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「お父様ああああああ!」


 イアンに考えがまとまるまでは伯爵家へ帰らせてほしいと告げで、王都にあるアリスト伯爵家へ帰ったティーゼは、挨拶もそこそこに父親の書斎に飛び込んだ。


 けれどもそこには誰の姿もなく、何事かと部屋から出てきたハーノルドを捕まえて問いただせば、今朝方領地へ戻って行ったという。


「逃げたわね!」


 ティーゼは地団太を踏んだ。


 ハーノルドがそんな姉にあきれ顔で、いったい何があったのだと訊ねてきたので、ティーゼはイアンから聞いたことの顛末を包み隠さずぶちまけた。


「……なるほど。父上の様子がおかしいとは思っていたけど、そんなことがあったのか」


「いっぺん締め上げないと気が収まらないわ!」


「それは今度にすれば? 領地までどれだけかかるかわかってるだろ?」


「なんでハーノルドはそんなに冷静でいるのよ!」


「父上が何かやらかすのは昔からだから。考えなしなところが父上と姉上はそっくりだ」


 一緒にしないでほしい。だけど、「考えなし」であることは今回の件で痛いほど身に染みたので反論できない。


「で? 話し合いはできたの?」


 ハーノルドはちらちのティーゼの手元に視線を落とした。


 ティーゼの手には大きな旅行カバンが握られている。中にはサーヴァン男爵家に持ち込んだ荷物がすべて入っていた。イアンがサーヴァン男爵のふりをしていたとわかった以上、いつまでも男爵家に居座るわけにはいかないので荷物をまとめて持って来たのだ。ノーティック公爵家にいる侍女のフィルマにも遣いをやったので、彼女もじきにアリスト伯爵家に来るだろう。しばらく伯爵家で、今後のことについて考えるつもりだ。


 ティーゼは肩をすくめた。


「話し合いというほど話はしなかったけど……、今まで知らなかったことが知れて、ちょっとはすっきりしたわ。ただ、これからどうするかについては、まだ答えが出せないから……しばらくはここにおいてもらうわね」


「それは別にかまわないけどね。嫁いだとはいえ、姉上の家でもあるんだから」


 ハーノルドはそう言って、ティーゼから鞄を取ると、ティーゼが嫁ぐ前まで使っていた部屋まで運んでくれる。


 てっきり「離婚するな」「公爵家へ帰れ」と言われるかといたティーゼが拍子抜けしていると、ハーノルドは階段をのぼりながら肩越しに振り返った。


「なにぼけっとしてるの?」


「えっと……、公爵家へ帰れって言わないのねと思って」


「言わないよ。姉上は考えることにしたんだろ? 暴走して突っ走るんじゃなくて、冷静になって考えるなら、僕は姉上がどんな結論を出そうと反対しないし」


「そうなの……?」


 ティーゼはきょとんとしたが、思い返してみれば、ハーノルドはいつもこうだった。ティーゼが後先考えずに暴走しているときは止めようとするが、冷静なときはティーゼの考えを尊重してくれる。いつの間にか弟が自分の味方ではなくイアンの味方になっていたような淋しさを覚えていたけれど、根本的にハーノルドは変わっていなかったようだ。


「夫婦関係なんて最終的には夫婦の間で話し合って解決するべきだ。二人が納得して離婚を選ぶなら別に僕はかまわない。もちろんこの五年間、僕たちを助けてくれた義兄上には感謝しているし、僕は義兄上が好きだけどね。だけど僕が義兄上を好きで、うちにとって恩があるからといって、姉上に我慢を強いるのは違うと思うし」


 いつまでも玄関ホールで立ち尽くしてないで、さっさとおいでよと少しぶっきらぼうに言いながら、ハーノルドは残りの階段を上っていく。


 ティーゼはなんだかおかしくなって、すっかり大きくなった弟の背中を追いかけた。

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