第12話 瑠璃

「あ……」


「あ……」


 長閑の言葉に呼応するように瑠璃も同時に同じ言葉を発する。


(え? 嘘だろう……俺って分かるのか?)


 長閑の脳裏にそんな思考が横切った。しかし瑠璃は「あ……」の口をそのままに、人差し指を床に向けて指している。長閑がその指に促されてこうべを垂れた。


「ごめんなさい、あまりにも大股で座ってたもので……パンツ丸見えだったから……」


 現在、タエの履いているパンツは所謂、女性下着ではなく、男物のトランクスだった。

 入院していた病院から戻る際に、マリが用意してきてくれたのは短め桃色のフレアスカート、黒いニットの長袖シャツの上着に白いカーデガンだった。


 しかしながらその中で履きなれない女性物の下着を着用することに、抵抗〈嬉しさ半面〉があったのか、履き心地に違和感を覚えた長閑はこっそりと病院の売店で、飲み物代と言って貰っていたお金でトランクスを買っていたのだった。


「あ! これはそのあの……実は、えっと」


 足をバッと閉じ、両手を股の間に滑り込ませてしどろもどろになっていると、


「部活かな? 何か運動部なんだね。私も部活で、スカートの下に短パン履くことあったよ。でもまぁ、学生服のだけどね……はは。スカート慣れてないのかな?」


 後半は苦笑しながらも、どこか微笑ましさの滲む表情のままに長閑の隣に瑠璃は腰掛けた。


「それで? あの人にどういったご用件なの」


 瑠璃のいつもの調子の話し方だ。


 入院中の彼氏に女子高生が会いにきてる。しかも、切羽詰まった雰囲気で容態を知ろうとしている。本来ならば嫉妬心で質問していると思うところだが、瑠璃の場合は違う。この口調の時の彼女は、納得できないことを知りたい、理解したい、ただそれだけで口が動いているはずだ。


