このチョコを作ったのはどこのどいつだ

朝食ダンゴ

本編

 今年もこの日がやってきちまった。

 全国の日本男子に夢と希望と絶望を与える悪夢のようなイベントが。

 二月十四日。

 ああ、わかってる。みなまで言うな。

 今日は、そういう日だ。


「たのむ……」


 登校直後。朝の喧騒が舞う校舎の昇降口。俺は下駄箱の前で両手を合わせる。

 坂本と書かれた小さな扉。この中に可愛らしくラッピングされた小箱があることを祈る。


「今年こそは……!」


 恐る恐る扉に手をかける。

 いくぞ。


「さん、にー、いち――」


「坂本。なにやってんのさ」


 横合いからかけられた声に、今まさに動かんとしていた手の力が抜ける。

 首だけで声の主を見やると、そこには両手に色とりどりの袋を提げた友人が佇んでいた。


「中島か」


「おはよう。それで、朝っぱらから何を奇妙なことをやってんの?」


 呆れたような目の中島。


「うっせー。おめーにはわからねぇ気持ちだよこれは」


 ああ、こいつはいつもそうだ。毎年毎年これみよがしに俺に見せつけてきやがる。


「今年も豊作だな。おぉ?」


 中島が持つたくさんの贈り物。何個あるんだ? 何人の女子からチョコレートを頂いたら気が済むんだこいつは。


「いやぁ、今日はいつもより早く家を出たんだけとね。通学路で待ち伏せしてる子の多いこと多いこと。遅刻ギリギリになっちゃったよ。甘いものはあんまり好きじゃないだけどねぇ」


「張っ倒すぞ。俺の何倍もらってんだ」


「ゼロに何かけてもゼロじゃないっけ?」


「なるほど。戦争だな」


 単純に言って、腹が立つ。

 中島とは小学生の頃からつるんでいるが、モテるのはいつもこいつの方だ。俺はそれを指を咥えて見ているだけ。今も中島にチョコを渡したそうにしている女子たちが下駄箱の陰からこちらを窺っている。

 間違いなく、こいつと一緒にいるから俺がモテないんだ。俺単体ならそこそこイケているはずだぞ。


「どうせ今年もゼロだと思うけどなぁ」


「中島。後で吠え面かくなよ」


「もし入ってたらギャフンって言ってやるよ」


「はい言質とった」


 俺は再び下駄箱の扉に手をかける。


「いくぞ」


「さっさと開けたら?」


 言われなるまでもねぇ。


「ええい、ままよ!」


 小気味良い音を立てて、立てつけの悪い下駄箱の扉を開く。

 こんなことを言っているが、まぁ、あるわけないよな。毎年恒例のゼロチョコ男だよ俺は。


「はぁ……ん?」


 おい待て。


「中島」


「あー今年もなかったかー残念だねぇ」


「ある」


「……え?」


「あるぞ!」


「うそ? マジ?」


「あるぞぉぉぉぉぉぉぉぉおおぉぉぉおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉお!」


「うっさい!」


 昇降口に俺の奇声が響き渡る。周囲の生徒たちの注目を集めているが、知ったこっちゃない。

 いやむしろ、チョコを獲得した俺を見ろ!

 女子の愛を一身に浴びた俺を見よ!

 隅々まで!


「ひゃっほおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」


「ちょっと黙ってって!」


 結局、中島からヘッドロックをかけられるまで俺の奇声コンサートは続いていた。





 朝のホームルーム前。

 俺は机の上に置いた小箱を何度も携帯のカメラに収める。

 いつもより少しだけ騒がしい教室。男子も女子もバレンタインデーの話題で賑やかになってきた。


「何枚撮るのさ」


 前の席の中島が振り返り、呆れたような目を向けてきた。


「記念だからな。様々なアングルから記録しておかねぇと」


 この写真は家宝にしよう。


「いや~でもよ。まさかガチであるとは思わなかった。なぁ中島。これで俺もモテ男の仲間入りか? おおコラ」


「ムカつくにやけ顔だな。一個貰ったくらいではしゃぐなよみっともない」


「でた~。僻みですか~? モテる男は辛いぜぇ」


「僕もう二十個以上貰ってるけど」


「わかってねぇな。数じゃないんだよこういうのは。込められた気持ちの問題だよ」


「それは僕にチョコをくれた子達に失礼じゃないかな」


「んなこた分かって言ってんだよ。べつにいいだろ、今くらい調子に乗っても」


「それがみっともないって言ってんの」


 ウキウキの俺と、溜息を吐く中島。

 今の俺達を見れば誰の目にも明らかだろう。幸せとは、貰った数じゃないのだと。

 俺からすれば一個のありがたみが違うんだよな。俺の十七年の人生において、このチョコは大きな意味を持つのだ。


「そんで? そのチョコ、誰からだった?」


 中島は俺の机に置かれた箱を指す。

 そういえば誰がくれたんだろうな。貰ったことが嬉しすぎてそこまで頭が回っていなかった。


「心当たりはあんの?」


「ないこたぁないが」


「そうなの? だれだれ?」


 俺の頭には一人だけ思い浮かぶ顔がある。


「藤嶋パイセンだな」


「あぁ、あのちっこい」


 俺が所属している美術部の先輩だ。もう引退してしまったけど、進学先が早くに決まったようで、今でもしょっちゅう部室に来ては適当に絵を描いている。

 いやでも。あの人が下駄箱にいれるなんて粋なことするだろうか。

 わからない。


「開けて確認してみる?」


「ここでか? 流石にそれはちょっとな……」


 教室はざわついているが、クラスメイトの目もある。何人かが俺のチョコの様子を窺っているし。

 でも知りたい。これが嘘偽りない本心だ。

 上品な赤色の包装紙と、ちょうちょ結びにされた金のテープでラッピングされた箱。見るからに本命チョコだ。つまりこれは、俺に彼女ができるチャンスなのでは。


「開けてみるか」


 別に食べるわけじゃない。誰がくれたのかをちょこっと確認するだけだ。チョコだけに。


「あの……坂本くん」


 箱に手をつけようとした俺に、いきなり女子の声が降ってきた。控えめで耳心地のよいアルトボイス。

 見上げると小柄なめがねっ娘がいた。長い三つ編み。我がクラスの委員長、佐々木さんである。


「いいんちょ? どうしたの?」


 対応したのは中島。


「あのね。一応お菓子を持ってくるのはダメなことだから」


「えー。でもよ。みんなやってるだろ」


 彼女の言う通り、チョコを持ってくるのは校則違反だ。

 とはいえ今日に限っては先生達も黙認してくれる節がある。周りを見渡すと、友チョコとやらを贈り合っている女子グループも散見されるし。


「でも坂本くんは副委員長なんだから。ね?」


 そうなのだ。なんの因果か、俺がこのクラスの副委員長。委員を決める日に病欠するという過ちを犯してしまった俺の自業自得だけど。

 佐々木さんの真面目な表情に、俺はそれ以上の反論を封じられてしまう。


「わかった。しまっとく」


「うん。ありがとう。やっぱり規則は規則だから」


 にこりと笑う委員長。


「またまた~そんなこと言って。いいんちょも持ってきてたりするんじゃないの~? チョコ」


「へっ?」


 中島がいらんことを言い出した。


「えっと……私はそういうの、縁がないから」


「えーほんとにー?」


「おら中島。もういいだろ。委員長を困らせるな」


「はいはい。ごめんね、いいんちょ」


「う、うん、気にしないで。じゃあね」


 苦笑を残して委員長は自分の席に帰っていく。

 その後姿を目で追いかけていた中島が、おもむろに口を開いた。


「やっぱかわいいなぁ、いいんちょ」


「否定はしないが」


 品行方正、才色兼備。委員長は密かに俺達男子の人気を集めている。生真面目だけど愛嬌がないわけではないし、華奢にも拘わらず出るところは出ているというところが非常に良い。

 俺が副委員長なんてクソ面倒なことを続けられるのも、委員長と関われるからこそだ。


「真面目だからチョコとか持ってこないんだろうね」


「おめーそれだけ貰っといてまだ佐々木さんにチョコをねだるのか?」


「ちがうちがう。そういう意味じゃないってば」


 愛想笑いの中島に、俺は胡乱な目を向ける。

 まぁいい。

 佐々木さんのお願い無下にはできない。仕方ないからチョコの開封は家に帰ってからにしよう。





 そんなわけあるか。俺は開けるぜぇ。

 昼休み。昼食を終えた俺と中島は、滅多に人が来ない屋上で開封の儀を執り行っていた。


「では」


 俺は青い晴天を仰ぎ、ベンチに置いた箱に両手を合わせる。二月の寒空。凍えるような風が俺の頬にビンタを食らわせる。


「南無」


「寒いから早く開けなよ」


 急かすなよ。こっちはドキドキしてる心臓を抑えようと必死なんだ。

 金色のテープをほどき、包装紙を破らないように極めて慎重に開いていく。このテープや包装紙も家宝送りだな。

 赤いラッピングのベールを脱いで現れたのは、同じく赤色の簡素な箱だった。どうみても市販されている商品ではない。


「手作りっぽいね」


 中島の感想に、俺は頷く。


「開けます」


 なぜか敬語で、俺は万感の思いでそーっと箱のふたを開いてみた。


「おおぉ~」


 おもわず声が漏れたね。

 正方形の台座に、縦横三列に並ぶ宝石。ビー玉より一回りほど大きい。丁寧に整えられているが、手作りだからかそれぞれ不均一な形。けれどそれがいい。まぶされたパウダーはあたかも天上より降り注いだ粉雪のようだ。

 やばい。

 それ以外の感情が出てこねぇ。


「はっきりと手作りだ、こりゃ」


 中島はなんとなく面白くなさそうだ。どうでもいいぜ。


「俺は感動している。実際涙が出てるもん。ほら」


「知らないよ」


 ちっ。この感動を共有できないとか、薄情なやつ。


「手紙とか入ってないの?」


 そうだった。けど、箱の中身はチョコだけだ。


「とくには見当たらな――お、これは?」


 ふたの裏側に、一枚のカードが貼りつけてある。名刺サイズの白いカード。


「ふむ」


「あった? なんて書いてある?」


 カードに書かれた手書きの文字。


「いつもありがとう。だってさ」


「それだけ? 差出人は?」


「書いてない」


「えーウソ? そんなことある?」


 俺はメッセージカードをじっと見つめる。

 名前を書き忘れたのかもしれない。もしくは恥ずかしくてあえて書かなかったのかも。


「こりゃがっかりだね坂本くんや。せっかく彼女ができるかもしれなかったのに」


「いや……」


 あるいはこれは、俺に対する挑戦なのかもしれん。

 できるものなら私を探し出してみろ、と。

 そうじゃないと私と付き合う資格はないと、そういうことに違いない。


「中島」


 俺の両手が中島の肩を掴む。


「え、なに?」


「このチョコの差出人を探し出す。力を貸してくれ」


「えぇ……なんで僕が」


「おめー頭いいだろ。こういうの得意じゃねぇのか」


「いやそりゃまぁ……」


 中島はチョコの箱をちらりと見て、諦めたように溜息を吐いた。


「わかったよ。初めて貰ったチョコだしね。今回だけは手を貸してやるよ」


「サンキュー! わが心の友よ!」


「うわっ! 抱きつくなよ暑苦しいなぁ!」


 さっき寒いって言ってじゃねぇか。ころころ主張が変わる奴だな。

 なにはともあれ。ここから俺の冒険が始まった。

 このチョコを作ったのはいったい誰だ?

