第10話 トモガラ

 古びたアパートの一室。ワンルームの和室は四畳半で家具はほとんどない。洗面台に錆びたヤカンが無造作に置かれ、玄関口の郵便受けには溢れんばかりの封筒が挟まれていた。

 畳の真ん中で綿の潰れた薄っぺらい座布団を枕にし、ぼんやりと天井を見つめる男。電灯だけが光っていて、天井はシミだらけだった。

 四方田麻徒よもだあさとはぼんやりとした声で呟いた。


「この景色も今日で見収めか」


 煌々と輝く電灯を見つめたまま、目を閉じた。今日はこの部屋の最後の輝きを体に焼き付けるために、電気をつけたままにしておこう。四方田はそう思い、垂れ下がる紐を引っ張ることなく、眠りにつくことにした。

 腕を組み、体を横に倒す。閉じた瞼の奥から差し込んでくる光は四方田の睡眠は全力で阻んでいた。


「存在を消すねぇ……」


 まだ眠ってはいないが寝言のように呟やいた。

 床についたとき、今日一日の印象に残った箇所が脳内でフラッシュバックすることはよくある。

 四方田は高層マンションの屋上での会話を思い出していた。謎の女が言った奇妙な一言。半ば信じ難いが嘘を言っているようにも見えなかった。

 最初は怪しい宗教家かと思った。だとしたらよっぽど入信者の少ないカルト教団だろう。あまりにも現実離れしているし、まるで死ぬ事を斡旋している。

 金目当てというわけでもなさそうだし、何かの人員集めか。考えれば考えるほど、眠れなくなり、屋上で会った女の顔と声が鮮明に再生された。

 多少の差異はあるだろうが、会話の内容を幾度も繰り返した。そして考え疲れた四方田は徐々に意識を沈ませた。


 翌朝、目を覚ますと昨晩まで煌々と部屋全体を照らしていた電灯が消えていた。紐を引っ張っても、パチンと音を立てるだけだ。

 カーテンの隙間から差し込む朝日だけが頼りだ。ついに電気も止まった。蛇口をひねっても水は出ない。トイレに行くにも最寄りのコンビニまで走る必要がある。

 この空間から全てのものが消えた。四畳半に残ったものはかび臭さと、生気のない男が一人。

 四方田はポケットから名刺を取り出した。それを天井に掲げ、朝日に照らす。

 そこには「篠月」の文字。詳細はなにも記載されておらず、一体何を行っている人間なのか、どんな稼業なのか、紙切れ一枚からは読み取れなかった。

 ただ名前の下に太字で「死んでしまう前に」と記され、事務所の住所だけが記載されていた。


「内臓でも売り飛ばされるのかな」


 その名刺を見上げて嘲笑した。

 郵便受けに溜まった金融機関からの封筒は溢れすぎて、もう何も入らない。家具も売った。スマホを持った。持っている洋服も売った。そして大事な親友すらも売った……

 部屋の扉がノックされる。外から聞こえてくるのは聞き慣れた大家の怒鳴り声だ。人の怒号はもはやBGM。聞き慣れすぎて何も感じない。

 四方田は大きな溜息をついた。売れるものはこの肉体くらいしかないか。名刺を見つめたまま、重たい体を起こすのだった。

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