17

 サーヴァン男爵家に侍女のフィルマが慌ててやって来たのは、それから二日後のことだった。


「奥様、ハーノルド様が公爵家へいらしています」


「え? なんで?」


 急いでいるからと応接間にも入らず、玄関先で用件を告げたフィルマに、ティーゼはきょとんとして首をひねる。


 フィルマは額に手を当てて、大きく息を吐き出した。


「なんで? ではございません。奥様が妙な手紙を書いたのではないですか? ハーノルド様は『姉上から意味のわからない手紙が届いた!』とおっしゃっていましたよ。今すぐにあわせろとおっしゃるので、外出中と言って待っていただいています。急いで公爵家へお戻りくださいませ」


 普段手紙など書かないくせに、いったい何を書いたんだとフィルマがじろりと睨んでくる。


(妙なって、妙なことなんて何も書かなかったけど……は! わたしだけノーゼン先生に飴をもらったから怒ってるのね!)


 大変だ。三つもらった飴のうちの、一つはまだ残っているから、それを持って今すぐにハーノルドの機嫌をなだめなくては。


 ティーゼは執事のポールにサーヴァン男爵が帰宅するまでには戻ると告げて、部屋に戻って飴を掴むと、フィルマに急き立てられるようにして公爵家の馬車に乗り込む。


「ハーノルド、ちゃんとあなたの飴もあるわよ!」


 ノーティック公爵家へ戻るなりそう叫んでサロンに飛び込めば、一つ年下の弟は、怪訝そうに眉を寄せた。


「……何の話をしているですか、姉上」


 久しぶりに会うハーノルドは、すっかり大人の顔になっていた。昔は女の子のように長かった淡い金髪も短くなっている。綺麗なラピスラズリ色の瞳は変わらないが、昔のように頼りなさそうな光はない。父について領地経営を学んでいるというから、伯爵家を継ぐ自覚が生まれたのだろう。


「え? わたし一人が飴を食べたから怒ってるんでしょ? はい。一つしかないけど、許してくれる?」


 飴の包みを渡すと、ハーノルドはコロンと手のひらに乗った飴に視線を落として、大きなため息をつく。


「姉上、僕はもう、小さな子供ではないんですが」


「知ってるわよ。だってあなた、もう十九歳だもの」


「……年齢の話ではなく」


 ハーノルドは「まあ、姉上がくださったので」と言いながら飴を口の中に入れて、懐から淡いピンク色の封筒を取り出した。


「今日はこの手紙についてお伺いしに来たんです」


「だから、飴でしょ?」


「飴はもう忘れてください」


 埒が明かないと首を振って、ハーノルドはメイドがティーセットを用意して応接間から去ると、封筒から手紙を取り出した。


「僕が訊きたいのはここです。なんの冗談ですか。この『離婚することにしました』って。僕しか読んでいないからいいものの、母上が読んだら卒倒しますよ」


「え? 冗談じゃないわよ」


「……わかりました、姉上。まず。いったい何がどうなっているのか、詳細を教えて頂けないでしょうか?」


「詳細って言われても……、書いたままなんだけど」


「義兄上はお仕事ですか?」


「たぶん」


「たぶん?」


「よく知らないの」


「…………姉上は、きちんと公爵夫人をやれているんですか?」


 ハーノルドはものすごく不安そうな顔になった。


「どういうこと?」


「女主人として、公爵家を管理できているのですかと言っているんです。夫の行動もわからないなんて、どういうことですか。そもそも、なんですか、その野暮ったいドレスは。どこに行っていたのかは知りませんが、天下のノーティック公爵の妻がそんな恰好をしていては、ひいては義父兄が笑われることになるとわかっているんですか? 姉上は昔から考えが足らないところがありますが、その姿を見る限り、姉上が公爵家でうまくやれているとは思えません。離婚すると言い出した経緯について、事細かにすべてお話ください」


 穏やかで優しかった弟が厳しい顔で言うから、ティーゼは少しひるんでしまった。じろりと睨みつけてくるハーノルドは、説明しないことには許してくれそうにない。


 ティーゼはあきらめて、公爵家から今までの生活を振り返りながら、どうして離婚しようと思ったのかについて、ハーノルドに語ることにした。

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