名もなき者たちから終幕のご挨拶を

橘 永佳

Ⅰ.竜帝の挑戦

 竜の咆哮が響き渡る。


 手足をはじめ半機械化された体は、シルエットだけなら人型に近いが、頭は紛れもなく竜そのもの。

 その顎の前に浮かび上がった魔法陣が声の音波と息吹を圧縮、変換して、形のない砲弾となって空を切り裂く。高エネルギー弾と化したそれが、廃ビルの土手っ腹へと叩き込まれた。


 わき腹の皮一枚を残して大穴の空いたビルは、ひと呼吸の間だけ堪えるように震えていたが、ゆっくりと、倒れ込むように崩れて、正真正銘の廃墟と化した。


 コンクリートの廃ビルが立ち並ぶ、滅びた街。

 続けざまに轟く爆発音。


 三つ、四つと廃墟を量産しながら、しかし、竜は苛立たしげに舌打ちした。


 当たらない。


 咆哮弾はソニックブームをまとう音速だ。直撃は元より、近くをかすめるだけでも叩きのめされたかのような衝撃を食らうはず。

 はっきりと目に見える弾でも無し、完全にはかわしにくい類の攻め手である。


 なのに、あろうことか完全にかわされている。

 連発しているにもかかわらず、その全てが、だ。

 それどころか、崩れ落ちる廃墟を盾に、動きを隠す壁に利用されている始末。


 たかが人間風情に。


 いや、ただの人間とは思えない。

 いくら廃墟を、地形を利用しているとはいえ、人間程度の運動能力で、この重爆撃の雨をくぐり抜けられるわけがない。

 大体、ただの人間ならば、先の雷撃を耐えられたはずがないのだ。


 廃墟の間を飛翔する戦闘服姿の男。

 人間の年齢なら20代半ば程度か、魔法が使えるわけでもなく、武器らしきものは短剣のような一本のみ。実際は、コンバットナイフにしては刃渡りが長すぎる代物なのだが、竜の知識の外のことだ。


 南海の竜族の王に、コンバットナイフ一本で渡り合う男。

 意志の強そうな、切れ長の目が虎視眈々と隙を窺っている。


 らちがあかず、竜が大きく息を吸い込む。

 上向きになった竜の口元から、チロチロと漏れる炎。


 同時に、男が前へと突進。


 右から左へと頭を振りながら吐き出される炎の吐息が、辺り一面を紅蓮に染めていく。


 戦闘服も炎に呑まれる。

 が、次の瞬間、炎を突き破ってきた。


「!」


 竜が驚愕する。

 自分の懐へと飛び込むことが被害を最小限にする答えだとしても、躊躇なく業火へ突っ込めるとは。

 それに、最小限のダメージといっても火だるまは避けられないはずだ。


(炎は効かぬのか!? それにしても剛胆な!)


 急速に間合いが詰まる。

 迫る影。


 竜は、そこで退く性格ではなかった。

 人間の腕のような形へ作り替えられた己が鉄腕を、巨人のごとき拳を男へと叩き込む。

 各部のロックが外れて腕が倍近くまで伸び、地響きとともに地面を穿つ鋼の正拳突き。これも横っ飛びでかわされる――


 ――のは折り込み済み。


 拳が地面に接した瞬間に上腕部までの装甲が展開、内部に仕込まれた半月状のブレイド全てが、炸薬で一斉に撃ち出された。


 岩すら両断する斬撃の散弾。


「何っ!?」


 見開かれる竜の瞳。

 その目が、飛来するブレイドを踏み台にして、階段を駆け上がるように跳ぶ姿を捉えたからだ。


 ギリギリの、刹那の世界。


 男の片足が避け損なって斬り飛ばされる。

 それを引き替えにした最後の一歩で、男の姿が竜の目の前に舞う。


(見事! だが、そこではこれはかわせまい!)


 胸の内で賞賛しつつ、竜が頭上に魔法陣を展開する。

 瞬く間に三つ、三重に描かれたそれが青い光を放ち、同時に、男の頭上にも小さな魔法陣が浮かんだ。


 上空で電荷が急激に上昇、電位差が一気に広がっていく。


 照準を男に定めた落雷。先に食らわせたものとは違って重ね掛けの全力、威力は比較にならない。


 人間は、空中では身動きがとれない。


 男の口が小さく動く。


「それはさっき見た」


 その手が腰の後ろへとまわった。

 腰のホルスターから引き抜きざまに撃たれるワイヤーガン。その先端のアンカーが、竜の角に引っかかる。


 魔法陣が輝くのと、男がワイヤーガンを頭上に放るのが同時だった。


「ガアアアアアアアァァァッ!!!」


「ウオオオオオオオォォォッ!!!」


 まさに轟雷というべき雷鳴の中に、竜と男の悲鳴が混じる。

 竜の放った雷が、ワイヤーガンを伝って竜自身へと落ちたのだ。自分の全力を突っ返された竜が悶絶、しかし、ワイヤーガンを避雷針としても余波を免れるわけがなく、男も高電圧にさらされて墜落した。