 俺は中島を引き連れて、人生最大の謎に挑むのだ。

 あー。彼女欲しい。





 今のところ、手がかりはこのメッセージカードひとつ。

 『いつもありがとう』と書かれていることから、以前より俺と面識があり、それなりに関わっている女子であることは間違いない。そうなると候補はある程度絞られてくる。

 俺の頭に浮かんだのは二人の女子だ。

 一人は、美術部の藤嶋パイセン。部活で二年近く一緒だったし、それなりに親しい仲である。

 もう一人は、お隣さんで幼馴染の凛ちゃん。一個下の後輩で、家族ぐるみで付き合いがある。


「なるほどね。それが今回の容疑者達か」


「俺にチョコ渡すのは罪なんか」


「少なくとも校則は違反してるね」


 そりゃそうだ。


「その中なら凛ちゃんが最有力かなぁ。あの子、坂本にべったりじゃん」


「幼馴染だからな。けどあいつの場合は恋愛対象じゃなくて、兄を慕う感じだろ」


 何の気なしに言うと、中島から湿度の高いまなざしを向けられる。


「うわー。女心ってやつをわかってないね。そんなんだからモテないんだよ」


「うっせー。おめーも見た目だけだろうが」


「ちっちっち。すべては立ち振る舞いなんだよ」


 このハンサムもどきが。これでも俺の方が身長高いんだぞ。


「ちょっと見せて」


 中島が俺の手からカードを奪い、手書きの文字をじっと見つめる。


「きれいな字だね」


 ボールペンで書かれた丁寧なメッセージ。


「筆跡でわかるんじゃないかな?」


 なるほど確かに。


「どう? 見覚えない?」


「そんなの覚えてねーよ」


 誰がどんな字を書くかいちいち覚える奴なんているのか。


「普段から女の子をちゃんと見てない証拠だね~」


 なに笑ってやがる。逆にそこまで見てたら気持ち悪いだろ。


「確認しに行こうか」


「今からか?」


「善は急げさ。ここは寒いしね」


「あ、おい」


 中島はさっさと立ち上がり、屋内に戻っていく。俺はチョコをしまい、その後を慌てて追いかけた。





 それから俺達は校舎の各所を巡った。

 まずは一年の教室。凛ちゃんがいるところだ。

 中島が一年の階に行くのは稀だ。女子達の騒ぎ立てる声がうるさい。

 そのまま目当ての教室の扉に手をかけて、中を覗き込んだ。


「凛ちゃんいる?」


 遠慮のかけらもないなこいつは。

 黄色い声がいくつか聞こえてきて、凛ちゃんがやってきた。

 腰まで伸びた艶やかなロング。おっとりした雰囲気と、セーラー服を押し上げる主張の激しい胸元。百人中九十九人が美少女と断言するであろう可憐さである。


「中島先輩? おにいちゃんも。どしたの?」


 たれ目がちな瞳を大きくして、凛ちゃんは首を傾げた。

 どしたと聞かれても、俺は中島についてきただけである。


「いま一年はどんなところを勉強しているのかと気になってね。悪いんだけど現代文のノートを見せてくれないかな?」


「ノート? 教科書じゃなくてですか?」


「うん」


「いいですけど」


 頭にはてなを浮かべながら自分の席に向かう凛ちゃん。

 俺は中島に耳打ちする。


「完全に怪しまれてんじゃねぇか」


「だいじょーぶだいじょーぶ。僕達の思惑なんてわかりっこないって」


 そうだろうか。

 不安に顔を染めて、凛ちゃんが戻ってくるのを待つ。


「よくよく考えてみれば、凛ちゃんじゃないぜ、たぶん」


 急に耳打ちすると、中島は首を傾けて逃げる。


「どうして?」


「壊滅的に料理が下手だ。おかしなんか作れるわけねーよ」


「まぁ、手作りチョコって意外と難しいしね。湯せんとか固め方とか」


 作ったことないからわからんが、そうらしい。

 そそくさと戻ってきた凛ちゃんは、持ってきたノートを両手で中島へと差し出した。


「どうぞ」


「ありがとね」


 受け取った中島はパラパラとノートをめくり、あるページをじっと見つめる。

 それを隣から覗き込む俺。


「ふむふむ」


 中島はしきりに頷いているが、なんだというのだろう。


「どうだ?」


「いやぁ、丁寧なノートだよ」


 んなこた見ればわかる。

 凛ちゃんの筆跡はどことなくあのメッセージカードのものと似ているような気がする。綺麗な字体だ。ここで見比べるような真似はしないが。

 ふと、凛ちゃんの小さな笑い声が聞こえた。


「二人とも、仲いいですね」


 俺と中島を視界に収めて、凛ちゃんは頬に手を添えていた。

 なにやらよからぬことを考えているんじゃないだろうな。

 そんなわけで、一年の教室への冒険はつつがなく終わりを告げた。





 次に足を運んだのは美術室だ。


「藤嶋先輩が残したメモなり書類なりあるんじゃないかな」


 というのが中島の主張だ。

 正直あの人に限っては直接聞いた方がいいのではないかとも思ったが。


「それだと情緒がないじゃないか。女の子が恋の駆け引きを仕掛けてきてるんだ。野暮なことはしちゃいけないよ」


 なんだかんだ言って中島の奴、ノリノリである。

 独特の匂いが漂う美術室。貴重な昼休みにこんなところに来る奴はいない。

 と思ったのだが。


「おやぁ?」


 美術室の片隅には、ブランケットを膝に、書きかけのキャンバスに向かうちっこい女子の姿があった。


「やあやあ後輩たち! ようこそ我が城へ!」


 ベージュのブランケットを振り回し、ぴょんぴょんと跳ねまわるようにこちらにやって来たのは、当の藤嶋パイセンだった。

 小学生にも見紛うチビッ子さ。童顔。可愛いといえばとんでもなく可愛いのだが、絶望的なまでに色気がないのが玉に瑕である。高い位置でポニーテールを結っているのは少しでも身長を高く見せるためだとか。


「キミたちゃいつも一緒にいるんさね。おアツいのぅ」


 誤解を招くようなことを言うのはやめてください。


「藤嶋パイセン、こんなとこでなにしてんすか」


「何してるって? そいつぁ教えてあげられないなぁ」


 どう見ても絵を描いているけどな。


「こんな時間から部活ですか? そんなに熱心でしたっけ?」


 中島が不思議そうに尋ねる。俺も同感だ。


「いやね。受験も終わってヒマヒマ星人なんさ。うちにこもってても気が滅入ってくるから」


「へぇ」


 中島はいい加減な相槌を打つ。


「素敵ですね。お昼ごはんまで持ち込んで。朝から描いてたんですか?」


 お昼ごはんとな?

