終末のイェーガー 紅月のヴァンパイアに口づけを

ゆで魂

第1話 銀銃とオリジナル血清

 とある閑静な住宅街の一角。

 高校生の冴木さえきコジロウは、甘い香りのするケーキ屋のドアをくぐった。


 レジのところにいた若い女性スタッフが、おや? と問いたそうな目を向けてくる。


 平日の昼間、小学生でも授業を受けている時間帯だ。

 男子高校生が一人、しかもケーキ屋に来るなんて、年に何回も起こる現象ではない。


 コジロウが百七十センチ後半の体を曲げてショーケースをのぞき込むと、肩のところで束にしている黒髪がサラサラと音を立てて流れた。


 ショーケースに並んでいるのは、いちごのムースケーキ、砂糖をまぶしたガトーショコラ、丸いカップに入ったティラミスなど。

 どれも美味しそうだから、自然と口元がほころぶ。


「いらっしゃいませ。君って前もうちに来ていたよね。高校生でしょう。この近くってことは聖ガブリエル高校かな」

「よく覚えていますね。来店したのは四回目というのに」

「そりゃ、君みたいな子は忘れないよ」


 コジロウの外見的特徴は長髪だけじゃない。


「それってピアスだよね。校則違反じゃないの?」

「お守りのアイテムです。学校では髪でうまく隠しています」

「秋と呼ぶには早すぎる季節なのに七分丈のコートって暑くないかしら?」

「日焼けするのが嫌なので。この国の日差しは強いですから」

「これが一番気になっていたんだけどさ……」


 女性スタッフは目の下にタッチした。


「君ってもしかして、外国人とのハーフ? その目、わずかに青みがかっているよね」

 

