黒き翼の大天使~第4幕~大陸唱覇篇

遠蛮長恨歌

第1話 覇権戦争

 神魔と人間の大戦から、8年が過ぎた。


 まだ神魔の力が人類から失われたわけではないが、それが失われるのだという実感は少しずつ人々の心に沁みていく。クールマ・ガルパにおいて「慈教」という思想哲学……宗教が発生したのもまずその影響と言って良かった。慈教のおしえは「人は自ら助くるものを助く」というもので、それまでの神族依存、魔族依存から脱却した「人間自身の力の見直し」に主眼が置かれる。開祖ナガル・ジーナ曰く、ひとは神魔に頼ることなくして天壌無窮の境地に至ることが可能なのであるから、自ら自分を救うことが可能、と。


そうして、ようやく世界に「自助」という思想が芽生えはじめたころではあるが、だからといって人類の精神性が一気に高みに登ると言うことではないし、それはあり得ない。やはり世の中には愚かな人間のほうが圧倒的に多く、彼らは権力・財物・美しい異性、それらを求めて争いを起こす。それが個人のレベルならまだ許容の範囲かも知れないが、1826年、八葉大陸アルティミシアの各地で争いが起こり、それは各地に飛び火した。


まず最初の戦乱の火種はエッダ正統政府のインガエウ・フリスキャルヴが同国共和政府を滅ぼしたことに始まる。1818年に端緒をはじまり、インガエウとしてはたちどころに共和政府・オクセンシェルナを倒してエッダを平定、他国に牙を剥く予定であったが、武力では大きく劣るもののオクセンシェルナは知略と巧みな外交手腕によって、ときにはヴェスローディア、ときにはヘスティアを味方につけて戦い、インガエウに決定打を繰り出させなかった。


が、それも限界が来て、とうとうオクセンシェルナは拿捕されてしまう。インガエウとしては共和政府は自分から正統の王権を奪った怨敵という意識があり、即刻首をはねたいところだったがそこで助命嘆願をしたのが《雷神》こと賢者ホラガレス。ここまで自分たちを苦しめた仇敵=優秀な男を、はたして軽々に殺して良いものでしょうかとそう嘆願する。インガエウは果断なようでいて移り気な男であり、この言葉に揺れた。使者を使わしてオクセンシェルナ邸に降伏勧告し、オクセンシェルナは民の命の保全を条件にインガエウに従うと決める。


エッダを統一した(辺境、トルゴウシュテはヘスティア領になっており、迂闊に手が出せない)インガエウの次なる目標はヴェスローディアだった。南方桃華帝国への侵略戦争に余念がないヘスティアと攻守同盟を結んで後顧の憂いをなくしたインガエウは西方に軍を向け、神剣の猛将は聖盾の王女に戦いを挑む。


ヴェスローディア女王、エーリカ・リスティ・ヴェスローディア・ザントライユは当然ながらに腹を立てたが、そこで思考停止するほどバカではない。スパイ網を駆使して調べ上げたエッダ=インガエウ勢の弱点を容赦なく突くことにする。まず、きれいな水が少ないこと。黒森ダキアのトルゴウシュテという例外はさておき、エッダにはきれいな水源が少ない。しかし彼らはそれを使わざるを得ない。となればエーリカは容赦なく。


「毒を流しなさい」

 そう言った。彼女は自国の国土と自国の民を守るためなら、どんな残酷な術策も平然と打てる非情さをこの8年で身に着けていた。政治の世界の汚さが彼女をこうしたというか、もともとの彼女の性格の苛烈さが覚醒したというべきか。


進軍するそばから、後方で民がつぎつぎと倒れるという現実を見せつけられたインガエウ。もはや水資源を国内で確保することは当分、不可能というところに、エーリカはさらなる手を打った。エッダと国境を同じくするラース・イラ、ヘスティアに働きかけたのである。慈悲芯の強いラース・イラ女王エレオノーラやエッダと友好的なヘスティア皇帝オスマンは避け、ラース・イラ宰相ハジル、ヘスティア宰相ムーサー・イブラヒム・パシャ、この二人に説いてエッダへの水の支援を止めさせた。ヘスティアはともかく八葉の中心に位置するラース・イラは水資源が豊かとはいえず、ヴェスローディアにへそを曲げられては困る。ハジルは素早く損得を計算してエーリカの要求を飲み、大陸最強国家の宰相の動向を見てムーサーもそれに倣った。