 俺は部屋を見渡す。パイセンが座っていた場所の近くの机に、たしかにお弁当箱が置いてある。雑なちょうちょ結びにされた巾着袋だ。中島、目ざといやつ。


「い、いや~。寒くて寒くて、早起きしたもんでさ」


「そうですか。僕は朝の寒さで起きたくても起きられなかったんですけど、藤嶋先輩は違うんですね」


「そ、そうそう! 特異体質なのかにゃ~?」


 しどろもどろになるパイセン。


「そんな話はいいじゃにゃいか。キミ達こそ、こんなところに何の用なんさ?」


「俺達は……」


 なんと言ったものか。パイセンの筆跡を探しに来ました、とは言えないし。


「ちょっと忘れ物を取りに」


 苦し紛れにそんなことを言うしかない。

 もちろんパイセンは納得していないようで、俺と中島を交互に見やる。


「ほんとかにゃ~? 実はあたしに会いたかったんじゃないんさ?」


「パイセンがいることも知らなかったのにそれはないっす」


「あはは。そりゃそっか」


 髪をいじるパイセンに、今度は中島は質問を投げた。


「先輩は何時からここに?」


「ん~? みんなと同じくらいには来てたけど」


 みんなというのは、他の三年達のことだろう。この時期、自習の為に投稿する三年生も少なくない。


「なるほど。ありがとうございます。じゃ、いこっか」


 それだけのやり取りで、中島は去っていく。

 筆跡はいいのかよ。


「あ、ちょっと待てって。パイセン、そんじゃ放課後に」


「はいよー。ありゃ? 忘れ物は~? お~い」


 そんな声を背に、俺は美術室を後にした。

 中島、歩くの速いな。

 校舎には、昼休み終了五分前を告げる予鈴が響き渡っていた。





 午後の授業中、俺はずっと頭を悩ませていた。

 合間の休み時間に中島と議論を交わす。


「校門が開いてから坂本が登校するまでの約一時間半。犯人はその間にチョコを仕込んだはずだ」


「昨日の放課後って線はないか?」


「いつも美術部でダラダラしてる坂本より遅く帰る生徒なんているの?」


「いないな」


 いるとすれば美術室の鍵を返しに行ってくれた藤嶋パイセンくらいだ。


「つーか筆跡はどうなったんだよ。パイセンの筆跡確認出来てねーぞ」


「あの感じじゃ聞くに聞けなかったじゃん」


 溜息。

 やがて放課後がきた。

 なんとか今日中に差出人を突き止めたいところだが。


「ちょっと凛ちゃんのところに行ってくる」


 ホームルームが終わるなり、中島は早々に教室を飛び出していった。

 なにやら思い当たることがあるのだろうか。あいつは凛ちゃんが差出人だとあたりをつけているのかもしれない。

 一人取り残された俺は、鞄の中のチョコに思いを馳せ、汚れた天井を仰ぐ。


「坂本くん?」


 間抜け面を浮かべていただろう俺に声をかけたのは、佐々木さんだった。


「先生に頼まれたプリント、取りに行けそう?」


「プリント?」


「さっき先生が言ってたよ? 職員室に取りに来てって」


「あーまじか」


 チョコのことで頭がいっぱいでホームルームなんぞ聞いてもいなかった。

 佐々木さんは可憐な笑いを漏らす。


「副委員長なんだから、もっとしっかりしないと」


「ごもっとも」


 こんなことをしている場合じゃないと思うがしかたない。委員の仕事を疎かにしては佐々木さんに負担がかかってしまうからな。

 こんな日でも相変わらず真面目だな。廊下を進む佐々木さんの揺れる三つ編みを眺めながらそんなことを思う。


「ねぇ坂本くん」


「ん」


 放課後の喧騒の中、佐々木さんは振り返りもせずに口を開く。


「あのね。えっと……坂本くんって」


「うん」


「今日、誰かからチョコとか、もらったの?」


「え?」


 俺は目を丸くする。


「驚いた。佐々木さんもそういう話題に興味あったんだな」


「ヘン、かな」


「べつに変じゃないけど。あれだよ、佐々木さんも見ただろ? 朝注意されたやつ。もらったのはあれだけだ」


「そう……なんだ」


 佐々木さんが振り返らないもんだから、どんな表情をしているのかはわからない。

 その後は特に会話という会話もなかった。プリントをせっせと教室まで運んだだけだ。


「じゃあ、私は部活行くね」


「おう。おつかれさん」


 佐々木さん、何の部活だったっけ。文化部だったことは憶えているけども。まぁどうでもいいか。


「おいーっす」


 ちょうどタイミングよく中島が戻ってきた。両手にたくさんのチョコを携えて。

 何しに行ってたんだろうな。


「聞き込み調査に行ってきたよん」


「凛ちゃんに?」


「一年の女子たちに」


 こいつのことだから女子に囲まれたんだろうな羨ましい。


「あと、凛ちゃんも連れてきた」


「どうも」


 中島の背中からひょっこりと顔を覗かせた凛ちゃんは、まるで聖母のような笑みを浮かべていた。


