第50話 探し続けた答え

 私は焦っていた。


「それはフェミニズムの視点が抜けてると思う」


「なるほど、確かに」


 私は非常に焦っていた。


「その調査手法だと別の認知バイアスが邪魔する気がする」


「なら、このアプローチは?」


 私は非常に非常に焦っていた。


「この前読んだ先行研究で面白いのがあって」


「それ私も読んだ」


 私は非常に非常に非常に焦っていた。


「着眼点は面白いけどサンプル数を確保するのが難しくね?」


「だよなぁ……。う〜ん……なんとかなんないか?」


 私は非常に、以下同文。




「はぁ〜……」


 私は盛大なため息をつく。


「あー、今ので三年分くらいの幸せが逃げたんじゃね?」


 そんな愛生のからかいに応じる元気もない。


「はぁ……」


 私はまたしてもため息をつく。


「何、どした?」


 愛生はようやく真面目に聞く姿勢を取る。


「いや〜、流石に私も焦ってきてるっていうか」


 愛生はそれだけでなんのことか分かったらしい。


「研究?」


 その問いかけにうなずく。


 あれからそれぞれ自分の興味関心のあるものを調べ、まとめていくうちに、徐々に方向性が固まり、研究テーマが決まってからは、研究計画書を作り始めていた。

 そう、私以外は。


「なんかさ、華恋は難しく考えすぎなんだと思うよ」


 愛生はのほほんとした口調でそう言った。

 実際、色々と研究テーマの案を出してもなぜかしっくりこないのは、あれこれ考えすぎてドツボにはまっているからだろう。


 ミライさんにも一旦研究から離れてみてはどうかと言われ、気分転換と称して色々手を出してはみた。


 しかし、やはり気がかりなことというのは忘れようとしても忘れられず、頭の片隅にどっしり鎮座していて、心を焦らせていた。


 そんなこんなで年も明けてしまい、いよいよ内心の焦りはピークに達していた。


「流石に三年になるまでには決めないとだよね」


 私の発言に、愛生はボリボリと後頭部をかいた。


「う〜ん、そもそも俺達がガチ勢過ぎるだけで、全然焦る必要ないと思うけどな」


 愛生の意見はもっともで、卒論は三年生になってから着手するのが例年の傾向だ。


『夏休みの自由研究に毛が生えたようなもん』


 というのは、先輩の言葉だ。


「でもなんか、ミライさんは二年生の間に研究計画書まで終わらせるべきって感じだよね」


 割と研究会の中では傍観者気味のミライさんが、ここ最近は熱心に話を聞いてくれるのが、余計にプレッシャーになっていた。


「まあ時間は有限だからな。準備が早いほどアドバンテージが出来るのは当然だし」


「そうなんだけどね~」


 そしてまたため息を一つ。すると、愛生がいつになく真剣な様子で質問を投げかける。


「華恋はなんでクィア研究をやろうと思ったんだ?」


「何、急に」


「いいから」


 その真剣な様子に若干面食らいつつも考える。


「えーっと、うーん……。もうだいぶ前のことだからあんまり覚えてないけど、やっぱり自分の特性に少なからず悩んでたからかなぁ」


「悩んでた?」


「うん。人を好きになってみたい一方で、どう頑張っても好きになれないもどかしさ、みたいな」


「なんで好きになれないのかを調べたかったってことか?」


 愛生にそう聞かれ、しばらく考えた後に首を振る。


「なんで好きになれないか、はさ。多分、愛生のおかげで解決しちゃったんだよね。アロマンティックって言われたとき、受け入れられない気持ちもあったけど、すごく納得できたし。それに、セクシュアリティは変わってもいいって話もあったでしょ? そしたら、今はアロマンティックですって言うことに、ほとんどためらいがなくなったんだよね」


「じゃあ、なんでいまだにクィア研究に関わろうとするんだ?」


「うーん……」


 そんなことは考えたこともなかったけれど、改めて自分に問いかける。私がクィア研究に関わる理由。


「楽しいから、かな」


「何が?」


「新しい知識を得ること。それで自分をもっと深く理解できること」


 クィア研究は、そのまま自分という存在の理解に繋がってる。自分が疑問に思っていたこと、逆に当たり前に思っていたこと、そういう一つ一つを改めて見つめ直して、新しい理解を得ること。

 それは、ひいては自分の世界が広がることだ。


「じゃあやっぱり、華恋は自分に一番リンクしてることを研究テーマにすべきだろ」 


 愛生のその言葉が、凝り固まった私の心の結晶を砕いたような気がした。


「自分に一番、リンクしてること……」


「華恋が今一番知りたいことだ」


 私が今、一番知りたいこと。資料をあさって、みんなと議論して、それでもまだ答えが出ないこと。


 その時確かに、一筋の光が見えた気がした。


「……愛生、ありがと」


 何だか随分久しぶりに、心から笑ったような気がする。


 ここ数ヶ月悩み続けた答えが、そこにはあった。


 私があまりにも素直にお礼を言ったからなのか、愛生はちょっと照れくさそうに視線をそらした。


「おう」


 そうやってぶっきらぼうに返事をすると、私の頭をワシャワシャとなでる。

 髪の毛がグシャグシャになりそうだと思うのに、私にはその手を振り払うことはできなかった。

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