第二幕 Il Presentimento 《予感》

Episodio 3 Il Ragazzo 《少年》

 半年ほど、時はさかのぼる。沈丁花じんちょうげの淡い色が家々の庭を飾る春先に、ロレンツォはロムルスに現れた。その時には既に、王宮の間でちょっとした話題に挙がっていた。何せ、二か月ほど前に届いた自薦状の消印がクラヴァト村になっていたのだから。


 モンテ・アルピ周辺の街とか村というと、わたしたちは僻地という考えばかりを持っていた。王国北部で最大の街メディオラの半数が狩猟民だと思い込んでいる者さえいるほどだ。それもあって、羊皮紙を開くと流麗な筆記体が現れたという二つの事実が、宮廷に珍奇な噂をばらまいたのである。


「北の国に、洗練された田舎人がいる」


 多くの者が口々にそう言った。いくら自薦状の文字がきれいだからといって、ちょっとばかりませただけの田舎者に違いあるまい、その程度の認識だったのである。


 時を同じくして、ロムルスに集まる御抱え画家ピットーリ志望の者たちの世話担当が振り分けられた。千五百枚を超す自薦状、推薦状の中から選ばれた三百人が、王宮周辺に集まることになる。王都で暮らしている者もあれば、ロレンツォのように田舎から『わざわざ』出てくる者だってある。彼らのために宿舎を用意し、また彼らの世話をしてやる必要があった。


 建築組合もこのところ多忙を極めている様子だった。魔法師が監督をしているとは言え、三百人の客人を住まわせられる数の宿舎を用意するのは、厖大な資材と資金と人員と、宿舎を建てるだけの場所が必要になる。


 組合頭は結局、『巨人の小さな家カーザ・ピッコロ・ダル・ギガント』方式をとることにしたらしい。建物の内部の空間を魔法で大きくするこの手法は、幾つかの魔法を強力に重ね掛けする必要があるが、その他の点を考慮するとこれが最適だという結論に達したらしい。


 とにかく、街に集まる画家たちをもてなすための人員を、王宮から出さねばならないことになった。王宮に努める者達の数を勘案して、一人で画家五人の世話をするのが良かろう、ということになった。


 まずは、学芸係長ヨセフを除く九人の王宮学芸係――ヨセフは試験理事だったからだ――を、次に葵離宮に努める宮仕を三十人あてがった。最後に、国王サムエル五世のもとから二十一人の宮仕を、ヨシュア自ら父に頼み込んで連れて来た。彼の神経の図太さというか、胆力には学芸係一同舌を巻いた。それで人員が集まったので今度は部屋の割り振りとか誰が誰を担当するとか言う話になったのだが、多くの者が好奇心から、というか野次馬感覚から例の田舎人の担当を申し出てきたので、これもかなり大混乱に見舞われたらしい。最終的には、年が一番近いからという理由でわたしがロレンツォの世話役にあてがわれることになった。



 陽の落ちかかった頃合いに、黒毛の馬に乗った見るからに粗暴そうな若者が王宮を訪ねて来た、という報告があった。わたしはもしやと思い、正門に行った。そこには、厚紙にペンでスケッチをしている男がいた。


「もしかしてあなたは、御抱え画家を志望されているロレンツォ殿でしょうか」


「いかにも」


 彼はにこやかに答えた。北部特有の訛りがなかったことにわたしは少し面食らったが、すぐに宿舎に案内した。


 彼はかなり気さくだった。どうして今回の選抜に挑戦しようと思ったのかとか、故郷の話、友人の話、自分の絵画の話……。私が訪ねると、彼は軽快な口調で答えた。王宮の者はあなたを『ませた田舎者』と思っているようです、と私が言うと、


「まったくもってその通りですよ」といって笑い飛ばした。


 宿舎の前で馬を下り、扉の内側を見た彼は『小さな家』の様子にかなり強い興味を示したらしい。扉から出たり入ったりして、そこに掛けられている魔法に感心しているらしかった。


 だが馬に括り付けてあった、しなびた革袋にわたしが手をかけたのを、彼は見逃さなかった。鋭い視線が向けられた気がして彼の方を見るのと、燃え盛るばかりの怒気が瞳から消えたのは、殆ど同時だった。


「いや、その袋は自分で外すよ。中には画材が入っているんだ。十年以上使っている大切な画材がね」


「それは……失礼しました」


「まあいい、気にしないでくれ。俺も言っていなかったし、お互い様ということにしておこう。それから君、見たところ俺と年が近いだろう」


「ええ、ふたつ上です。今年二十一になります」


「ならば年は誤差だ。敬語など使う必要はない。それから敬称もなし、ロレンツォと呼んでくれ。俺の方が慣れないんでね。お偉いさまの間じゃあ言葉遣いには大層気を使うのだろうが、最終試験までの期間とその後を考えると長い付き合いになる。ここではそういった気遣いはナシだ」


「わかった。じゃあそうしよう、ロレンツォ」


 話が早くて助かるよ、と真っ黒な髪の毛が揺れた。わたしは彼の尊大なさまにかなり動転していた。最終試験までの期間とその後――つまりこのロレンツォという男は、書類審査を通った時点で、御抱え画家の地位を確信していたのだ。大層な自信家と言うべきか、あるいは単なる傲慢か……。


 この若者の性格を図りかねながらも、わたしはある確信に近い直観を持っていた。彼は社交性に溢れているとはいったものの、王宮で活躍するほどの芸術家にはなれまい――話しぶりとしては申し分なかろう。だが会話の途中途中からにじみ出る言葉遣いの粗さと無教養は隠し通せるものではない。


 加えてロムルスにあるべき画家としては、彼は些か見劣りするところがある。無精髭こそないが、癖の強い黒髪が肩まで伸びきっている。服装も簡素なシャツと色褪せたズボン、そして履きつぶしたブーツと、まさに農夫とか労働者然としたものだ。王都の芸術家たちは、職人という比較的低い地位にありながらも、社交の場にはそれなりに整った服装で出入りしている。この男が今のままの服装でその場にゆこうものなら、たちまち陰口と嘲笑の的になるだろう。


 よくいえば純朴だが、それは王宮では粗野と受け取られかねない。もし皇子の下で働く身分を得たとして、それがいつまで続くだろうか。


 一次試験の作品提出締め切り日を改めて確認した後、私はその場を辞した。王宮の星読塔アストロトッレの窓から明かりが漏れている。既に陽はとっぷりと暮れていた。

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