「いやなんで連れてきたんだよ」


「え、おにいちゃんが呼んだんじゃないの?」


「んん?」


 中島の企みだな。


「坂本、凛ちゃんを連れて美術室に行ってて」


「はぁ? なんでだよ」


「いいから」


 有無を言わせない中島の言い分に、俺と凛ちゃんは顔を見合わせる。


「じゃあ後で」


 それだけ残して、中島は教室を出て行ってしまった。


「なになに? どういうこと?」


「俺にも何がなんだか」


 間違いなくチョコに関することなんだろうけど、中島の独断専行がひどい。

 何を考えているのかもったいぶらずに教えろっての。


「とりあえず、いこっか? 美術室」


「そうだな」


 てくてくと美術室までの道のりを歩く。


「そういえばおにいちゃん。今年はチョコもらえた?」


 佐々木さんと同じ質問だ。


「例年通りさっぱりだ」


「へへ。やっぱり」


「とでも言うと思ったか」


「へ? もらえたの? うそ?」


 凛ちゃんはぴたりと脚を止めて、両手で口元を覆った。

 そんなに驚くことなのか。いやにわざとらしいオーバーリアクションだ。

 ちょっとショックだな。


「誰から?」


「わからん」


「わからないって? 差出人不明ってこと?」


「そういうこと」


「直接渡されたわけじゃないんだ」


「ああ」


 そんな会話をしているうちに美術室に辿り着く。


「ちーっす」


「おおっ! 来たね坂本っち!」


 扉を開けるなり耳朶を打つパイセンの元気な声。ちっこい影がポニーテールを揺らして近づいてくる。

 他に人はいない。幽霊部員ばかりで、律儀に来るのは俺と藤嶋パイセンくらいの過疎部活だからな。


「おろ? その子は?」


「ああ、えっと。こいつは近所の幼馴染で、一年の凛ちゃんっていうですけど」


「はじめまして、先輩」


 凛ちゃんはぺこりと頭を下げる。


「おおっと、こりゃもしかして入部希望者?」


「いえ、残念ながら違います。なんか中島がここに連れてけって」


「中島っちが? ん~?」


 九十度に達しようかというくらいに首を傾げるパイセン。


「よくわかんないけど、とにかく中に入んなよ。どうせ暇してたんさ」


 そりゃ朝からずっとこんなところにいたら暇に違いない。飽きたなら帰ったらよかったものを。


「かわいい先輩だね」


 部屋の奥へ戻っていく小さな背中を見て、凛ちゃんが拗ねたような声を出した。

 どうしてそこで機嫌が悪くなるのか謎だな。

 俺と凛ちゃんが適当な椅子に腰を下ろしたところで、再び美術室の扉が開かれた。


「お待たせしたね!」


 颯爽と現れたのはもちろん中島だ。

 どうしたことか、佐々木さんを伴ってずかずかと部屋の中に踏み入ってきた。

 呆気にとられる一同をゆっくりと見回し、中島は小さく咳払いを漏らす。


「役者は揃ったようだ。それじゃこれから、僕の推理を聞いてもらおう」


 いったい何が始まるんだ。

 俺は何を見せられているのだろう。

 中島がぶん回す展開に頭がついていかないまま、意味不明な推理ショーが幕を開けた。


「坂本」


「おう?」


「アレを出してくれる?」


「あ、ああ」


 アレというのは言うまでもなくチョコのことだ。

 俺は内心自慢げに、箱を机に置いてみせる。


「お三方。これが今日坂本が誰かから貰ったというバレンタインチョコです」


 場にぴりっとした空気が流れる。


「見覚えのある人は?」


 凛ちゃんはふるふると首を横に振る。


「先輩は?」


「は、初めて見た」


「いいんちょは……今朝見たよね」


 首肯する佐々木さん。


「このチョコ。差出人がわからない。それが坂本を苦しめている。僕達は朝からずっとこのチョコの差出人を探しているんだ」


 大仰に言いすぎだろ。


「坂本としては、ここにいるお三方の誰かだと踏んでいるらしいんだけど、いかがだろう?」


 おいおい。直接聞くのは野暮な真似じゃなかったのかよ。

 それにだ。


「確かに二人の名前は挙げたが、なんで佐々木さんまで連れてきたんだよ」


「僕が候補にいれといた」


 勝手なことすんな。

 おかげで女子三人が互いに目を合わせて様子を窺っている。なんでこんな人狼ゲームみたいな雰囲気になってんだよ。


「なーんだ。おにいちゃんチョコ貰ってたんだ。よかったじゃない。ちなみに自分じゃありませーん」


 凛ちゃんが両手を合わせて笑う。その所作はわざとらしく、しらばっくれているように見える。


「えっと……今朝も言ったけど、チョコを入れたのは私じゃないよ。そういうのには縁がなくて」


 佐々木さんが控えめに挙手をしてそんなことを言う。なんとなく、ちょっとショックだ。


「なるほど、じゃあ藤嶋先輩ってことになるのかな?」


 中島に名指しされ、パイセンは慌てて両手を振った。


「や、やーやー! なんでそうなるんさ! あたしだって違うって!」


