第六話 尖と尖の遺骨と硝子の生活


 硝子は自分で殺した弟が自宅でくつろぐ恐怖に苛まれていた。

 あの頃より少しだけ成長した姿はかつて硝子が待ち望んでいた姿だ。病気が悪化する不安を抱えながら、でもきっとこの先も成長した姿を見続けられると信じ願っていた。

 確かに願っていたのだ。


 硝子はぐ、と唇を噛んだ。

 そんな硝子の心に気付いていないようで、尖は無邪気に部屋の中をきょろきょろと見回し物色している。

 すると尖は、あ!と嬉しそうな声を上げた。


 「俺のバスケットボールだ!うわー、懐かしい。明日これで遊ぼうぜ。俺結局バスケできなかったからやりた」

 「触らないで!!」

 「うわっ」


 尖がボールに触っている姿を見て、硝子は慌ててそれを取り上げた。

 硝子は涙を目に浮かべて、ふうふうと肩を上下に揺らして粗い呼吸をした。触らないで、やめて、と譫言のように呟いて、硝子は二度と奪われてなるものかと、ぎっちりとボールを抱きしめた。


 「自分で殺したくせに、自分のプレゼントは大事なんだ」


 呆れたように吐き捨てて尖はごろりと横になった。

 しかし狭い部屋は今の尖には狭かったようで、脚が何かにぶつかりがちゃりと何かが音を立てた。

 尖はそれを見て、ああ、と笑った。


 「俺の骨じゃん」

 「触るなああ!!」

 「いってぇ!」

 「尖に触らないで!!触るなっ!!」

 「いや、俺だし」

 「触らないでよお!!」


 ついに硝子は声を上げて泣きだした。わああと子供のように泣き喚く姿はとても成人女性とは思えない。

 尖は何も言わずに硝子の傍に座り、泣き止むのをただ待っていた。


 それから一時間ほど経った頃、硝子はすっかり静かになっていた。

 尖がひょいと硝子の顔を覗き込むと、すうすうと寝息を立てていた。泣き疲れたのだろう。

 尖は隅に積まれた毛布を硝子にかけて、何もせずただ座っていた。


*


 お味噌汁のにおいがして硝子は目が覚めた。

 一体いつ寝たのか思い出せずしばらくぼうっとしていると、ギシ、と床が鳴った。


 「あ、起きた?」

 「……うん……」


 硝子は露骨に嫌そうな顔をして、ぷいっと尖から目をそらした。


 「まあ初日はそんなもんだよな。それより飯作ったから食えよ。そんだけ泣いたら腹減るだろ」

 「……あなたが作ったの?」

 「作らなきゃ無いだろ。つっても、食材何もなかったからそれしかないけど」


 硝子は並べられた食事をじっと睨みつけた。

 具の無いお味噌汁に茶碗に半分も入っていない白米。おかずは何も無くて、たくあんと梅干が小皿に乗せられている。

 これは硝子の毎日の食事風景だ。節約という目的もあるのだが、単に硝子は食べる事に興味が無いので料理をしたくないのだ。

 そして睨んだまま動かない硝子に、尖はため息を吐いた。


 「食べないなら捨てるけど」

 「……あなたは食べないの」

 「え?俺?ああ、俺はこれ食べる」


 硝子はぎょっとした。

 これ、と言って尖が拾ったのは硝子のアレキサンドライト原石だったからだ。そして、止める間もなく尖はぱくりと口に放り込んだ。まるで子供が舐めきれずに噛んでしまうかのように、ガリガリと音を立てて食べている。

 ひとつふたつ、みっつ、よっつ……ぱくぱくと食べ続け、気が付けば硝子の周りには原石が無くなっていた。

 毎日硝子にまとわりついて鬱陶しくて、いつも気分を陰鬱とさせてたまらないそれは消えるのをじっと待つしか無かったのに、どんどん尖の中に吸い込まれていく。

 二十個近い数を食べ続ける様はいっそ清々しい。硝子は呆気にとられて、ぽかんと口を開けていた。

 