 水という人間の生命維持にもっとも重要なものを扼されては戦争の継続などできるものではない。インガエウは歯噛みして軍を引く。殿には新入りのオクセンシェルナを置いたが、これがエッダ=インガエウ陣営の致命傷となる。逆襲のヴェスローディア軍は女王エーリカを先頭に戦場を突っ切ってきたが、オクセンシェルナ隊を認めたエーリカはすぐに下馬すると師父に対する礼をとり、彼をヴェスローディアに迎え入れた。これによりヴェスローディアの陣容はおおいに強化されることになるのだが、インガエウの頭の中では無能な惰弱が一匹減った、というだけの認識だった。この傲慢と武威偏重の考え方は、のちに彼の足をすくうことになる。


 この動向を横目に、ヘスティアも動いた。狙うは桃華帝国北方の肥沃な穀倉地帯中原。国土と人口こそ桃華帝国、アカツキに匹敵するヘスティアだが、実質的にその国土は痩せており、民を十全に養うに足りない。先帝までは民に我慢を強いて皇族・貴族のみが贅沢をすることでしのいできたヘスティアだが、英主オスマンはそんなことに我慢ならない。国が痩せていて肥やすには100年かかる、ならば戦って獲るしかあるまい。幸いにしてヘスティアには強靱無比の鉄騎隊がある。エッダのインガエウと攻守同盟を結んだのはまさに桃華帝国を攻めるためだった。


 桃華帝国には四方の将軍がいる。鎮北将軍・耿尋、鎮西将軍・岳准、鎮東将軍・王難敵、鎮南将軍・呂燦。このうちまぎれもなくもっとも有能なのが数十年にわたりアカツキとの戦線を維持し続ける呂燦老将軍であり、もっとも経験が少ないのが北方鎮護の耿尋であった。耿尋自身無能なわけではないが先代、耿赫の息子としての期待が大きすぎ、それに応えようとして空回りしがちである。そんな北の守りの不備を、オスマンが見過ごすはずもなかった。


「全軍突撃、女神は偉大なり!」

「「「女神は偉大なり!」」」

 既にヘスティアの主神・女神ウルリカは神界に帰還して久しいが、ヘスティアの将兵にとってこれはどうでも良い。この文言はあくまで勇気を奮い立たせるためのもので、女神がそこにいようがいまいが関係なかった。最近ではオスマンその人を神格化して、アクバル(偉大なるもの)という尊称で呼ぶこともある。


 かくて30万の鉄騎が中原になだれ込む。耿尋とてなんの策もなく粉砕されたわけではなかったが、用意した策はすべてオスマンの神速の用兵によって粉砕された。単騎逃れて帝都に危急を知らせようとした耿尋だが、軽装突撃騎兵隊を率いる女武将ーー旧トルゴウシュテ領主、現ヘスティア皇妃シュテファン・バートリにより捕縛された。このため帝都への報告は2週間遅れ、その2週間が桃華帝国にとって致命的なものとなる。2週間後手に回った結果自国が危急存亡の秋に立たされていることに気づいた皇帝・趙瑛は上皇・趙公謹に諮ったが、父は北狄襲来に怯え狼狽えるばかりで役に立たない。


「蒙塵する……!」

 やむなく、そう言うほかなかった。こういうとき最も忠義厚く、能力的にも間違いないのは鎮南将軍・呂燦なのだが、彼が皇女の信任を受けて強くなりすぎるのを恐れた側近は南方への都落ちを否定、ラース・イラからの支援を受けやすい西方鎮に向かうべしと主張し、趙瑛もそれに従った。


