過去―前編

「あれ? 此処は……? 三日月さんの家?」


 ハッと意識が覚醒した時、私は廊下に突っ立っていた。

 今までの事は夢だったのだろうか? そう思えるような形容し難い感情が胸の中を渦巻いている。


「なんだか違和感が? 視線が低い? あ、あれ? 髪が……んん?」


 いつもより視線が低く、具体的には子供のような低さだ。

 困惑しつつ髪を掻いてみれば、三つ編みだった髪型がさらさらのストレートになっていると気づく。そして、よく身体を観察してみれば……


「私、人間の……それも子供なってる……? なんで!?」


 窓ガラスから微かに反射されている自分の姿を見て、私は自分が自分でなくなっていると確信した。

 私はロボットで、大人しい女子高校生だった筈なのに、今ではキリッとした凛々しそうな子供に成り果てている。


「な、なにがどうなって……!」


「おーい!」


「へ? も、もしかして……」


 振り返ってみると廊下の先から駆け寄ってくる少女。その姿は今の私と同じ制服、それも小学生なのだろう。

 ……いや、それよりも少女の声や姿から三日月さんの面影を感じられて、私は思わず目を丸くして唖然としてしまう。


「雨宿ちゃん! そっちは何かあった?」


「……え? は? 雨宿?」


「ん? どうしたの雨宿ちゃんでしょ? もしかして幽霊が化けてたりする……?」


「いや、幽霊だなんてそんな訳ないじゃないですか。非科学的ですよ。この世の現象は科学に基づいて起こっているんです」


「本当に雨宿ちゃん? いつもと口調が違うようだけど……」


 不味い。

 もしもバレてしまったら不信感を抱かられるに違いない。そうなれば情報を引き出すのが困難になる。


「え、えーっと……ハーイ! 私は雨宿デース! よろしくネー!」


「なんで片言な外人なの!?」


「え? 違いました?」


「違うに決まってるよ! 雨宿ちゃんは日本人だし、もしかして頭をぶつけちゃった?」


 元の人物、雨宿さんとやらの口調なんて分かる筈もなく、思いついた口調を試してみたら頭を心配されてしまった。まあ客観的に見ても軽く引いて、悪くて軽蔑だろう。

 ああ、この優しい撫で方といい、目の前の少女はやはり三日月だ。


「あの……三日月紅霞さんで合ってますよね?」


「ん? 私の名前は月見霞だけど?」


「ええ? 本当に?」


「そうだよ。いつも霞ちゃんって、雨宿ちゃんは呼んでくれるでしょ?」


 私の直感では目の前の少女は三日月さんだと確信しているが、名前は月見霞だという。三日月紅霞という名前に似ているが、その関係性は分からない。


「本当に大丈夫?」


「は、はい。大丈夫です。怖くて、気が動転しているだけで……」


 息をするように嘘を吐いた。「実は中身が変わっていて、私の名前はゆゆねなんです」なんて、ただでさえ頭を打ったと思われているのに言えるわけがないのだ。


「そっか……確かにこのお屋敷は評判通り、幽霊が出そうな雰囲気だよね。まさか雨宿ちゃんが怖がるなんて……」


「そ、それより、三日月……か、霞ちゃんは何か見つけたの?」


 しどろもどろな言い方だったが、子供故か特に気にならないようで三日月さんはその言葉を待っていたと言わんばかりに胸を張った。


「実はね! 向こうに下へ降りる階段が在ったんだ! きっと秘密の地下へ繋がっているんだよ! 行ってみよう!」


「は、はい……」


 私は幼い三日月さんに引っ張られて、地下へと向かっていく。

 一連の流れから察するに私は雨宿という、恐らくクロスワードパズルの答えになっていた人物に憑いていて、目の前の三日月さんの名前は月見霞。そして、私たちは三日月さんの家に闖入していることだ。


(何が何だか分からないや……あれ? そういえば火事の跡がない?)


 よく観察してみると今、走っている廊下は火事があって真っ黒に焦げていた筈だ。

 それなのに埃の被った普通の廊下へ戻っていて……つまり、此処は過去の世界ということだろうか? それなら三日月さんが小学生くらいなのも納得できる。


(って、そうだとしても色々と不明だよね。そもそもなんで私は過去なんかに飛ばされているの?)


