同じなのか……自称神様は、冷や汗をタラリ、垂らしていた。神様を自称する割には、分かりやすいリアクション。


「説明している時間が惜しい。便利そうな特典を適当につけておくから、すぐに転生させ……」


 もう、気のせいでも何でも無い程大きくなった掘削音。モーターか何かの絶好調な駆動音。それから、歯医者のドリルが巨大化したかのような、耳が痛くなる甲高い音。轟音は鼓膜どころか、全身の肌さえ振動させる。死んでいるはずなのに、全身が感じ取っていた。


「神様、あれ」


 何も無い空間だったからこそ、神様の背中の向こう側に、現れた、ソレ。異質であるが故、やけに目立った。


「あれは、なんじゃ……」


 壁も何も無い空間から、飛び出しているのは黒い薄板に、青白いラインを浮かべた長い何か。光を纏った刃か鋸か、その延長線上にある代物だと辛うじて認識。

 まるで、空間そのものから、刃が生えてきているかのよう。

 耳が痛くなる甲高い音が大きく響くと青白いラインが板の上で枝分かれして光を強める。空間が削り裂かれ、全身を揺らす衝撃が伝わってくる。縦に走り、横にも動く。四角く、空間ごと切り抜こうとしているみたいに。


「いかん、早く転生させんと……」


 ブツブツ、と隣から焦ったような呟き。けれど、工事現場の目の前にいるような、鼓膜を劈く音にかき消されて内容までは届かない。

 刃は、光を帯びた出来たチェーンソーのよう。よくよく見れば、似ていないのだが、あの刃が空間を無理矢理引き裂いているようにしか見えない。

 刃が一頻り動くと、空間に、長さも、角度も揃っていない、歪な凶の字が完成。満足したのか、青白い刃が引っ込んだ。シンとした、無音。壁も地面も天井もないような空間には、残響なんて存在しない。だが、鼓膜の中では、いまだに大きな音がスーパーボールのように跳ね回っている。

 神様も、自分も、数秒前との落差に、言葉を失っていた。一体、今のはなんだったのか……と、飲み込めていないから、言葉にも出来ない。

 理解できている者が居ない、この状況。思考を整理しようとするよりも早く、唐突に、身構えることも出来ずに訪れた。


 衝撃、熱。遅れて、痛み。


「か、は、ぁあ」


 その場から吹き飛ばされたのだと理解するのよりも先に、ごろごろ、地面を転げ回っていることに気付く。

 衝撃で、肺の中の空気が全部叩き出される。咄嗟、生理現象として大きく息を吸い込むも、肺が焼けるような熱で炙られ、尋常では無い息苦しさ。死んでいるはずなのに、苦しい。その矛盾を追及する余裕もない。

 何が起こったのか全く不明。それでも、自分がまだ思考できていることだけは確かだった。

 衝撃……爆発で起きた炎と煙の真っ只中から、影が一つ。


 聞こえてきたのは、状況とは不釣り合いな、女性の……それも若さを感じさせるソプラノボイス。だが、声色に反して可愛らしさは一グラムも存在しない。生まれてこの方、聞いたことの無いような覇気。


「いらっしゃいませぇ!!」

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