幌馬車

 天文台への帰り道、俺はまたもや、月の民を虐げる大地の民に遭遇した。


「早く荷台に積み込め! 遅い!」


 道の脇に幌馬車が停められており、髭を生やした大地の民のおじさんが、四、五人ほどの月の民に荷物を積ませている。

 便宜上「馬車」と表現したが、車を引いている生き物が馬ではなくて馬に似た別の生き物なので、正確には馬車ではないのかもしれない。馬にしてはやけに大きいし、額に三日月模様がある。

 どこかの世界に馬という生き物がいて、ここにいるこれが馬に近いのも分かるのに、自分に関する情報は全然思い出せない。難儀なものである。


 月の民が、重たそうな木箱を抱えてよたよたと歩いてくる。働かされている月の民たちは、いずれも毛色や尻尾の長さがばらばらだった。

 荷台に木箱を積み込む彼らに、髭の男が罵声を浴びせた。


「おい! この木箱はこっちの箱の下だ! 全部降ろせ、積み直しだ」


「え。そんなの聞いてない。倉庫の手前にあるものから順番にって……」


 月の民の内のひとり、茶白の斑模様の青年が、辿々しく反論する。しかし髭の男は全く取り合わないどころか、口答えされて逆ギレした。


「手前から順に積んだだと。なぜ積み込みの順序を都度確認しない!?」


「さ、さっきは『いちいち確認するな』と仰って……」


「うるさい! やはりお前らは所詮は獣だ。低能な獣には、この程度の作業も充分にできない!」


 みるみる激昂していく髭の男に、突っかかってしまった月の民は小さくなった。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 フレイが言っていた。月の民を雇っては不当に扱っている、悪徳経営者がいると。

 縮こまる月の民を見ていたら、一瞬、俺の脳裏になにかが蘇った。


 深夜の廊下、起き出して水を飲みに、自室からキッチンへ出てきた自分。そこで偶然、見てしまった。


『母さん……?』


 玄関に立つ、大荷物の女。彼女に向かって俺は、裸足で歩み寄った。


『母さん、どこ行くの?』


『ごめんね、壱夜は悪くないんだけど……』


 母さんと呼ばれたその人が、気まずそうに身じろぎする。


『これからはお父さんと、仲良くね』


『待って……』


『ごめんなさい』


 彼女は俯いて、俺の目を見なかった。


『ごめんなさい。ごめんね、壱夜……』


 思い留まってくれないくせに、頻りにそう繰り返す――。


 そこでハッと、我に返った。髭の男が月の民たちを集め、馬車馬用の鞭を手に取る。


「獣には躾が必要だな。お前ら全員、連帯責任だ」


 体罰でも起こりそうな雰囲気だ。いたたまれなくなった俺は、咄嗟に馬車の方へと駆け出した。


「やめろ! 殴ることないだろ!」


「はあ!? なんだこの小僧、お前には関係ない!」


 髭の男が俺に怒鳴る。俺はびくっとしつつも食い下がった。


「殴ってる暇があったら早く次の指示出せよ。積み直すんだろ」


「生意気な小僧だな。大地の民なのに、月の獣共みたいな奴だ。お前も獣同様、痛みが伴わないと分からないか!」


 そう叫ぶと、髭の男は鞭を振るい、俺の体に叩きつけた。その勢いのままに、俺は体ごと石畳に転がる。階段から落ちた打撲もまだ治りきっていない体に、電撃みたいな痛みが迸った。倒れ込む俺を、髭の男が踏みつけようとする。

