第8話 恋愛作品に感情移入できますか?

「なかなか面白かったね」


 ラブロマンスということで少し構えていたけれど、その映画は単純なそれではなかった。


 運命的な出会いをする二人が、それぞれの夢を追い求めながら徐々に仲を深めてく行く一方で、お互いの価値観の違いに気づき、最終的には恋愛的パートナーではなくビジネスパートナーの道を選ぶことになるストーリー。


「単純な恋愛映画なのかと思ったらそうじゃなくてさ。ラブロマンスとしてはもしかしたら異端なのかもしれないけど、二人の関係性、私はいいと思ったな」


 私が素直な感想を述べると、愛生も満足そうに頷いた。


「実はラストに関しては賛否両論あるみたいなんだけどさ。俺もあの終わり方は理想的だと思った」


 映画の中の二人は恋愛的な距離を縮めていく過程を楽しんでいるようだったけれど、結局恋愛的には結ばれなかった。それでも人としてお互いを尊敬していて、ビジネスパートナーになり、お互いを支えていくことになる。


 それが愛生にとっての理想なのだろうか。


 恋愛的な駆け引きを楽しみ、それでも恋愛的には結ばれない。でも、愛生は永遠に片思いをしていたいのではなかったか。


 映画の中の二人は恋愛的にパートナーになることを選ばなかったけれど、お互いを大切に思う気持ちは変わらないように見えた。


 では、恋する気持ちはどこで失われたのだろうか。


 あるいは恋愛的パートナーになることは選ばなかったけれど、恋愛的な〝好き〟は残ったままだったのか。


 そこまで考えて、しかし映画に明るいわけでもなく、たった一度観ただけの私にこれ以上の考察はできそうになかった。


「どうして恋愛って、付き合ったり結婚したりしたら幸せで、振ったり別れたりしたら不幸せって勝手に判断されるんだろうな。それを決めるのは本人のはずなのにさ」


 すると、愛生がため息交じりに呟いた。それは、愛生の葛藤そのものなのかもしれない。この映画では二人の選択はとても肯定的に描かれていたけれど。


「それはやっぱり、イメージしやすいからじゃないの。恋の成就で幸せな気持ちになった人は多いだろうし、物語のハッピーエンドとしても使われがち。逆に失恋とか別れはそれで悲しい思いをしたことがある人も多いだろうから、不幸せの象徴として使われがち。それがイメージに拍車をかけてるんじゃない」


 私がそう答えると、愛生はハッとして聞いてきた。


「そういえば、華恋は恋をしたことがないけど、恋愛の物語をどう見てるんだ?」


「どうって?」


 質問の意図がわからず尋ねると、愛生は早く答えを聞きたくてたまらないのかやや早口で説明する。


「端的に言えば感情移入ができるのかどうかってこと。例えばイケメンに甘いセリフをささやかれてキュンとするのかとか、失恋して号泣しているシーンに自分を重ねることがあるのかってこと」


 きらきらとした期待のまなざしを向けられてしまうが、私からお答え出来るのはあくまで私の体験だけである。


「そ、そうだな。他の人の感覚がわからないからなんとも言えないんだけど、感情移入はしてるんじゃないかな。映画にしても本にしても、登場人物と一緒に笑ったり泣いたり怒ったりはするから」


 なんとかそう答えるが、それは愛生の知識欲を満たす答えではなかったらしい。


「もっと詳しく」


「ええ~……。う~んと、そうだな……。例えばさっきの話でいえば、イケメンに甘いセリフをささやかれてキュンとするかどうか? う~ん、多分してると思う。ドキッとするし、恥ずかしいと思うし、なんかこう、首筋がかゆくなって掻きたくなる感じ?」


 自分の感情を言葉にするのは難しいと思いながらもなんとかそう答えると、しかし愛生は訝しげな顔をする。


「それってキュンとしてるって言えるのか?」


 人が頑張って答えているのになんという言い草か。私は少し腹が立ち、愛生に質問をぶつける。


「じゃあキュンがどういう感情なのか説明して」


 すると、愛生はしばし考え込んだ後にゆっくりと答える。


「そうだな。キュンとする、つまりときめくということ。期待とか喜びとか恥じらいとか、そういう強い感情によって胸が高鳴ること」


 そこで私は得意げになる。


「ほら、恥ずかしい、でしょ。そういう状態にはなるもの」


 しかし愛生はまだ納得がいかないようだ。


「いやでもさ。そこに嬉しいとかもう一度言われたいとか相手を愛おしく思う気持ちも同居して初めてときめいたって言えるんじゃないか?」


 食い下がってくる愛生に対して、私は眉間のしわを寄せる。


「え、そうなの? まあ、嬉しいとか、こんなこと一度は言われてみたいとかは思うかな? でも、相手を愛おしく思う、かぁ……。んー、そもそもたかがフィクションの登場人物に対して、そんな状態にみんながみんななるものなの?」


 私がそう切り返すと、今度は愛生が答えを詰まらせる番だった。


「う、確かに」


 私はこの好機を見逃さなかった。愛生がひるんでいる隙に追い打ちをかける。


「愛生はあれでしょ。恋愛感情がわからない人は恋愛作品に感情移入できない説を証明したかっただけでしょ。そういう仮説ありきで他の可能性に目を向けないのは研究者としてどうかと思うけど」


 と、研究のことなど全く分かっていないど素人の私が主張した。しかし愛生はがっくりと肩を落とす。


「おっしゃる通りだ。ふがいない」


 てっきり反撃が来ると思っていたのにまさかここで折れるとは思わず肩透かしを食らう。しかし、冷静に自分の非を認められるところには好感が持てた。


「とりあえず、この話は一旦終わりにして、そこで飯食わないか?」


 映画館を出て話ながら歩いていたから確かにもうお昼時、いや、ランチタイムぎりぎりくらいの時間だった。


「そうだね。ランチにしよう」


 私は今度は二つ返事で同意した。

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