幕間・魂の庭の休日

恋の架け橋

「ねえ恋火さん。何を読んでいるんですか?」

 風楽の弾むような声が響く。恋火に話しかける彼はいつも楽しそうだ。

 二人は魂の庭ガーデンにいた。色とりどりの花が咲き誇る花畑。ちょうどいい置き岩があったので、恋火はそこに座ってレッドから借りた本を読んでいた。記録の大樹ツリーの傍の浮世の鏡シアターにいるレッドだが、どうやら彼は司書という役割を担っているらしい。司書という静謐なイメージのまったくない人物であるが。

 五感で自然を感じながら、本を読む。こうやってのんびり過ごすのも悪くない。恋火は風楽の何を読んでいるのかという問いかけに対する答えを述べる。

「文字」

「くっ。またそうやってわかりきっていることを」

「事実を言っただけ」

「どんな本ですか? 恋愛小説とか?」

「似たようなものかな」

「内容は?」

「戦場を渡り歩き、人を殺し、仲間を殺されながら、未知の新人類を探す話」

「それのどこが恋愛小説なんですか!?」

 風楽は子供みたいにコロコロ表情が変わる。とてもからかい甲斐のある相手だ。

「そうそう恋火さん。見てくださいよ、これ」

 風楽はそう言って両手を前に差し出した。茎と花を繋ぎ合わせて作られた輪っか。花冠だ。

「うん、見た」

 恋火は読書に戻る。

「ええっ!? なにか反応してくださいよ。一生懸命作ったんですよ」

 恋火は風楽の声に再び顔を上げる。

「どうするの、それ」

「こう、するんです」

 風楽は近寄って恋火の頭に花冠を被せた。それから少し距離を取って、出来栄えを観察する。

「うわー、やっぱり似合う。お美しい。これはインチュタ映えですね」

「インチュタ映え?」

 恋火は被せられた花冠を外した。

「ああっ、どうして取っちゃうんですか?」

「だって、チクチクする」

 その時、二人の近くを何かが横切った。見ると、それはタヌキの顔をしたタヌキだった。まるでタヌキ。いや、むしろタヌキそのもの。タヌキは暇すぎて頭がどうかしたのかはわからないが、なぜかつま先立ちをしながらテクテク歩いていく。

