ゴキブリ短編集

月澄狸

ファンタジーでよくある「正体を明かすシーン」をゴキブリでやってみた

「なぁお前、人間じゃないだろ?」


 放課後の校舎内でクラスメートの男子から突然投げかけられた問い。不意打ちのような言葉に少女はビクッと身を震わせ、横を向いて視線を遠くに向けた。


「俺、見たんだ。夜、全速力で町を走っているお前の姿を。……驚いたよ。いつもはビクビク、コソコソしているか、教科書に隠れて居眠りしているか、そういう印象しかなかったからさ」


「……」


 少女はチラリと少年の方に目をやったが、また視線をそらしてしまった。いつでも逃げられるように準備を整えているようでもある。


「走るお前の姿が生き生きとしていて……正直ドキッとした。もったいないよな。お前あんなに運動神経良いのに、体育の時間だっていつもヨロヨロ動くだけじゃん。本当は運動できるのに、なぜ隠してるの? いつものだるそうな姿も演技ってこと?」


「……演技じゃない」

 少女はか細い声で答えた。

「私、夜しか力が出ないの」


「なるほどな」

 少年はニヤリとした。


「あの走り方……スピード……どう見ても人間のものじゃなかった。それに夜しか力が出ない、と。つまりそうなんだろう。お前は……人間じゃないってこと」


「う……」

 少女は言葉に詰まった様子だった。


「急に秘密に突っ込んで申し訳ない。何もお前を問い詰めようとか、どっかに突き出そうとか、そういうつもりじゃないんだ。お前が人間じゃないことを知った上で……ずっと言いたかったことがあるんだよ」


「……な、何?」

 見当がつかないといった様子で少女が尋ねた。


「好きだ。付き合ってくれ」

「……」


 少女は絶句した。そして次の瞬間、悲しそうな顔をした。


「ダメだよ。私の正体を知ったら、絶対私のこと嫌いになるから」


「いや、嫌いにならない。良いじゃないか、人間じゃなくても」


「嘘。私の本当の姿を見て逃げ出さなかった人はいない。それに私、何度も人間に叩かれかけたもの。仲間が叩かれたのも見た。それで逃げて逃げて、そのうち人間に姿を変えて生き延びる力を身に付けた」


「俺は他の人間みたいなひどいことしない」


「何よ! 人間は口でばっかり綺麗事言うんだから。それなら見れば良いよ……私の本当の姿を」


 そう言うと、少女の艶やかな黒髪から、天井に向けてすぅっと二本の線が伸びた。背中からは黒い羽、腰のあたりから一対の虫の脚が現れる。


 少女はみるみる異形の者へと変貌を遂げた。その姿はなんと……人間大のゴキブリだった。


「どう? 醜いでしょ。汚いでしょ。人間が最も忌み嫌う存在……それが私の正体。さあ、この姿を見てもさっきと同じことが言える?」


 少女だった者……ゴキブリの化け物は少年を嘲笑うかのように言った。しかし強気な口調とは裏腹に、その脚は小刻みに震えている。


「……」


 少年はツカツカと巨大ゴキブリに歩み寄り、尋ねた。

「お前の正体ゴキブリだったんだな。なんでこんなに大きいんだ?」


「私は逃げたり隠れたりし続けて何百年も生き延びた。それで妖怪になったみたいなの」


「だとしても外骨格の昆虫が、成虫の姿のまま大きくなることはないだろう。昆虫は脱皮で育つ。最終形態である成虫はそれ以上大きくならない。百歩譲って長年生きて妖怪になったことは理解できるとしても、人間大の大きさに成長するというのは理屈が……」


「そんなことどうでも良いでしょ! それより……どうなのよ」

 ゴキブリが返事を促した。


「うん。さっきと同じこと、言えるよ。俺と付き合ってくれ」


「……な、なんで……?」

 その答えをまったく予想できなかったのか、ゴキブリがたじろいだ。


「なんでだろうな。なんというか、お前見てると、『世界のすべてが敵』みたいな重くて暗いオーラを感じるんだけど。ところどころ仕草が可愛いんだよな。丁寧に髪を整えているときとか、なんでもすごい嬉しそうに食べるところとか、物陰に隠れていると落ち着くらしいところとか。今思うと、人間にはない可愛さだったのかな……そういうものを感じてた」


「……そんな、私が可愛いわけが……」

 ゴキブリは信じられないといった様子で、早口にボソリと呟いた。


「今、お前がゴキブリだと知ってますます……こう思った。俺はお前を守りたい。たとえ世界のすべてがお前の敵だったとしても」


「……!」

 ゴキブリは怯んだように少し後ろに下がった。


 そのまま両者無言で、しばらく時が過ぎた。

 少年が口を開く。


「ダメか? ……信じられないよな、人間のことなんて。でも俺、いつまでも待ってるから。もし俺のこと信じられると思ったら……」


「……ぃ」


「え?」


「信じても……いい」


「……そうか」


 しばらくの無言ののち、少年はゴキブリに歩み寄り、そっと抱きしめた。


「ありがとう。俺、必ずお前を守るよ。……その代わり、今後お前の衛生管理は俺が徹底的に行うからな」


「……はい……」

 ゴキブリはうっとりとした目で返事をした。


 そろそろ日没。ゴキブリたちの時間だ。

 数多のゴキブリたちを優しく包み隠してきた夜が、二人を祝福するかのように、静かに街を飲み込んでいった。



【完】

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