第6話 〝恋愛〟って何?

「え、〝恋愛〟?」


 私は驚きを隠せなかった。


「いや、だって、茂木は私がアロマンティックだと思ってるんでしょ? つまりは恋ができない人なんだよ。今までだって全然うまくいってないし、むしろ苦手と思ってるくらいなんだけど?」


 そんな私の戸惑いをよそに、茂木は楽しそうだ。


「俺に言わせれば恋愛感情がわからないなんて、むしろすごいことだよ。レズビアンにしろゲイにしろバイセクシュアルにしろ、恋愛感情があるのは前提だろ? 異性愛者は言わずもがな。俺にだって恋愛感情はある。それがないってのはそれだけで希少価値だ。比嘉は誰よりも恋愛を客観視できるってことじゃないか」


 物は言いようとはまさにこのことだと思う。私はそれでずっと悩んできて、茂木にもそれを話してきたはずなのだが。


「あのね、そりゃそうかもしれないけど、そんなに簡単に割り切れないんだって」


 内心のいらだちを吐露すると、茂木は少し落ち着きを取り戻した。


「あ、そうだよな。悪い、比嘉の気持ちも考えないで」


「……まあいいけど」


 素直に謝られては私も許さざるを得ない。しかし、ここで引き下がらないのが茂木である。


「でもさ、恋愛をテーマにするのは面白いと思うんだ。例えば、さっきから使っているロマンティックっていうのは、相手に恋愛的に惹かれるか惹かれないかっていう文脈の言葉なんだけど、これとは別にセクシュアリティって言葉がある。こっちは相手に性的に惹かれるか惹かれないかっていう文脈で使われる」


「うん? どういうこと?」


 恋愛的と性的の違いとは何ぞや。


「恋愛的に惹かれるっていうのは、仲良くしたい、一緒にいたい、独占したい、とか心理的に親密になりたいと思うこと。性的に惹かれるっていうのは、触りたい、キスをしたい、性行為をしたい、とか身体的に親密になりたいと思うことらしいんだけどさ。大体の人はそこって切り離して考えてないと思うんだよ。好きだったらキスしたいと思うのは当たり前、みたいな。そういう当たり前を疑ってみるとか。あるいは性的なことを除いたとき、恋愛と友情の境目はなんだ、とかさ。そもそも恋愛感情、恋に落ちるってどういう状態なのか、みたいな」


「なるほど」


 それはちょっと面白いと思った。


 私はこれまで自分は恋に落ちたことがないと思っていた。


 だけど改めて恋に落ちるというのはどういうことなのかを考えてみれば、実は既に恋に落ちていたこともあった、ということが判明する可能性もあるのではないか。


 もちろん、その逆もしかりではあるけれど。


「あとはさ、世の中の恋愛至上主義を疑うってのも面白いと思う」


「恋愛至上主義?」


「恋愛は人生に不可欠なものだとか、恋愛しない人生には価値がないとか考えること。広義には何でも恋愛に結び付ける考えを指すこともあるけど。例えば男女で休日に約束して会ったらそれはデートで恋愛的な意味を持つ、とかさ」


 そう言われて、私の心の中には黒いもやが広がった。


 例えば修学旅行の夜。それぞれ好きな人を言わなければならなくなった時。いない、と言うのは、隠した、と判定されて下手をすれば村八分になる。だから当たり障りのない好きな人が必要になって、でも名前を告げると今度は応援するよ、が始まる。そして本当に完全なお節介を受けるのだ。


 恋人がいない、いわゆるフリーの状態でいることは、なぜか勝手に恋人募集中というステータスだと思われる。そして合コンに誘われたりいい人を紹介するといわれたりアプローチをかけられたりする。恋人の募集は停止しているかもしれないし、あるいは廃止しているかもしれないのに。


 こちらに恋愛感情はないのに、愛想よくふるまうと勝手に恋愛感情があると思われる。そしていざ恋愛感情はないと告げると、思わせぶりなことをして、とまるでこちらが悪いかのように言われるのだ。


 私の顔が陰ったのを察したのか、茂木は眉尻を下げると静かに告げた。


「恋愛は絶対に誰もがするものだとかすべきだとかって、そういうのに苦しんでいる人は少なからずいると思うんだ。それは、マイノリティかどうかに関わらずさ。それでもマイノリティならではの悩みもあって、だからそういうのを研究することはすべての人にとって意味があるんじゃないかな」


 なんとなく茂木の言わんとしていることはわかって、それでも私には今すぐ答えを出すことは難しかった。


「ちょっと、卒論についてはもう少し考えてみる」


 そう告げると、茂木は微笑を浮かべた。


「うん、それでいいと思う」


 茂木と話し始めたとき、まさかこんなことになるとは思ってもみなかったけれど、私たちは確かに新しい一歩を踏み出したのだった。

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