 そして。


 ラース・イラ騎士団第一師が桃華帝国の援軍に出征、ヘスティアと交戦を開始したその頃。


 その南、アカツキと桃華帝国の戦いも、ひとつの局面を迎えつつあった。


 桃華帝国鎮南府の精兵数万はアカツキ軍を追撃するうち分断され寸断され、いつの間にか数百数千の細切れにされた小部隊にされてしまっていた。


「よーし、各個撃破。無理すんなよー、みんな」

 ぽへゃ~ん、と。


 あまりにも覇気のない声が、戦場によく通る。少女のそれかと思うような高い声だが、それが齋らした効果は絶大だった。それまで逃げに徹していたアカツキ軍は有機的に組織だった動きで転身、細切れの桃華帝国軍を襲う。この戦局におけるアカツキの兵力は8000、数万の桃華帝国軍の前に、数の上ではまったくといっていいほど勝負にならないはずだったが、蓋を開ければ逆の意味で勝負にならなかった。


「虐殺と暴行はやめとけよ~、しばくからな、そーいうの」

「分かっています! わが軍に戦隊長の命令を聞けないバカはいませんよ!」

 茶髪に褐色肌、道着姿の逞しい男が、そう応えた。


「戦隊長ねぇ~……なんか、しっくりこねーけど」

 戦隊長と言われた銀髪の青年は「うーん……」と言いたげに首をかしげる。青年とは言うものの、顔立ちや表情はまだまだあどけなくいとけない。そもそもの顔の作りが端正で優しげなのもあり、まるで女の子のようですらあった。


「まあ、いつまでも学生気分ではいけませんからね。大佐ともなれば……」

「辰馬サーン、捕虜どーします!?」

「……あのバカ……」

「いや、いーんじゃねーの? お前も昔のままでいーぜ、大輔?」

 戦隊長……新羅辰馬大佐、26才はそう言って微笑んでみせる。8年の年月を経ても、特に辰馬に変わったところはない。


 軍学校卒業後の辰馬は即戦力として対桃華帝国戦線に投入された。同時期に月護孔雀、覇城瀬名といった連中も国軍に編入されたが、彼らがいくら天才だとしても辰馬の前には霞む。本人の将器がすさまじい上、幕下の軍師には神楽坂瑞穗と磐座穣を擁す。人材面で恵まれた上、狼紋・朔方一帯はかつてカルナ・イーシャナを相手に立ち回って慰撫した土地、そしてまた、辰馬は大将・北嶺院文の寵遇を受けていた。天の時、地の利、人の和、三要素がすべて揃っているといえる。この恵まれた環境を背景に、辰馬は8年間で29戦して無敗。まだ大会戦といえるような大戦の指揮は経験がないが、軍上層部からその任に堪えうる人材としての期待をかけられつつある。


「主様ー、伝令でゴザルぅ~!」

「おー、なんだよ、出水」

「新羅辰馬大佐は兵を率いて京師太宰に帰京のこと!」

 8年で体格にさらなる貫禄を増した出水が、息せき切ってそう言った。


「は? そんな、防相はなに考えて……」

「今こんだけ勝ってんだぜ? あと一押しってところで……」

「……呂燦の謀略か。こっちで戦ってる間に、迂回して太宰を叩く……やられたな」

 嘆きを漏らす大輔とシンタに、辰馬はふむ、と黙考。ここで太宰を捨てて桃華帝国南方を切り取り、割拠勢力となる道もあるが……まあ、辰馬という人間の性格上それは不可能である。


「新羅連隊帰京する! 京師でもう一戦あるからなー、気ぃ抜くなよ、みんなー」

 こうして帰京、京師太宰にほど近くまで達したところで、桃華帝国危急についての知らせが入る。


「あそこで北上してれば桃華帝国の南半分は我々のものだったものを……!」

「いらんいらん。よかよか。あとでまた戦って獲りゃいーし。いまは京師の囲みを解くぞー」

 未練たらたらな将兵たちをぽやーんと叱咤して、辰馬は京師に向かうのだった。太宰には家族がいる、戦火に晒すわけにはいかない。

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