 すると荷積みをしていた月の民のひとりが、こちらに駆け寄って俺を庇った。


「ニャッ……」


 代わりに足蹴にされて、彼は短く叫んだ。横たわっていた俺は、その人を見上げる。赤紫の瞳に、折れた左耳。


「あ、君は……」


 昨日も会った、灰色の癖毛を持った月の民――マイトである。全く気づかなかったが、彼はこの仕事の作業員のひとりだったのだ。

 俺と目を合わせたマイトがなにか言おうとしたが、その前に、髭の男が彼の背中を蹴飛ばす。弾みでマイトが崩れ落ち、俺の上に倒れてくる。

 髭の男が鞭を真っ直ぐ伸ばして、マイトの背中に足を置く。


「獣同士で助け合いか。お前らみたいな役立たずは、まとめて肉団子にでもして、サーカスの猛獣の餌にした方が有益かもしれないな」


 マイトは激しく噎せているし、作業員をしていた他の月の民たちは、巻き込まれまいとして遠巻きに震えている。都の住民の月の民たちも、怯えて近づいてこない。

 自分から首を突っ込んだ俺は、精一杯、髭の男を睨むしかできなかった。


 と、そこへ、芯の通った凛とした声が響いてきた。


「なにをしている!」


 俺とマイトは、上手く動かない体を捻って、声の方を向いた。こちらに向かってつかつかと歩いてくる、細身の男がいる。

 歳は、三十代後半くらいだろうか。青みがかった黒髪に、シュッとした端正な顔立ち、深い藍色の瞳をしていた。耳が人間の耳であることから、大地の民だと分かる。


 彼が近づいてきた途端、髭の男は慌ててマイトから足を下ろした。


「つ、ツヴァイエル卿! これはこれは。卿ともあろう方が、なぜこんな月の都なんて辺鄙な場所に……」


「こちらが質問している。この少年たちになにをしている?」


 涼やかできれいな声だが、滲み出す怒りで迫力がある。詰め寄る男に、髭の男はすっかり焦燥して、必死に取り繕いはじめた。


「い、いえ。この者たちが勝手に転んだだけで、わたくしめはなにも。さあ、お前たち。荷物の積み込みを再開しなさい。これはツヴァイエル商会の商品だ、丁重に扱え」


 髭の男が俺たちから背を向けて、別の作業員たちに手を叩いた。引っ込んでいた作業員らは、怯えながら作業を再開する。

 まだ石畳で潰れている俺とマイトの前に、先程の藍色の目の男がしゃがんだ。


「君たち、怪我はないか?」


 絵に描いたような整った顔に、優しげな声、質のいいコート。若い頃はさぞモテたのではないかという風貌だ。何者なのかはさっぱりだが、助けられた。

 俺はマイトを支えながら起き上がる。


「大丈夫です。ありがとうございます」


 周囲がざわざわしている。髭の男に萎縮していた住民たちが、胸をなで下ろしてこちらを見ていた。道の脇で、月の民の婦人たちがうっとりした眼差しを向ける。


「ツヴァイエル卿だわ。素敵ね」


「暴行を止めてくださったのよ」


 彼女たちの目線は、俺の隣の優男に向けられていた。なんだ、この人は有名人なのだろうか。そこへ今度は、野獣のような怒号が飛んできた。


「おらあ! 通報があったぞ、月の民に暴行とはどこのどいつだ!」


 この騒ぎを聞きつけて、フレイが仕事場を飛び出してきたのだ。髭の男がびくっと飛び上がる。彼を見つけるなり、フレイは髭の男の腕を掴んだ。


「てめえだな。不当な体罰は経営法で違法と定められてるのを知らねえのか」


「わ、わたくしめは、なにも」


「ツヴァイリー運送の幌馬車の御者だっつう情報まで通報されてんだよ。悪足掻きしてんじゃねえぞこら」


 フレイの腕に力がこもり、掴まれていた髭の男がひいっと叫ぶ。フレイがその剛腕を上に伸ばすと、髭の男は足が浮いて、宙に吊るされた。

 その様子を見かねて、俺たちの前にいた藍色の目の男が立ち上がる。


「フレイ、やめないか。役場が経営者を威圧するのも、それはそれで社会問題になってるだろう?」


 声をかけられ、フレイが髭の男の腕を離した。


「あ。エルドじゃねえか。なにしてんだ」


 突然離された髭の男は、体制を崩して石畳にべしゃっと倒れた。彼を一瞥したのち、藍色の目の男はフレイににこっと微笑む。


「今日は定期視察だよ。月の都の物流倉庫の様子を、僕自身の目で確認しておきたくてね」


 柔らかな表情は、いかついフレイとは対極的である。黙って見ていると、フレイが俺に気がついた。


「あ!? イチヤ、お前もいるのかよ。なにしてんだ」


「その馬車のおっさんが月の民をいじめてたから、ムカついて、つい」


 簡潔に説明する俺から、マイトがばっと顔を上げた。


「この方が助けてくれたんです! 俺たち月の民が鞭で叩かれそうになったところを止めてくれて、そんで、代わりにぶたれたんです」


「はあ、なにやってんだ、お前……」


 フレイが驚いたような呆れたような目で俺を見下ろす。それから横に立つ男――ツヴァイエル卿に向かって、小さくなっている髭の男を指で示す。


「エルド、お前がここにいるなら、ここで報告する。こいつの処分、頼んだぞ」


「そうだね、処罰はこっちで行うよ。さて、この荷物はウィルヘルム行きか? あとの指揮は僕が取ろう」


 ツヴァイエル卿は作業員の月の民たちに目配せして、それから俺とマイトを振り返った。


「君たちはもう休みなさい。怪我があるようなら、ツヴァイリー運送に連絡して、相応の請求をするんだよ」


 優しくそう諭して、彼は現場の指揮に戻った。

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