 「……食べるの、それ……」

 「ああ。姉さんも食えよ」

 「わ、私はそんなもの食べない!!」

 「じゃなくて、飯」

 「あ、ああ……」


 尖はもう一つ原石をかみ砕きながら、味噌汁冷めるぞ、と笑った。

 部屋のあちこちを調べては原石を見つけ、ひょいぱく、ひょいぱく、とひたすら食べていく。空腹なのだろうか。

 だとしても石を食べて腹を満たすなんてどういうことなんだろうと硝子は首を傾げた。


 けれど、そもそもここに弟がいる事自体が異常事態なのだ。

 これは食事じゃなくて掃除してくれているのだと思うことにして、硝子は尖の作った味噌汁に口を付けた。

 沸かしたお湯に味噌を溶いただけだから料理が上手いも下手も分からないけれど、生前一度も食べた事の無い弟の手料理を食べられるのは嬉しかった。

 尖も硝子と同じ気持ちだったのか、にこにこと微笑んでいた。嬉しそうにしている様子はまだ幼かった頃の尖を思い出させた。

 食べている物はともかく、笑っている尖の姿はほんの少しだけ硝子の心を溶かしていた。


 「その石美味しいの?」

 「いや、別に」

 「……そういえばその石触れるのね。何なのその石」

 「あれ?金緑さんから聞いてねえの?これはあんたの罪悪だよ」

 「罪悪?そういえばそんな事言ってたっけ……それでそれは何なの?」

 「宝石」


 からかっているのだろうか。

 まるで答える気の無さそうな尖をじっと尖を睨みつけた。


 「俺もよく知らないんだよ。けど本人の心だって楔さんが言ってた気がする」

 「心……」

 「そー。磨けば宝石になるんだよ、これ」


 心。

 それはどこかで聞いた言葉だ。


 『僕が欲しいのは君の心だ』

 『君のことは僕が磨いてあげるから』


 硝子は金緑がそう言っていたのを思い出した。

 金緑は硝子のアレキサンドライト原石を手に取っていた。


 (ようするに、この石が欲しかっただけ?)


 硝子はぶるぶると拳を震えさせた。

 まるで愛を囁かれたかのようなあの瞬間は人生で一度も感じた事の無い温かい気持ちになったのに、おたついている硝子を笑っていたのだ。

 怒りを露わにする硝子を見て、尖はしまった、というような顔をした。

 

 「……それで、心がどうして触れない石になって出てくるの」

 「その仕組みは金緑さんに聞いてくれよ。楔さんは目印だって言ってたけど」

 「目印?何の?」

 「宝石持ちの」

 「分からないわ。何よ宝石持ちって」

 「俺も分からねえって。それよりさ、一緒に食事するの久しぶりだよな。最後の方はずっと病院だったし」

 「……そうね。初めてじゃないかしら」

 「俺ずっと姉さんと一緒に食事したかったんだ。やっぱ家族で過ごせるのっていいよな」


 ははっ、と尖は嬉しそうに笑った。

 硝子は愛しい弟の成長した姿に絆されそうになり、ぷいっと目をそらした。


*


 深夜二時を回ったころ、硝子は背中に何かがぶつかって来て目が覚めた。


 眠い目を擦りその正体を見ると、体を丸めた尖が硝子の背中にくっついていた。

 子供の頃、尖はよくこうして眠っていた。寝返りをうって背を向けるとぴったりくっついてくるか、赤ん坊の頃はよじ登ってまで硝子の腕の中に納まろうとしていた。

 身体は大きくなったけれど変わらない姿はやはり可愛くて、硝子は尖の頭を撫でてさっき言っていた言葉を思い出す。


 『俺ずっと姉さんと一緒に食事したかったんだ』


 硝子は働いているから病院の定めた食事の時間になんて間に合うわけも無くて、尖はいつでも一人だった。

 だから尖はいつも言っていた。 


 『おうちでお姉ちゃんと一緒にご飯食べたいよお……』


 病院もうやだ、と言ってよく泣いていた。

 身体ばっかり大きくなって、と言いたかったけれど、言って良いのか分からない。何しろ尖は既に死んでいるのだから。


 「……あなたは本当に尖なの……?」


 生前の尖と同じことを言うこの少年を信じて良いのか、信じたら何が変わるのか、信じなかったら何か失われるのか、硝子は何も分からないまま考える事を放棄して少年を抱きしめた。

 それと同時にころりと硝子の原石が溢れて零れ、それは宝石らしい輝きが増していた。

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