 そう、私は煤塗れの廊下に倒れて気を失った。

 しかし、現在、私の目の前で起こっていることは紛れもない本物。夢なんかと似つかないくらいリアリティがあり、痛覚もはっきりとしている。


「うぅ……地下へ来たのはいいけど暗いね……」


「そうですね」


 廊下から予想済みだったが、やはり地下も埃っぽい。いや、それ以上に蜘蛛の巣や黒い虫が蠢いている。

 三日月さんは少女ながらよく先陣を切れる、と感心してしまう。

 と、いうより確かに暗いだろう。こういう場合はいつも目を光らせたり、腕からライトを出現させるのだが、生憎私は雨宿とかいう謎の少女である。ロボットという最新鋭技術の結晶ではない。


「あ、霞ちゃん。ここにマッチと蝋燭があるよ」


「本当だ。ナイスだよ、雨宿ちゃん!」


 偶然、小さな机の上に明かりを灯せる道具を発見し、三日月さんは跳ねて喜んでいる。

 それを横目に、私はマッチを擦って、蝋燭へ灯した。

 これで視界は明るくなったが、随分と心許ない光源だ。もしも途中で消えたりしたら面倒である。


「それじゃ、行こうか」


「ちょ、ちょっ、霞ちゃん。やっぱり止めといた方が……」


「こんなところで今更引けないよ!」


 三日月さんの意志は石のように固く(ダジャレではない)、私はズルズルと奥へと引きずられた。

 そうすると突然、カランッという軽い音が鳴った。足に何かが当たったようで、感触は木の枝のように棒状の物だった。しかし、明らかに音が高い。


「一体何が……これって骨ですか?」


「犬の骨か何かでしょ? さ、流石に人骨なんて……」


 途中で言葉を詰まらせた三日月さんを、不思議に思った私はその視線を辿る。

 そこには牢屋があった。日本の住宅街にこんなものがあるのか、と吃驚してしまったが問題はそれじゃない。鎖で繋がれた骸だ。

 骸骨のパーツの種類から恐らくは人間のモノだろう。複数ある牢屋に無残に捨てられていて、中には綺麗に人間の形を保っているモノまであった。

 そう、実際に人間の死体だったモノに違いない。乱雑に放置された骨には黒く腐った肉がこびりついているのだ。


「お、おえぇ……」


「みか……じゃなかった。霞ちゃん。早く此処から出よう? 私も気分が良くないです」


 こんな残酷な光景を目にして平然としていられる人が居れば、その人はきっと人の皮を被った化け物だ。

 胃から込み上げる吐き気に耐えながら私は三日月さんの背中を摩り、優しく手を引いた。彼女に地獄は見合わない。


「頑張ってください。あと少しで地上――誰ですか?」


 廊下の先に見えたのは赤くて丸い二つの光。

 不思議に思って蝋燭を向けてみると、その正体は人だと巧まずして分かった。

 否、血のように赤く光っている双眸から察するに三日月さんと同じ吸血鬼なのだろう。


「ふーん? また鼠が迷い込んだと思ったら、今度は子供か」


「きゅ、吸血鬼がどうして――うぐっ!」


 私の言葉を遮るように吸血鬼は手を薙いだ。塵を叩くかのような、平静とした様子で、だ。

 刹那、泣き叫びたくなるほどの痛みが私に襲った。何かが落ちる鈍い音に、ぽたぽたと垂れる水音。三日月さんの金切り声が廊下に響いた。


「あ、雨宿ちゃん!? 大丈夫!? は、はやく救急車を呼ばないとッ!」


 三日月さんに支えられ、そこで私は漸く自分の腕が切り落とされたのだと気がついた。

 触れてもないのにどうやって私の右腕を切り落としたのだろう? 吸血鬼だからこそできる魔法だろうか? それとも単に素早く薙いで、ソニックブームみたいなモノを発生させたのか?

 ……駄目だ。腕から来る激痛の所為で思考が纏まらない。


「み、三日月さんは下がっていてください」


「でもっ! 腕がっ! 雨宿ちゃんの腕がッ!」


 絶対に三日月さんを死なせはしない。命に代えても守って見せる。

 決意を糧にして、私は吸血鬼を睨みつけた。しかし、吸血鬼は健気な生物を見るかのように見下し、嘲笑っていた。

 近くでは落とされた蝋燭が何かに引火して炎を滾らせて――

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