市場

 森を抜けると、細い小道に出た。草むらの間を突き抜ける道を五分ほど行けば、ぽつぽつと建物が出てきて、やがて石畳の街になった。

 

 二階から三階建てくらいの、レンガ色をした建物がひしめいている。たまにテレビの歴史番組で見る、近世のヨーロッパの街並みに似ていた。

 外で洗濯物を干す人の姿や、狭い路地で遊ぶ子供、果物を積んだリヤカーを引いて売り歩くおじさん。営まれる生活の端々が目に触れる。人々はやはりクオンとシオンと同じように、三角の耳と長い尻尾が生えていた。毛色はそれぞれ、個性がある。

 坂や階段が多い。建物が高いせいか、吹き付ける風は強くて冷たかった。


 歩いていると、縞模様の耳をした月の民のおばちゃんが、こちらに声をかけてきた。


「クオンちゃん、シオンちゃん!」


 双子を呼び止めると、なにかメモを手渡している。


「『月の雫』がそろそろなくなるから、明日にでもひと瓶、届けてくださる?」


「了解!」


「承知!」


 双子が同時に敬礼して、クオンがメモを受け取った。俺は歩きながら、聞いた言葉を繰り返す。


「月の雫? ってなんだ?」


「月光のエネルギーを凝縮したお水だよ。月の民のための、お薬みたいなものかな」


 クオンがメモをひらひらさせる。シオンがこちらを覗き込み、言った。


「月の民は、月が放つ神秘の光……『月のエネルギー』で、体が動くの。ないと眠くなっちゃう」


「えっ、そうなんだ」


「うん。だから昼間とか、雨の日とか、新月が近づいてくる頃とか、月の力が弱っちゃうと、みんな元気がなくなっちゃうの」


 シオンがそこまで話し、俺は首を傾げた。


「でも、今は昼だけど、君たち月の民、元気そうじゃない?」


 するとクオンが、ひょいと手を上げた。


「そう、そのために必要なのが、月の雫。これを飲めば、月の光がなくても月のエネルギーを取り入れられるんだよ」


「月の雫を作るのが、月影読みのお仕事なの。満月の夜、望遠鏡を使って月のエネルギーをたっぷり集めて、月の雫を生成する。そして、街の月の民に配るの」


 シオンが話す。

 聞けば聞くほど不思議な世界だ。ますますもって、「天文台」の意味が、俺の知っているそれと乖離してくる。

 今は日が高く、月は空のシミみたいにぽつっと浮かんでいるだけである。でも、月のエネルギーが必要だという月の民たち、クオンとシオンを含めた彼らは、今も元気に活動している。その月の雫とやらのおかげなのだ。


 歩いていると、三角の耳が生えていない人とすれ違った。俺と変わらない、人間の耳である。尻尾もない。古めかしいながらも高級そうなスーツを着た、老紳士だった。


「さっきの人、耳が違ったな」


「大地の民だね。月の都にもいるんだよ」


 クオンが答える。


「セレーネ様だって大地の民だよ」


「月影読みなんていかにも月の人の仕事っぽいのに、セレーネは月の民じゃないのか」


 月の都は月の民の領土なのだから、月の民が管理するのではないのか。よく分からない。

 街の中心に近づいているのだろう。人が増えていく。人口密度が上がるのに比例して、三角耳でない人……すなわち大地の民が、ぱらぱらと姿を見せるようになってきた。


「なにをやっている! 早く行け!」


 男の怒号が聞こえた。俺は首を竦めて、振り向く。大地の民の太った中年が、荷車を引く月の民の初老の男に怒鳴りつけていた。


「トロくさい。これだから獣どもは……」


「すみません、でも、賃金が聞いていたよりも随分天引きされていて……」


「黙れ! 早く行けと言っている!」


 再三怒鳴られて、月の民の初老男はすごすごと荷車を引いて歩き出した。荷車には土嚢袋のような荷物がこんもりと積まれていて、見るからに重たそうだった。

 他のところでも、大地の民と月の民がやりとりしている声がする。


「もっと安く売りなさいよ!」


「ですが、私たちも生活が苦しく……!」


 そこそこきれいな身なりをした大地の民の女が、気の弱そうな月の民のおばさんに絡んでいる。


「獣のくせに、口答えする気!?」


 キンキン声が耳を劈く。

 なんだか胸が痛い。単純に、怒られる月の民を見ていると痛々しい気持ちになるというのもそうだけれど、それ以外にも、胸の奥から不快感が湧き上がってくる。なにか、嫌なことを思い出しそうだ。ここに来る前の記憶だろうか。しかしその断片を掴もうとすれば、すり抜けていく。思い出しそうで思い出せない。