 ブルーを帯びたコジロウの目が細められる。


「よく分かりましたね。俺には異邦の血が混ざっています。ですが、かなり薄いです。学校でもそれを指摘されたことはないような……」


 コジロウは腕組みしつつ、女性スタッフの手元を凝視した。


「どうしたの? 何かついている?」

「ちょっと手をお借りしてもいいですか?」

「ええ、構わないけれども……」


 コジロウは犬みたいに鼻をピクピクさせた。

 カウンターに片肘をついて、彼女の手の甲を思いっきり嗅いでみる。


「きゃ⁉︎ 何するのよ⁉︎ 変態⁉︎」

「いや、ケーキ屋で働いている人は、手もケーキの匂いがするのかな、と思いまして」


 女性スタッフはすぐに表情を和ませた。


「君ってバカだね。良い方の意味で。ケーキの匂いなんてするわけないじゃん。焼くのはパティシエ。私は単なるアルバイトだよ」

「だったら、パティシエさんの手はケーキの匂いですか?」

「どうかな。店長の手の匂いは知らない」


 男女の笑い声が重なった。


「失礼。おしゃべりが楽しくてつい夢中に。今回はどのケーキにしようかな」

「今日はモンブランを買いに来たんじゃないの?」

「どうしてそう思うのですか?」

「だって……」


 女性スタッフはショーケースの中を順番に指差していく。


「一回目、二回目、三回目と来店するごとに右上から順に買っていくでしょう。だから今日はモンブランの番」

「バレましたか。それなら確実に全種類コンプリートできると思いまして」

「君って本当にケーキが好きなんだね」


 モンブランを一個箱詰めしてもらった。

 会計の時、お釣りを渡そうとした手が止まったので、どうされました? とコジロウは小首をかしげる。


「この後、少し時間ある?」

「ええ、ありますが……」


 女性スタッフが声のボリュームを落としたので、コジロウも同じだけボリュームを落とす。


「近所にこの街で一番おいしいケーキ屋があるんだ。バイトがもうすぐ終わるから、私が案内してあげる。歩いて行ける距離だから」


 一番おいしいケーキ屋というキーワードにコジロウの喉が鳴る。

 ケーキは大好物で、一日三食ケーキでも平気なくらいだ。


「いいのですか? ライバル店を教えちゃっても。敵に塩を送るってやつじゃないですか?」

「いいの、いいの。君ってケーキに詳しそうだし。味の違いみたいなやつを教えてよ。私から店長にフィードバックするからさ」


 秘められた好意に気づき、コジロウはにっこり笑った。


「楽しみにしています。お店の前で待っています」


 女性スタッフも頬を赤らめ、うん、と首肯した。


 ……。

 …………。


 歩いて行ける距離。

 そういったものの目的のケーキ屋に到着しそうな気配は微塵もなかった。

 むしろ街から離れるにつれてお店も民家も数を減らしていき、荒れ放題の田んぼが目につく始末だから、口数も自然と少なくなる。


「本当にこっちで合っているのですか?」


 廃墟はいきょと化したホームセンターの屋根でからすが鳴いていた。


「うん、もうすぐだから。私を信じて」

「ですが……ねぇ……」


 コジロウは二の足を踏んだ。

 行手に山道らしきものが待ち受けているのだ。

 あれを抜けると住んでいる御岳森みたけもりから出てしまう。


「すみません、けっこう時間を潰しちゃいましたし、俺はこの辺で帰ります。もし店名を教えてくれたら自分で調べますから」

「ううん、いいの。もう着いたから」

「着いた?」


 スイッチのONとOFFを切り替えるみたいに彼女のオーラが変わった。

 手に提げていたバッグを落とすと、鬱蒼うっそうとした森にも負けないくらいのプレッシャーを全身から放ってくる。


「ケーキ。あるわよ。私の目の前に。とっても美味しそうなやつが。真っ赤な、真っ赤な、ケーキが。美味しそう……美味しそう……ああ、美味しそう」

「急にどうされました? 性質たちの悪いいたずらでしょうか? あるいはメンヘラ趣味ですか?」

「一口でいいからちょうだい。いや、一口と言わずに全部食べさせて」


 恍惚こうこつとした顔つきで腕を広げる彼女の体に異変が起こった。


 口の端が不自然なくらい吊り上がり三日月になる。

 こめかみの部分が隆起して角のように盛り上がってくる。


 もっとも尋常でないのは目つきだ。

 充血というレベルを通り越して、血液を注いだように赤く染まっている。


 形こそ人間のまま。

 でも、違う何かが巣食っている。


「ケーキ……ケーキ……ケーキ……あなた、とってもおいしそう……私のお店に何回も足を運んでくれるなんて……大好き! 大好き! 死ぬほど好き! 私以外にあげたくない! 生かしたまま少しずつ大切に食べてあげるから!」


 彼女の体が急に消えた。

 否、低姿勢で猛ダッシュしてきた。


 宙を泳いできた葉っぱが真っ二つに割れ、風がうなりを上げる。


 さっきまでコジロウが立っていた空間を黒光りする爪が裂いたのだ。

 その先端はナイフのように尖っており、血肉を裂くことに特化している。


 吸血鬼、あるいはヴァンパイア。

 人間を捕食し、その生き血をすする、太古から存在する厄災の一種。


 もっとも恐ろしいのは爪でも牙でもない。

 夜でも不自由しない目と人間離れしたパワーだ。


 格闘技をやっている大男でもねじ伏せられる。

 夜道で出くわしたら、生きて帰るのは絶望的だろう。


 一般的に太陽の光を浴びたヴァンパイアは灰になると伝わるが、そういう種もいるというだけで、昼だろうが夜だろうが捕食にいそしむタイプも存在する。

 ゆえに彼女のように人間に紛れて暮らすことも可能。


「へぇ、素早いのね」


 コジロウが落ち着き払った様子だったので、彼女は思案するように爪を舐めた。


 冷たく燃える瞳には、人間を単なる食べ物としか見ていない感情がありありと浮かんでいる。


「俺からお前に一つだけ質問する。今まで何人食ってきた?」

「あなた、ただの高校生じゃない? 私が人間じゃないと見抜いていた? そうか、手の匂いを嗅いだ時か。私に触れて、あれで確信したのか。だったら、何者……」

「答えろ、吸血鬼。質問しているのは俺だ。お前の質問は一切受け付けない」


 コジロウが怒気をはらんだ目を向けると、彼女は三歩ほど後ずさりした。

 コジロウに怯えたというより、ヴァンパイアに驚かない人間がいることに頭の処理が追いつかず、パニックを起こしているようだ。


「ありえない、ありえない、ありえない。人間が我らに歯向かうなどありえない」

「我らといったな。つまり紅月あかつきのヴァンパイアの眷属けんぞくなのか。お前は紅月のヴァンパイアに会ったのか。だったら、質問を変えようか。紅月のヴァンパイアは今どこにいる? あいつの住処すみかまで俺を案内しろ」

「うるさい! 人間! あのお方の名前を気安く呼ぶな! その汚らわしい口を上下に裂いて、切断したお前の指を突っ込んでやろうか!」

「話の分からんやつだな。まあ、話の分かるヴァンパイアの方が稀か」


 中断していたバトルが再開する。


 コジロウは連続して襲ってくる爪を回避しながら、コートの前を広げた。

 シルバーの十字架ロザリオが光り、彼女の目に動揺が走った。


「ロザリオ⁉︎ まさか西洋教会の⁉︎」

「そのまさかだ」


 コートの内側から銀色の銃を取り出す。

 M1911……コルト製の銃を改造して造られた、祖父から譲り受けた対厄災用の火器、シルバーレイ。


「民間人の体を傷つけるのは本意ではないが……もし顔に傷がついたら許せ」


 コジロウが撃ち抜いたのは彼女の眉間……ではなく頭上にあったカーブミラー。

 鏡面がバラバラに飛び散り、光のシャワーのように降ってきた。


「くっ……」


 わずかに生じた隙に黒革の手帳を開く。

 シルバーレイが第一の兵器だとしたら、こっちは第二の兵器と呼べる代物。


Exorcizamusエグゾルチザムス te, omnisオムニス immundusインムンドゥス spiritusスピリトゥス omnis オムニス satanicaサタニカ potestasポテスタス, omnisオムニス incursioインクルスィオ infernalisインフェルナリス adversariiアドヴェルサリイ, omnisオムニス legioレジオ……」