 竜が膝を突き、倒れ込むように屈む。


「グウウウ……ガッ!?」


 悶える竜の口から困惑が漏れた。

 遅れて、血も。


「な……なぜ……」


 竜の視線が下へ、自分の喉元の下へと向かう。


 男の背中。

 その手のコンバットナイフが、竜の喉を貫いている。


「君たちは、ここが急所なんだろう?」


 男のしわがれた声。

 ナイフは、逆さに生えた鱗を刺し貫いていた。確かに、竜族には全身に一枚だけ逆さに生えた鱗、逆鱗がある。竜族唯一の急所と言って良い。


 だからといって、逆鱗が柔らかいわけではない。他の鱗同様、鋼を凌ぐ堅さを誇る。

 さらに、その上に強度とじん性を変えた層を重ね合わせた特製の装甲で覆っていたのだ。堅く、ねばり強く、破られることのない壁。


 それらをまとめて貫くとは。


 たった一枚の場所を見抜き、鉄壁を貫く。満身創痍の身で。


「知……って、いた……の……か」


「ああ。前にも戦ったからな」


 男が手に力を込め、ナイフがさらにめり込む。


「ガハッ!」


 ひときわ大きく血を吐き、竜は完全に倒れ込んだ。

 突っ伏した竜の首の下から、戦闘服姿が這いだしてくる。

 そしてそのまま座り込んだ。


 ため息を、大きく、一つ。


「……貴殿、名は?」


 唐突に問いかけられて、男は少し驚いた。


(ほう、まだ生きているとは……)


 これまで男が戦った同じタイプの竜は、逆鱗を貫けば即死だった。

 まだ話が出来る、意識があるケースは初めてだ。


(たいしたものだ。さすがは四竜王の一角、南海の至高竜帝と呼ばれるだけはある)


 男は竜の顔へと向き直った。


「固有名称は忘れた。エクスとは呼ばれているな」


「……奈……落の、悪鬼……らしからぬ、名だな……」


 男、いや、エクスが苦笑する。


「ここを奈落と聞いたのか?」


「ああ、蓬莱……の、仙……道は、そ……う言っ……たがはっ」


 言葉の終わりは、一塊の血反吐と一緒だった。


(奈落に仙道ときたか。A.D.め、今回は少々遊んでいるな)


 あながち間違いでもないし、そもそもどう思われてもかまわないか、と思いを巡らせて、エクスは訂正しなかった。


 竜の口から、血の塊がさらに吐き出される。


「……無念。だ……が……」


「次は無いぞ」


 続く言葉を先んじて遮られて、竜の目が見開かれた。


「な……?」


「ここは全ての時空間の上に成り立っている。あらゆる時間軸のあらゆる世界、宇宙とつながっている場所だ。お前たちが言うところの『絶望』という物を集積し『奇蹟』を生成する。勝てば、その『奇蹟』の中から好きな物を一つだけ持って帰れる。ただし、ここも万能でもなければ無限でもない。故に『ルール』がある」


 一息入れてから、「もっとも、『奇蹟』も善性ではないし、そもそも――」と言いかけて、まあお前には関係ない話だな、と勝手に話を打ち切った。


 困惑する竜へ、今一度目を合わせるエクス。


「お前の望みは『種族の絶滅の回避』だろう? 竜帝よ。その願いを賭けるときに聞いたはずだ。負けたとき、それは絶望となって実現する、と」


「な、なぜ……それを、いや、ど……ういう、こ……と……」


 わななく竜の横で、エクスは続ける。

 淡々とした、いや、凍えた目で。


「お前たちの筋肉細胞には素粒子を素粒子のままで引き寄せ、解放する性質の組織、特殊な小胞が混じっているようだな。物質を構成する素粒子を扱うのをα小胞、力の伝達に関わる素粒子を扱うのをβ小胞と大別すると、それぞれにⅠ型、Ⅱ型……まあ、詳細は省くが、その小胞が減少しているのがお前たちの衰退の原因だ」


 こともなげにエクスが話す内容が、竜には分からない。


「な、何を……?」


「お前たちが『魔力』と呼んでいるものの正体は素粒子だ。素粒子を扱える小胞が減ったから、魔力が弱まっているわけだ。それを関知して制御する脳の視床周辺神経網が退化したのが原因か、小胞の減少が神経網退化の原因かは、卵が先か鶏が先かの話になるが」


 竜は声もなく驚愕した。

 目の前の男が語る内容は理解できない。しかし、何について語っているかは察せた。


 男は、謎だった竜族の衰退の原因を、その解答を述べているのだ。


「弱体化を補うために機械化を進めたようだが、肉体を失うごとに魔力を失うのだから逆効果だったな。今や、往年の力を誇るのはお前と、お前の血族で生まれた幼竜一体だけ。その子は先祖返りを起こしているから、お前に匹敵する強者になるだろう」


 そう、次代が、竜の玄孫にあたる子がまだ残っている。

 まだ一縷の光が残っている、と竜は思っていた。


「その幼竜に希望を託したいんだろうな。しかし、ここで負けた以上は絶望、『種族の絶滅』が実現する。お前の時間で言うなら、お前がここを目指して旅に出た次の瞬間――」


 エクスは少し目をそらした。

 声は無慈悲なままで


「お前の種族は絶滅する」


 竜が身悶えした。苦しげに。


「ばか……な……っ」


「『奇蹟』を生成するのと同様に、お前にとっての絶望も実現化される。それが『ルール』だ」


「ばかな……っ!」


 震える竜。

 その頭がわずかに持ち上がる。


「この『箱庭』にたどり着く程だ。長く壮絶な旅だっただろうが……残念だったな」


「おのれぇぇぇっ!」


 渾身の力を振り絞って、竜が牙をエクスへと振りかざす。

 しかし、その牙が届く寸前で、竜の傷と口から、血が破裂したかのように吹き出した。


 地響きとともに落ちる竜の顎。

 返り血にまみれながら、眼前の敗者と向き合うエクス。

 その表情は、先ほどとは違っていた。


 眉間に深い皺。

 堪えるように。


 地面へと目を落として、その口が小さく動いた。


「すまない……眠れ」



(続く)

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