 三人の反応が俺の胸にぐさぐさと突き刺さる。

 そんなはっきりと否定しなくてもいいじゃないか。ガラスのハートにヒビが入るぜ。


「坂本はどう思う?」


「えっ」


 そこでおれに振るのかよ。


「いやぁ……みんな違うって言ってるから、違うんじゃないだろうか」


 次第に小さくなっていく声。


「ヘタレ」


 心外な。


「お三方。申し訳ないんだけど、今朝なにをしていたか教えてほしい。何時何分に登校して、それからどこにいたか、とか」


 女子達が顔を見合わせる。

 いや、わかるぞ。

 なんでこんなことに付き合わされているんだろう、という困惑だろうね。


「じゃあ、私から」


「どうぞ、いいんちょ」


 一番手は佐々木さんだった。

 ここで殊勝に答えてくれるのが佐々木さんらしい。


「私は日直だったし、部活の朝練もあったから、七時半には来てたかな」


 んー、早い。


「八時過ぎまでは吹奏楽室にいて、それから職員室に寄ってから教室にいった、と思う」


「じゃあ、戻って来たのは坂本にチョコのことを注意にする少し前ってことか」


「うん」


「藤嶋先輩は?」


「あたしは……八時くらいからずっとここに引きこもってたさ。あ、ここに来る前にあったかい飲み物買いに学食の方に行ったくらい。でも、他のところにはいってないんよ?」


 暖房のない美術室に一人でいるのはさぞ寒かったことだろう。ホットドリンクの一つでもなけりゃやってられないか。すぐ冷めそう。


「ありがとうございます。凛ちゃんはどう?」


「自分は普通ですよ。八時十五分くらいにきました。教室以外は行ってません」


 それでも十分早いと思うけどな。俺と中島なんか今日も遅刻ギリギリだったぞ。

 なるほどなるほどとしきりに頷いていた中島は、ぴんと人差し指を立てた。


「僕の推理を聞いてもらってもいいかな? 僕には、誰が犯人なのか分かった気がするんだ」


 勝手にどうぞ。

 と言いたいところだが、俺としてはものすごく知りたい。

 今のところ世界知りたいランキング堂々の一位なのだ。課金してでも知りたい。


「まず登校時間を見るに、誰でも坂本の下駄箱にチョコを入れることができたわけだ。ここは三人共通だね」


「そうだな。まさしくそうだ」


 なんとなく黙っていられず、要らぬ相槌を打ってしまう。


「だからこのチョコを証拠にして、犯人を消去法で導き出したいと思う」


「消去法?」


「そう」


 いったいどうやって消去するつもりだろうか。


「メッセージカードを使うのか? それなら三人に同じ文字を書いてもらったり?」


 俺の提案に、中島が指を振る。


「いいかい坂本。名乗り出ない時点で察しなよ。そんなことをしても筆跡を誤魔化されるだけさ」


 むぅ。たしかに筆跡鑑定師でもない俺達の目など簡単に欺かれてしまうだろう。


「だから、べつのものから推理する」


「たとえば?」


「チョコの包装だよ」


 俺はチョコレートの箱を見る。包装はすでに開いてしまっている。包装紙とリボンは鞄に大切にしまっているが。


「出そうか?」


「いやいい。解かれてしまったものを見ても意味ないからね」


「じゃあどうやって証拠にするんだよ」


「撮ってたじゃん。カメラで」


「……ああ!」


 俺はポケットから携帯を取り出し、今朝撮影した画像を確認していく。

 丁寧でキレイではあるが、何の変哲もない包装に思える。


「何がわかるんだ? この画像から」


「ちょっと見せて」


 中島が俺の手から携帯をひったくる。


「うん、なるほど」


 なにが。


「藤嶋先輩」


「ほい」


「犯人は先輩じゃないみたいですね」


 小さな肩を震わせて、パイセンは形のいい眉をあげた。

 え、なんでわかったんだ。


「あれ見て」


 中島が指さした先。美術室の一画にある机。そこには昼休みから変わらず巾着袋がおいてあった。


「あのお弁当箱の袋、ちょうちょ結びにされているよね? このチョコの包装と同じだ」


「ちょうちょ結びくらい誰でもするだろ」


「そう。誰でもする。だから結び方にも個性が出やすい」


 どういうことだろう。


「ちょっと失礼」


 中島は巾着袋を取ってくると、俺の携帯と隣り合わせて机の上に置いてみせた。


「なにか気付かない?」


 俺と女子三人は、その二つを囲んで覗き込む。

 巾着袋と包装。ちょうちょ結び。どんな関係があるというのか。


「あ、もしかして」


 ぽんと両手を合わせたのは凛ちゃんだ。


「先輩のちょうちょ結び、縦になってるってことですか?」


「ご明察、凛ちゃん」


 中島がよしよしと凛ちゃんの頭を撫でる。凛ちゃんは嬉しそうにはにかんだ。

 ちょうちょ結びが縦とな。


「あっ。そっか」


 佐々木さんが声を漏らす。


