今夜、西海岸のコンドミニアムで

春日あざみ@電子書籍発売中

第1話 いつかの思い出

 かつて皆が二十歳であったように、私にも若く瑞々しい時代があった。


 希望に満ち溢れ、根拠もないのにどこまでも飛んでいけるような、そんな浅はかで、素敵な時代。


 そんな日々を、二十歳の私は、アメリカの西海岸で過ごしていた。


 留学先に西海岸を選んだのは「暖かそうだから」。短期留学であったし、たいした頭もない私は、完全に雰囲気とイメージだけでこの場所を選んだ。


 燦々と降り注ぐ、穏やかな日差しの恩恵を受ける海岸のアザラシ。レモンの刺さったコロナビールを片手に、クラブで踊り狂う若者たち。ゴージャスな別荘街で若い女性の肩を抱く、資産家の男たち。少し離れた小高い丘の方には、パラグライダーを操る人々の姿もある。

 そんな華やかな街の日常を横目に学校へ通う私は、さえない、取り立てて特技もない、群像劇の端に位置する樹木のような存在だった。


 スポットライトを浴びることなどない、地味でつまらない二十歳の女。だけどあなたは、有象無象の中に埋もれる私を見つけてくれた。



 あなたと出会ったきっかけは、ひょんなことから入部した、大学施設内で行われている剣道クラブだった。


 現地で暮らす人々と交流する機会がほしくて、思い切って飛び込んだはいいものの、引っ込み思案な私は、なかなか積極的に会話をすることができなかった。


「Hey, do you need a ride? I can pick you up」


 そんな私に、あなたはそう、声をかけてくれた。剣道クラブの稽古場所は、バスや車でないといけない場所にあり、重い防具を担いで行くのは大変で。車を持っていない学生にとって、その申し出はとてもありがたいものだった。


 私を気遣って、さまざまな人が相乗りさせてくれたけど、「毎回迎えにいくよ」と申し出てくれた人は、あなたが初めて。


「いい人だなぁ」と思っていた私は、若くて、純粋で、馬鹿だった。大人になった今ならわかる。あの時すでに、無害そうな顔をした蜘蛛の巣に、足を掬い取られていたのに。


 あなたは、貧乏学生だった。親は立派な企業に勤めているようだったけど、「自分の力で生きてみろ」という厳格な教育方針のおうちで。学費以外の支援はなく、アルバイトをしながら、2LDKのコンドミニアムに住んでいた。ただし4人も同居人がいて、あなたの寝床はリビングの一角の最も安い「スペース」。初めて遊びに行った時は、ただただ驚いた。


 そのうちあなたは、私を食事に誘うようになった。剣道の仲間たちも誘って。お陰でみんなと仲良くなれたから感謝している。でも、気づくと定期的に、ふたりだけの機会が増えていった。


 自分のことを、俺は「Geek(オタク野朗)だから」と卑下するあなただったけど、ユーモラスで、そそっかしくて、笑顔がとても可愛くて。私はあなたといるのが、楽しくて好きだった。でも、あれだけよく一緒に遊んでいたのに。あなたに熱のこもった目を向けられていることに、私はなかなか気が付かなかった。


 多分私は、いい友人のひとりとして、あなたが好きだったのだ。


「アメリカでは、『告白』するなんて文化はないの。何となくいい雰囲気になって、お互いOKだったら、愛を交わすの。だからその気がなければ簡単に体を許してはダメよ」


 そう、友達が言っていたのに。私はあの夜、すっかりその言葉を忘れていた。

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