 街の様子を見ていて、なんとなく察する。もしかしたら月の民は、大地の民から迫害を受けているのではないか。


 仮にも月の都は、月の民の住処だと聞いている。しかし幅を利かせているのは大地の民で、見かける数こそ少ないものの、月の民を威圧している。

 そう思うと、月の民の生活に必要不可欠な月影読みを大地の民が担うのは、そういうことかと思えてくる。身分が高い大地の民が、月の民の生活を牛耳っているのだ。


 俺がそこまで察したのが分かったのか、シオンがそっと、俺の袖を握ってきた。


「大地の民、全員怖い人ってわけじゃないよ。セレーネ様は、月の民想いの強い味方。私たちがいつもお世話になってる役場の人たちも、優しいよ」


「役場の人も大地の民なのか」


 傍から見ると大地の民の印象はかなり悪いが、月の民であるこの子たちが慕う大地の民がいるのもまた、たしかだ。


 さらに進むと、噴水のある広場に出た。クオンが両腕を広げてくるりと回る。


「ここは噴水広場。おっきなイベントがあるときや、大事な発表があるときは、ここが集合場所になるんだ」


 ベンチに寝そべっている月の民が、数名見られる。多分、浮浪者だ。身なりがあまり整っていなくて、髪も尻尾の毛も伸び放題の人ばかりだ。


 噴水の向こうには他の建物とは違う横に広い建造物があった。蒸栗色の外壁に、オリーブ色の三角屋根、ずらりと連なる窓を持った、なにやら重要な機関らしき建物である。シオンがその建物を見上げる。


「あれは都の役場。大地の国の王国議会の支舎みたいな感じでね。月の都の行政とか、福祉とか、そういうのを取りまとめてる。天文台のお仕事も、ここと連携してるの」


「この先が市場だよ、行こう行こう!」


 買い物が楽しみなのか、クオンが早足で先を急ぐ。


 街の市場へ出る。小さな露店がいくつも連なっていて、月の民たちが店番している。買い物客の方には、月の民も大地の民も入り混じっている。とはいえ大地の民は珍しく、全体の一割いるかどうかくらいである。


 クオンとシオンは、市場を覗き込んでは俺を呼んだ。


「見てイチヤくん! ゲラゲラ鳥がお得だよ」


「クオン、イチヤくんはお肉を怖がるから、果物を買おうよ」


 不気味な鳥の肉を買おうとするクオンを、シオンが制する。俺は苦笑いしつつ、その隣の露店に目をやった。甘やかな香りを漂わせる、カラフルな果物がたくさん並んでいる。大きさは桃くらいだが、皮の色は淡い桃色もあれば黄色や空色もあり、グラデーションになっているものもある。


「わっ、なんだこれ。きれいだな」


 驚く俺の横に、クオンがぴょこんと寄り添う。


「それはコルエ村の特産物の、コルエ・リンだよ。色は様々だけど味は全部一緒。甘くておいしいよ」


 そして反対側の隣には、シオンがくっつく。


「これ、クリームで煮付けるとおいしいの」


「いいね。甘くて栄養もたっぷり」


 クオンも同意する。そしてふたりは、籠いっぱいに果物を詰めはじめた。変な色ではあるが、よく分からない肉よりは抵抗が少ない。味も甘いというのなら、俺でも馴染みやすそうだ。


 と、賑わう市場の一角で、空気が痺れるような怒声が響いた。


「このガキ! この方をどなたと心得おる!」


 また大地の民が月の民を怒鳴っているのか、と、俺は不快な気持ちで声の方を振り向いた。見ると、やはり予感的中だ。灰色の耳をした大人しそうな月の民の少年と、赤毛の大地の民、その横にもうひとり、ローブを着た大地の民がいる。

 赤毛の大地の民が太い声で叫ぶ。


「汚い獣め! 弁償しろ!」


 ガタイのいい、筋肉質な男だ。胸当てなどの防具をカッチリ着こなし、腰にはレイピアを下げている。騎士のような出で立ちだ。

 大きな体から発される大きな声に、民衆の目が集中している。男はそれも気にもとめず、目の前の少年を罵っていた。


 月の民の方はというと、泣きそうな顔で震えて絶句していた。目の前の大男とは対極の、細っこい肢体の少年だ。俺より少し若いだろうか、中学生くらいと思われる。

 くすんだ灰色の耳はぺたんと下がって、ふわふわの尻尾も、丸まって震えている。手にはワインらしき瓶の入った籠。足元には、クオンとシオンが詰めているのと同じ、カラフルな果物が転がっていた。