「ちょうちょ結びは、紐を巻き付ける方向によって縦横が変わるんだよ。そして、こういうのは癖になりやすい。藤嶋先輩、紐靴履かないタイプでしょ」


「はえ~。よくわかるね、そんなの」


 パイセンは感心しているようだが、俺は納得いってない。


「癖だとしても、丁寧に包装する時は綺麗になるように結び直したりするもんじゃないか?」


「リボンに結び直したようなあとはあった?」


 俺は鞄の中のリボンを確認する。


「たぶんない」


「だろうね。それに替えのリボンをいくつも使ったとして、そんなに何回も考えながら結んでたら、ちゃんと横になる結び方も覚えると思う。けど、先輩の結び目は今日も縦のままだ」


 うーん。そんなもんじゃないだろうか。

 それとも中島の言う通り、俺が女心を理解できていないだけか?


「藤嶋先輩を除外できたところで、次に進もう」


 言いながら、中島は鞄から小さな袋を取り出す。横になったちょうちょ結びのリボンで口を結ばれた可愛らしいピンクのビニール袋だ。


「これは凛ちゃんが友達に渡していたチョコ。いわゆる友チョコってやつだね」


「手作りなんですよ。さっき中島先輩にもあげちゃいました」


 んだとコラ。幼馴染の俺だって貰ったことないのに。ふざけんな。


「食べていいかな?」


「今ですか? いいですけど」


「それじゃ遠慮なく」


 中島は袋から個包装されたチョコを一つ取り出し、顔の前に持ってくる。

 白と黒のマーブル。ホワイトチョコとミルクチョコを混ぜているみたいだ。

 俺に見せつけてるつもりかちくしょーめ。

 中島は凛ちゃんのチョコをじっと観察して、一言。


「ムラがあるね」


 なんと失礼な。手作りのバレンタインチョコに対して文句を言うだと。地獄へ落ちるぞ。


「そうなんです。なかなか難しくて。何回やっても分離しちゃうんです。面倒くさくなってそのまま固めちゃいました」


 えへへ、と髪を弄る凛ちゃん。


「坂本や」


「あい」


「この白いの。ホワイトチョコじゃないからね」


「え、そうなのか?」


 俺の心を読んだような指摘だった。


「これはカカオバターがチョコから分離してるんだよ。湯せんの時に熱しすぎたんだね」


 中島はつまんでいたチョコをそっと袋に戻す。食べへんのかい。


「本命だけ上手く作って、友チョコだけ油分を分離させるなんてことがあると思う?」


「……ないと思う」


 つまり、チョコの差出人は凛ちゃんじゃないってことか。


「凛ちゃん。今度チョコの作り方を教えてあげるよ。一緒に練習しよっか」


「いいんですか? ぜひお願いします」


 凛ちゃんの表情に花が咲く。フォローがうまいやつだ。


「ってことはさ。そのチョコって」


 藤嶋パイセンが言うと、場の視線が佐々木さんに集まった。


「えっと……私?」


 なんてこった。


「そうだったのか。佐々木さん」


 まさかクラスの隠れアイドルである佐々木さんが俺に惚れていたとは。

 なるほど。副委員長の俺に対してなら、『いつもありがとう』のメッセージも頷ける。


「ちょ、ちょっと待って」


 胸に左手をあて、右の掌を突き出す佐々木さん。


「朝も言ったけど、私そういうのは」


 目を伏せて否定する佐々木さん。精一杯の否定の意思表示らしい。


「待って坂本。いいんちょだと決めつけるのは早計だよ」


 なんでだよ。残ったのは佐々木さんだけだぞ。


「そもそもいいんちょは学校にチョコを持ってきたりしないって。そんなキャラじゃないじゃん」


「キャラっつっても」


 それは俺達が勝手に思ってるだけで、佐々木さんだって密かにバレンタインという華やかなイベントに参加したいと思っていたかもしれないだろ。


「犯人がいいんちょなら、わざわざ注意しにこないでしょ。チョコを持ってくるのはほとんど公認みたいなものなんだし。そんなの私があげましたって言うようなもんじゃん。ねぇ、いいんちょ?」


「う、うん」


 眼鏡を押さえて頷く佐々木さんに、中島はやさしく微笑みかける。

 中島よ。だったら誰が俺にチョコをくれたというのか。お前の言う消去法とやらはいったい何を導き出してくれるんだ。


「さぁ。もう答えは出たね」


 中島は堂々としている。


「この中に、犯人はいないってことですか?」


「そういうこと」


 質問した凛ちゃんに、中島が答えた。


「なーんだ。じゃあさっきまでの緊張感はなんだったんさ」


 藤嶋パイセンは脱力して近くの椅子に座り込む。


「おい中島。最後までちゃんと説明しろ」


 まだ俺は納得してないぞ。


「ここまで言えばわかると思ったけど」


 煽るような一言を添えて、中島の推理は続く。


「つまり前提が間違っていたんだよ。カードに書かれたメッセージからこの中の三人に被疑者を絞ったわけだけど、それがそもそものミスだった。あのメッセージカードがブラフだったってこともありえる話だしね」