「あ、う……えっと…………」


 ここで瑠璃に会うことは想定外だったので、タエと、どういう関係かの設定は考えていなかった。が、


「あ! えっとあの、ゲーム、オ、オンラインゲームのフレンドで……。さ、最近、来ないので心配になって……」


 スッと降りてきた思いつきな設定を話す長閑だったが、それを聞いた瑠璃は目を細めて長閑の方に首を向けた。


「オンラインってあのゲームだよね? あれって……あの人は確か……あ、えーっと、なんて言えばいいのかな……」


 たぶんネカマのことを言おうとしているのだろう。

 長閑はネカマプレイ中に荒技を使い、ゲーム内の皆に自分が女子だと信じ込ませていた。

 その荒技というのは、嫌がる瑠璃にボイスチャットでの会話をお願いし、いかにも〝レモン〟の中の人が瑠璃だと思われるように振舞ってもらったのだった。


 その甲斐あってゲーム内の人達にレモンイコール女子という印象を与えることに成功していたが、瑠璃には理解不能な上にどうでもいいことだった。

 だから長閑のネカマプレイをわざわざボカして話すようなことはしないだろう。


「いえ、私はただ河辺さんの状態を知りたくて……レモンの中の人が男か女は気になりません」


 瑠璃はよりいっそう目を細めて長閑を凝視している。


「ふーん、知ってるんだぁ? あの人が男だって」


『はっ! しまった……いや待てよ、知ってるからここに来たんだろうに……なんでそんな言い方するのか』


「それに……ここに入院してるってよく分かったね」


 大きな二重まぶたを有する目は細いままで、綺麗に整えられた眉の片方は微妙に吊り上げ気味。

 その瞳などの部位の全体の位置は、本来ならば計ったように均等が取れた配置のはずだった。だが、この時の瑠璃の表情はその均等に並んだ部位が歪むほどに何か変だった。


「あ、えっと……ですね、河辺さんのアパートの大家さんに教えていただきました」


 長閑は瑠璃の方を見ないで、ドギマギと人差し指を立てた状態で病院の高い天井を仰ぎながら言った。


「ふーん、アパート行ったんだぁ? てか住所知ってるんだぁ?」


「え? いやあのその……そういうんじゃなくて……」


 長閑の発する言葉を聞いて、更に目を細めた瑠璃は、


「そういうんじゃないなら、どういうのんですか?」


 そう言って瑠璃は細めた目を見開き、狭そうに皺を作るおデコは、整えられた両眉が見開いた目に押し上げられた故にできた横線だった。


(あう……ダメだ。今日の瑠璃は怖すぎる。面会も出来ないし、一回持ち帰って作戦を練ってから出直そう……)


 長閑はそう考えて長椅子から腰を上げ、病院の出口へと慌てて走り出した。


「あなた! 鉄塔で一緒に倒れてた女の子でしょ?!」


 瑠璃のその言葉に長閑の足はピタリと止まる。


「そなんだ?! だから色々と知ってるんだぁ? どうして? どうしてなの。あなたみたいな若い子と、ゲームばっかりやってた長閑がどうやって出会ったの?」


 長閑は瑠璃に背を向けたままで、えもしれない恐怖と驚きを感じていた。何故なら瑠璃がこんな風に声を荒げることは無かったからだった。


「ゲームなの? ゲームでそういう関係になったの?! くっ……安心してたのに! 女性としてゲームしてるからって言ってたから安心してたのにぃぃ!! だ、だから、色々なことにも協力したのにぃぃ!」


 長閑は目を見開き、ソローっと振り向いて瑠璃を見て驚いた。あの瑠璃が泣いていたのだ。それも号泣していた。


「長閑の父さんから連絡きてまさかと思ってた……あなたが来るまで信じられなかった! でも、でも……ううう……」


 長閑はボー然として泣きじゃくる瑠璃を見ていた。こんなに瑠璃は長閑を欲していて、その彼女を蔑ろにしていたのかと。長閑は意を決して今の状態を告白することにした。


 そして少しの沈黙を経て、長閑はカラカラに乾いた唇を舌で湿らせてから口を開く。


「あの、あのさ……実はさ、俺なんだよ……俺、長閑なんだよ瑠璃……」


 それを聞いた瑠璃は顔をあげて、涙で湿り倒している瞼と睫毛をパチクリと長閑を見ている。


「は?! あんた何言ってんの! いい加減にしてよ!」


 瑠璃は立ち上がり、ズンズンという効果音が聞こえてきそうな歩みで長閑に近寄り、右手を振り上げた。


「本当なんだよ瑠璃……俺なんだって」


 パシーン! 病院のロビーに長閑の左頬をしたたかに打つ音が響いた。


「もうやめてよぉぉぉ……そんなこと言ってまで……」


 瑠璃はその場に崩れ落ち、しゃがみ込んで顔を両手で覆いながら泣き始めた。そしてその慟哭を聞きながら長閑はその場にしゃがんで瑠璃の肩に片手を置き、静かに話始めた。


「ごめんな瑠璃……信じられないかもしれないけど、俺も戸惑ってるんだよ。それにここ数日間、色々と苦労した……だけどさ、瑠璃のこと忘れたことないし、こうやって自分の様子を確認してさ……なんていうか、元に戻れ……」


 長閑の語りかけを寸断するように、バッと瑠璃が顔を上げた。

 綺麗な横一線に揃えられた前髪は、涙と汗でぐちゃぐちゃになって絡まり額に散らばっている。


「は?! あんたみたいな小娘が、私をそんな風に騙せると思ってるわけ! そんな……ゲームみたいなアニメみたい話が通用すると思ってるの!!」


 そう喚いて肩に置かれた長閑の手を乱暴に払い除けた。


 正直、ここまで瑠璃がうろたえて、悲しみを前面に出すとは予想外だった。

 長閑は思考フル回転させ、なんとか瑠璃に信じて貰えるような二人の過去の思い出や事柄を思い出していた。


「瑠璃、俺らが出会った時のこと覚えてるか? あの時はゲーセンで同じ人気ゲームをする為に並んでたんだよな……そこへ横入りする馬鹿がきてさ、瑠璃はマジでブチ切れ。だけどその後が大変だったじゃん? その馬鹿が瑠璃の胸ぐらを掴んできて殴ろうとしたのを俺が庇って……そこからだよね? 俺ら一緒だったの」