 赤毛の大男が、彼を見下ろして吠える。


「貴様のその安物のワインが、ニフェ様のローブを汚したのだ!」


「ご、ごめんなさい……」


 少年がやっと声を絞り出す。

 どうやら、赤毛の男の隣にいるローブの大地の民に、ワインがかかったようだ。ローブの大地の民が、のんびりした声で言う。


「まあまあグルーダ。その辺にしないか」


 うねった白髪と白い髭のおじいちゃんである。

 黒いローブを羽織り、首には白いスカーフを巻いている。遠目でも、生地の質のよさが窺えた。しわしわの老人だが、なんだかそこはかとなくカリスマ性を感じる。


「ローブはこちらで新調すればよい。なにも貧しい月の民から絞ることはないだろう」


「しかしニフェ様……!」


 赤毛の男は隣の老人になにか言いかけ、そしてまた、怯える月の民に向き直った。


「ニフェ様の御慈悲に感謝するんだな」


「グルーダ。視察はまだ終わっていない。次の地区に向かうぞ」


「はっ」


 ローブの老人がつかつかと歩き出し、赤毛の騎士も彼についていった。灰色の耳の月の民は、まだそこで立ち尽くしている。それから彼はぺたんと、石畳に座り込んだ。耳と尻尾はまだ倒れたままで、小さな全身が震えている。

 いてもたってもいられなくなって、俺はその少年に歩み寄った。


「あの……大丈夫?」


「ふぇ……」


 少年がびくっとして、顔を上げた。灰色の癖毛に、左だけ折れた耳。瞳は赤紫色だ。彼は俺を見上げると、自嘲的にはにかんだ。


「へへ、すみません、お見苦しいところを……」


「いや、こんなところで怒鳴る方が見苦しいから。変なのに絡まれて大変だったな」


 俺もしゃがんで、落ちている果物を拾う。どれも汚れているし、中には落ちた衝撃で潰れてしまったものもある。ワインも溢れて、瓶の中身は半分以上減っていた。

 少年も果物を拾い、籠に戻す。


「変なの、って……あれ、大地の国の偉い人たちですよ」


「えっ、そうなのか」


「ははは。お兄さんも大地の民なのに、面白いこと言いますね」


 怯えていた少年が、ちょっとだけ笑顔になった。

 そういえば、あのローブの老人は、物腰が柔らかいが威厳があった。騎士風の男はその付き人だろう。そんな地位のある人にぶつかって、ワインを溢してしまったから、この少年はあんなに縮こまっていたのだ。

 買い物を終えたクオンとシオンも、こちらに駆けつけてきた。


「わあ、果物汚れちゃってる」


「ぐちゃぐちゃだね……」


 ふたりが地面の果物を見て言うと、少年は、悲しそうに下を向いた。


「うん……もう食べられないかな。日雇い労働でお金を貯めて、やっと買えたのに」


 少年が潰れた果物を手に取り、それを見つめる。


「病気の母さん、これくらいしか喉を通らないんだけどな……また働かないと」


 するとクオンとシオンは互いに顔を見合わせ、クオンが持っていた籠を、少年に突き出した。


「あげる!」


「どうぞ!」


 シオンもクオンの籠を手で指し示して、促す。


「えっ!」


 少年が目を剥く。双子はさらにずいっと、彼に籠を寄せた。


「だって折角買ったのに、かわいそうだもん」


「お母さん、元気になるといいね」


 少年は絶句している。自分の手の中の潰れた果物と、クオンとシオンとを、交互に見て、また声を出す。


「い、いや、違うんだ。物乞いのつもりじゃなくて……!」


「知ってるよ。だからこれは、私たちがしたくてしてることだよ」


 クオンが籠を少年に手渡す。シオンは、自分の持っていた籠を胸に抱いた。


「私たちのはここにあるから大丈夫。半分貰って。お母さん、待ってるんでしょ?」


 やがて少年は、クオンから譲り受けた籠に手を添えた。そして涙を溜めた目で、ふたりを見上げる。


「ありがとう……俺、マイトっていいます。この恩は必ず、必ず絶対絶対、お返しします」


 彼はよろっと立ち上がると、クオンとシオンにそれぞれお辞儀をした。そして俺にも、深々と頭を下げる。


「本当に本当に、ありがとうございました!」


 少年は何度もお礼を言って、駆け出していった。クオンとシオンが手を振る。


「ばいばーい! 気をつけてね!」


「また落とさないようにねー!」


 灰色の後ろ頭を見送ってから、俺は左右に立つ双子を改めて見た。


「気前がいいな、君たち」


「天文台の経費でどうとでもなるからいいの」


「そうそう。天文台は行政機関のひとつとして認められてるから、資金はいくらでも下りるよ」


 クオンとシオンはあっさりと言うと、次の買い物へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る