 ブラフって。なぜ俺が欺かれなきゃならないんだ。


「答えは出たね。僕の消去法により、容疑者全員の白が証明されたんだ」


「マジかよ」


 心の底からがっかりだ。

 こんなことを言うのはみんなに失礼かもしれないが、この中の三人なら誰でもよかったんだ。みんな綺麗どころで、性格に難があるわけでもない。

 だから俺は、内心で勝利を確信していた。

 いや勝利どころじゃない。優勝するつもりだったのだ。

 生まれて初めてバレンタインチョコを貰って、それから彼女ができて。これからの未来を想像するだけで幸せだったんだ。

 それがこんな結末だと? 拍子抜けなんてレベルじゃない。

 これはまさに、絶望だ。

 俺はがっくりと膝を屈し、床に手をついて項垂れた。

 誰か照明を消して俺にスポットライトを浴びせてくれ。


「あ、あの。話がまとまったなら行ってもいいかな? 私、部活行かなくちゃ。部長が遅れたらみんなに悪いし」


「ああ。ごめんねいいんちょ。こんなことにつき合わせちゃって。もう大丈夫、ありがとう」


「ううん、気にしないで。それじゃあね」


 それだけ残して、佐々木さんは足早に美術室を出て行ってしまう。


「あはは。悲しいねおにいちゃん。でも安心して。来年は自分がチョコ作ってあげるから」


 凛ちゃんの慰めが心に痛い。


「ね? ほら元気出して」


 なんていい子なんだ。

 でもなぜ今日じゃなく来年なのか。その分離したやつでいいからくれよ。などとは口が裂けても言えない。


「じゃあ自分も帰ります。友達待たせてるんで。中島先輩、また連絡しますね? チョコの作り方教えてくれる日、決めましょう」


「うん。待ってるよ」


「それじゃ失礼します。おにいちゃんも、バイバイ」


「ばいばい……」


 俺は項垂れたままなんとか別れの挨拶を絞り出した。


「まったく、かわいそうなことする奴もいたもんだね」


 清々しい声はパイセンのものだ。


「少年。貰えただけでもよしとしようじゃないか。犯人が名乗り出なくても、ブツはそこにあるんだしさ」


 パイセンの言うことも一理ある。

 このバレンタインの日に、俺がチョコを貰えたのは事実なんだ。

 それを前向きに受け止めるしかない。


「ふぅ。たくさん喋ったら喉渇いちゃったな。坂本。ジュース買いに行こうよ。奢るから」


「うぃ」


 奢ってくれるならご一緒します。

 こいつも俺を慰めようとしてくれているのだろうから、一応感謝しておこう。

 溜息。





 屋外は寒い。

 自販機の取り出し口で缶の落ちる音が響く。


「ほら。あったかいよ」


「さんきゅ」


 中島が奢ってくれたホットジンジャーエールを受け取る。熱い。


「あーしかし。ほんと、誰がチョコくれたんだろうな。密かに俺のことを好いてる女子がいるってことなんか」


「さーてどうだろう」


 紅茶を買った中島は、苦笑しながらペットボトルのフタを捻る。そして結構な勢いで口に流し込んだ。

 グラウンドの方から野球部の元気な声と、金属バットとボールがぶつかる音が聞こえてくる。こんな寒い中よくやるもんだ。

 俺は学食の壁にもたれかかり、しばしぼうっとしていた。

 中島も俺の隣で同じようにしているが、どこか落ち着きがない。トイレにでも行きたいのだろうか。


「あのさ、坂本」


「あ?」


 よほど喉か渇いたのか、何度か紅茶を含む中島。


「かなり言いにくいんだけど」


「なんだよ」


 それだけの会話のうちに、紅茶のペットボトルは空になっていた。


「チョコを入れたの、僕だって言ったら……怒る?」


「はぁ?」


 なにを言い出すんだこいつは。


「怒るもなにも。え? まじでお前なん?」


「あ、いや」


 こいつにしては珍しく、歯切れのよくない返事である。


「ごめん。今のナシ。忘れて」


 中島は長い前髪で表情を隠し、そっぽを向いてしまった。


「えぇ……」


 これってマジなやつだよな。

 このあとドッキリ大成功の札が出てくるとかないよな?

 大きく息を吸い込み、肺にためた息を一気に吐き出す。こんなでかい溜息、そうそう出すことないぜ。

 俺は鞄の中から箱を取り出すと、フタを開けてチョコを口へと放り込んだ。


「あ……」


 中島が声を漏らす。

 俺が今までチョコを食べなかったのは、もったいなかったからというのもあるが、なにより差出人が不明だったからだ。誰から貰ったかわからないものを食べるわけにはいかない。というか、知ってからの方がより美味しく食べられると信じていた。


「うまい」


「ほんと?」


「ああ。マジでうまい」


「そっか」


 淡々とした声。

 それはあえて感情を抑えているようにも聞こえた。


「お前、お菓子も作れたんだな」


 調理実習でテキパキと料理を作っている中島の姿を思い出す。似合わないと思っていたが、こうして自分の為に作ってくれたものがあると、なかなかどうして嬉しくなるもんだ。

 中島は黙り込んでしまった。

 俺もなかなか話を切り出せない。

 静かにチョコを口に運び、うまい、うまいと呟くのみ。

 冬空の下にも拘らず、俺の体はまったく寒さを感じなかった。


「俺、部活行くわ」


 全てのチョコを食べ終える頃。

 何度も口を開きかけて、やっと捻り出した言葉がそれだった。


「じゃあな」


「……うん。また明日」


 俺は中島に背を向けて、美術室へと向かう。

 我ながら情けない。ヘタレと言われるのも納得だ。

 数歩だけ進んで、ふと立ち止まる。

 振り返ると、中島が微笑んで小さく手を振っていた。

 セーラー服の裾を、ぎゅっと握り締めて。

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