 瑠璃は涙で濡れ、真っ赤に染まった瞳を見開き、長閑の言葉に反応を示すも、


「そんなこと、教えて貰えば…………長閑があなたに話せば分かることじゃん!」


「じゃぁこれは? 始めてキスしたのは高校一年の時、教室の机の上だった……。高校三年の時には手作りの指輪をあげたよね? そうそれ、今、指に着けてるやつ。内っ側に永遠にって書いてる。それすんげー苦労したんだよ。器具で自分で彫ったんだぞ。こんなこと浮気相手に言わないだろ? それに知ってるか? 俺の小指と瑠璃の薬指が同じサイズなのを……」


「あ……」


 瑠璃は吐息のような声を漏らし、表情が何かを求めるように遠くを見る。だがすぐさま下唇を噛み、


「ぐっ……おちょくるのもいい加減にして! よくもそんな非常識なことが言えるよ……あんたのとこの家族が長閑を訴えるって。刑務所に入って貰うって言ってきたんだ。もし、もしも、う、浮気とかで一緒に居たのなら、それだけでいいじゃない……ひどいよ……あんなになった長閑を更に追い詰めるなんて……」


『なるほどな……やっぱりそういう風に展開してるんか……なら!』


 長閑は覚悟を決めた表情になった。


「わかった瑠璃。俺はこのまま元に戻れるようになんとか頑張ってみる。そんでタエちゃ……この子、この女子高生の家族に訴えるのを辞めさせてみせるから、瑠璃は俺を信じて待っていてくれ。絶対に信じさせてみせるし、俺も瑠璃のとこに戻ってくるから……」


 周りに人が居て、女子二人のこの会話を聞いていたらどんな風に思うのだろうか。


 およそ普段は言わないような言葉を交わしている。自分の容姿が別人なのだから当たり前なのだが、長閑としては瑠璃がいつもの雰囲気じゃないというのが大きいだろう。

 

 こんなにも瑠璃のことが好きだった自分に改めて気がついたからなのか、それともやはり元に戻りたいという気持ちが強いからなのか。


 今日、瑠璃に会うまでは、その理由は戻ろうとする、それだったのかもしれない。だけど自身の気持ちにハッキリと気がついた長閑は決意の表情で瑠璃にもう一度、言葉を綴る。


「じゃあな瑠璃。今度、会う時は絶対に状況は悪化してないからな……俺を信じろ」


 そのまま長閑は瑠璃の反応を見ずに病院から出て行こうと踵を返して走り出した。


「それが! 嘘か本当か、今は判断できない……けど、あなたの言ったことにまんまと騙されたからじゃなく、私は私の気持ちで、私の判断で、このまま長閑が戻ってくるのを待つ。目の前のあなたじゃない……病室のベットに居る私の彼氏の長閑だから」


 ポツリポツリとこぼし出す瑠璃の言語に後ろ髪を引かれて、長閑が走り出した足を止めた。


「最初から信じてる、あの人を……だけど起きてきた時に、本当のことをちゃんと自分の口で話して貰うから。それ以外は受け付けない。じゃ、さようなら」


 瑠璃は早口でそう言い残し、その場を後にする。


 背を向けたまま佇む長閑の耳に、瑠璃の靴裏が大理石を打つ音が遠ざかって行くのが聴こえていた。


「ごめん瑠璃……」

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