 変化はすぐに起こった。

 重力が倍化したみたいに彼女の膝が笑い出したのである。

 コジロウの言霊ことだまが続けば続くほど、のしかかるプレッシャーは重くなっていく。

 ついには地面に手をつき、顔を上げていることすら苦しそう。


「何よ……これは……」


 言霊がしっかり効いたのを確認して、コジロウは手帳を閉じた。


「エクソシストが対厄災用に使う金縛りだ。日本の修験者が使う不動金縛りに似ている。さすがに紅月のヴァンパイア並みの大物には効かんが、雑魚クラスの足止めには使える」

「はぁ⁉︎ 私が雑魚ですって⁉︎」

「自分でも理解しているだろう」


 コジロウは足音を響かせながら近づく。


「ヴァンパイアは人の血を飲まないと強くなれない。人の血を飲まないヴァンパイアは、やがて飢え死ぬ。お前、どのくらい人間の血を飲んでいない? その飢餓感きがかんたるや、人間の断食に勝ると聞く。いい加減、限界なのだろう。素直に認めたらどうだ」


 コジロウが十字架を向けると、彼女の歯が恐怖に震えた。


 彼女は下位のヴァンパイア。

 おそらく人間の血を集めるためにヴァンパイア化させられた。

 人間のとしての自我を十分に残しているから、紅月のヴァンパイアに出会ったのは最近だろう。


 今日まで吸血衝動を抑えてきたらしいが、コジロウも言ったように、気が狂いそうになるほどの飢えがつきまとう。

 加えてケーキ屋という人間に囲まれた空間で働いている。


 そろそろ限界なのだ。

 精神も、肉体も、喉の渇きも。


「お願い……私を殺して」


 彼女の人間の部分がいう。


「もう無理。いつか家族を食べちゃう。だからその前に私を殺して。その銃で。まだ弾は残っているのでしょう。嫌なのよ、もう。生きているのが辛い。こうして話すのも苦しい。息をするのさえ辛いのよ」


 雨は降っていないのに、地面に黒い染みが落ちてきた。


「日本だったら平和と聞いていたのに。そんなの、嘘よ。だって、あいつ、私の部屋のベランダから……」

「教えてくれ。紅月のヴァンパイアはどこにいる?」

「知っていたら、とっくに教えている!」


 コジロウは十字架をコートの奥にしまった。


「そうか。本当に知らないんだな。実に残念だ」


 ヴァンパイアは人を襲い仲間を増やす。


 だから危険なのだ。

 御岳森クラスの街なら、たるのリンゴが腐っていくみたいに、あっという間にヴァンパイアの巣窟そうくつにされるだろう。


 初期で抑え込む。

 それに失敗した街は、すべて地図から消えてきた。

 この御岳森も三ヶ月後には地獄に様変わりしているかもしれない。


 目の前の彼女もそうだ。

 放っておけば鼠算式ねずみざんしきに仲間を増やしてしまう。

 だからこそ……。


「お前は殺さない」


 コジロウは銃を引っ込めた。

 代わりに金属製のケースを取り出し、彼女に見えるよう開封した。


「注射器だ。中にはオリジナル血清が入っている。お前がまだ人間の血を吸っていないなら、人間に戻れる可能性がある。だから、天に祈れ。それでも無理なら、俺が責任を持ってお前を殺す。そして紅月のヴァンパイアも殺す」


 コジロウは慣れた手つきで針をセットした。


 頼む、効いてくれ。

 一抹いちまつの願いを込めつつ、盛り上がった彼女の血管に打ち込む。


 オリジナル血清といえば格好いいが、その実は効き目が怪しいサンプルだ。

 本格的な血清を作るには金も時間も設備も不足している。


 目の前で苦しんでいる誰か一人を救う。

 それが若いエクソシストの限界ともいえる。


 結果はほどなく判明した。

 血走っていた彼女に瞳に落ち着きが戻ったのである。

 隆起していた血管は引っ込み、猛禽類のような爪も人間のそれに変わっている。


 長らくの緊張から解き放たれたコジロウは、ようやく年相応の笑顔を浮かべた。


 あとは救急車に任せればいい。

 彼女が楽に呼吸できるよう上を向かせて、スマホを取り出した。


「ええ、山道があるところです。若い女性が倒れて、苦しそうにしています。近くにカーブミラーの破片が飛び散っているので、何かトラブルに巻き込まれたかもしれません。目立った出血はありませんが、顔色がかなり悪いです」


 電話を切り一息ついたコジロウは、転がっていたケーキの袋を拾い上げると、救急車のサイレンが近づくまで待ってから、その場を立ち去った。

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