 恋火は何気なくタヌキを目で追っていった。すると、その方向に白い服を着た一人の人間がいた。向こう側の地面が途切れている崖のような場所で、じっと佇んでいる。

「ねえ風楽」

「はい」

「あの人、何してると思う?」

 風楽は恋火が示したほうを向いた。

 その間、崖前で立ち尽くす人物は一歩たりとも動かない。

「もしかして、崖から飛び降りようとでもしているんですかね」

「訊いてみようか」

 恋火は立ち上がった。ちょっと体を動かしたい気分だった。

 近くまで行くと、その人物が青年の外見をしていることがわかった。彼の前には大地の割れ目ともいうべき絶壁の谷間がある。崖を挟んだ数十メートル向こう側に対岸が見える。

 恋火たちが近づいていくと、青年が振り返った。年齢は二十前後だろうか。

「こんにちは」

 青年が挨拶した。恋火は小さく会釈で返す。

「ダニエルです」

 訊いてもいないのに青年は自分から名乗った。恋火と風楽も名前を告げた。

「ダニエル。あなた、こんなところで何をしてるの?」

 恋火が尋ねると、ダニエルは少し困ったような顔になった。

「ずっと向こうを見ていましたよね。何かあるんですか? ……あっ」

 風楽が何かを見つけたらしい。

 恋火も風楽が見ている向こう岸を向いた。そこに、人影が見えた。崖のすぐ手前、今にも落ちてしまいそうな位置に、女性らしき姿が見える。

「あの人を見ていたんですね」

「ええ」

 ダニエルははにかむように俯いた。

「あの人があそこで何をしているのか気になってしまって」

 そう話すダニエルはなぜか後ろめたそうな表情だ。

「ずっと、動かないんだ。あそこから。そのうち、もしかして、僕のことを見ているんじゃないかと思えてきて」

 顔を赤らめながらダニエルは言った。

「そう思うと余計に気になって。どうしてもこの場から離れられなくなったんだ」

「もしかして、恋をしたんですか?」

「恋? いや、そんな」

「会おうとは思わないの?」

「えっ? だって、この裂け目どこまで続いているかもわからないし。僕が移動して目を離している間に彼女はいなくなってしまうかもしれない」

「じゃあ造ればいい」

「えっ? 何を?」

「橋」



 それから恋火と風楽はダニエルに協力して一緒に谷に架ける橋を造り始めた。時間ならある。ここには永遠の時があるのだから。

 橋を造っている間も、向こう岸の女性は一歩も動かなかった。恋火は自分の見解をダニエルに告げてもよかったのだが、彼は自分で知るべきだと思った。答えを教えるのは簡単だ。だけど、答えだけが全てではない。それに、もしかして彼は既に知っているのかもしれない。

 橋は少しずつ、少しずつ、大きくなっていった。恋火と風楽がその場をあとにしても、ダニエルは一人で橋を造り続けた。

 彼は何のために橋を造っているのだろう? 向こう岸の彼女に会いたいがためか? それとも自分の気持ちを知るためか?

 ある時、恋火と風楽がその場所を通りかかると、橋がついに向こう岸まで到達していた。ダニエルはやり遂げたのだ。

 ダニエルは橋の傍の地べたに座っていた。

 風楽が彼に声をかける。

「やっと橋が完成したんですね」

「ああ」

 ダニエルの返事はあまり嬉しくなさそうだった。

「どうしたんですか?」

「彼女に会ったのさ。ずっと会いたかった彼女に」

 恋火と風楽は向こう岸にいる女性を見た。

 ダニエルは、どうぞ、というように手振りで橋を示した。橋を渡って彼女を見てこいということらしい。

 木で造られた立派な橋だった。

「ねえ風楽」

「はい」

「手、出して」

「手? こうですか?」

 恋火は風楽が差し出した右手を握った。

「怖いわけじゃない」

「ふ、ふふ。わかっていますよ」

 恋火と風楽は手を繋いで橋を渡った。恋火は高所恐怖症のため本当は渡りたくなかったのだが、確かめておきたいことがあった。

 橋を渡り切り、崖の近くで佇んでいる女性に近づいていく。

 女性は動かなかった。それもそのはず。女性は石像だった。女性の姿を模した石だったのだ。

 恋火と風楽は再び橋を渡り、ダニエルのところに戻った。

「笑ってくれよ」

 自嘲気味にダニエルは言った。

「僕は、石像に勝手に恋をしてたんだ。あんな石っころに会うために一生懸命橋を造ってたんだ」

「そうみたいね。それで、その恋は実ったの?」

 ダニエルは恋火の問いかけに驚き目を見開いた。

「実るわけないだろ。相手は石像なんだぞ」

「じゃあ、失恋したの?」

「ああ。見事に」

「そう。でも、それも恋。叶わないことだってある」

 ダニエルは恋火を見ながら何度かまばたきを繰り返す。

「あなたの気持ちは嘘じゃない。あの時感じた気持ちは本物」

 ダニエルは恋火の言葉を咀嚼するように押し黙った。

「それでいいでしょ」



 恋火と風楽は、草原の芝生で寝転んでいた。自然を感じるままに身を任せていた。

「ねえ恋火さん」

「なに?」

「恋火さんは今、恋していますか?」

「恋? どうだろう」

「僕は今恋していますよ」

「へえそうなんだ」

「誰に、とか聞きたくないんですか?」

「聞いてほしいの?」

「はい」

「誰に?」

「あなたに、です」

 風楽の手が恋火の手に触れた。

 何か言い返そうかとも思ったけど、まあたまにはいいかと思ってそのままにしておいた。

 風が、気持ち良かった。

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