第9話 舞子と龍馬


 扉をくぐるとすぐに上に登る階段があり、一段上に上がったところにガラスでできた壁が見えている。

 登りきり、ガラス張りの壁だと思っていた扉を開けて中に入った。


 その光景はまさに大金持ちの邸宅。伝統的な雰囲気は皆無だが、いかにも大金持ちという印象は映画やドラマなどで見かけたIT系の社長宅がここと違わないイメージだったからだ。


 なんとも言えない風景に驚嘆していると、年配の女性が一人、目の前を通り過ぎざま軽く会釈をして木目調の三メートルはあろうかというドアを開けてその場を後にした。


(ん? 誰だ……お手伝いさん? 金持ちは色んな人が家の中にいるのな)


 と、心で思いながら改めて家の中を見ると、


「何してたの? 私はこの後に仕事の打ち合わせがあるのよ。さっさとテーブルの上のメニューからご飯を選んでちょうだい」


 マリの声を追うように見上げると、まず洞穴のような広大なリビングが目に入り、その上空に空いた大穴のような吹き抜け、頭上から照らされる数十個のLEDライトの照明は、その電球を一体どうやって交換しているのかと心配になるほどに高い天井に埋まっている。


 そして壁沿いに設置されているこれまたガラス調の階段を、少し控え目なリクルートスーツに着替えたマリが不機嫌な面持ちで降りて来ていた。


 促された方向に、六、七十インチはあろうかと大型テレビが少し高い位置の壁に設置されている。壁掛けテレビから垂直に、まるでビリヤード台ほどもあるガラス造りの天板の長机がリビングの真ん中に備え付けられている。その上に数枚並べられている食べ物のメニューが目に入った。


(寿司、中華、これは英語か? なんだかわからん……)


 こんな店屋物見たことないというような品揃え。何より目を見張るのが個々の値段設定。


(タコ、一貫三千円……ウニ、時価……。チャーハン三千円……)


 価値と味の微妙な関係がわかるのが寿司だけだった。何となく気が引けたのか、一番安い握りのセット〈それでも一万五千円〉を指差してマリに伝えると、


「それだけ? んまぁいい、退院したばかりだしね。それと、片桐さんは午後はもう来れないそうなので、悪いけどあの子達のご飯も注文しておいてくれる?」


(片桐さん? ああ、さっきのおばさんか。ん? あの子達?)


「舞子はまだ学校だけど、もうすぐ帰って来るらしい。龍馬も二階に居る。凛が……風邪を引いたらしくてちょっと心配だけど、今は……それはいいか」


(学生がもうすぐ帰ってくる? まだ昼過ぎなのに……具合が悪くて早退するとかかな)


 マリはそう言い、耳にピアスを付けながら駐車場への階段を降りて行った。


(舞子、龍馬に凛……メモメモ。名前だろうな、名前だな。姉さんはタエちゃんの記憶〈てか中身が俺なんだが……〉が一時だけ失われてるって設定を知らないのだろうか……? うーん)


 とりあえず怪しまれないよう、言われたことをやろうと思いつつも、とにかくここの住所を知らなければと急いで色々と散策してみる。


「うーむ……それにしてもスゲー家だなぁ。あ! あれって台所なのか?!」


 シルバーメタリックのアイランド風キッチン。まるでレストランの厨房のようであった。


「いやいや。こんな台所いらないだろう。高級な料理の出前とるんだし」


 屋敷の一階を見回ると驚かされ続ける。和風モダンな作りではあるものの、近代的というか物凄く最先端な家だった。

 そして次は二階だと、ガラス張りの階段に足をかけた時だった、ピッピっと機械的な音が宙を彷徨い耳に届く。駐車場に降りる階段の向こう側からガチャガタンと扉の開く音が聞こえ、誰かがリビングのドアに近づいてくる気配を感じた。


 ガチャっと木目調のモダンなドアが開かれ、そこに立っていたのは茶髪の女子学生だった。


「ん? あれあんた入院中なんじゃねぇの?」


 ぱっと見は完璧に不良。短いスカートにだらしなく開いた襟から少しだけ胸元が見えている。セーラー服の赤いスカーフは何処へやったのかあるべき場所に巻かれていない。唯一整っているのはショートカットの髪型で、茶髪なのを除けば一見スポーツ少女に見える。


「あ、うう……え……」


 なんて言えば良いのか、口どもっていると、


「ああ、喋れないんだっけ? マリ姉から聞いてるよ。ま、うちらが喋ることなんて滅多に無いから問題ないけどね」


 細い片眉をグニャリとあげ、こちらを睨みつけるような表情のままぶっきらぼうに少女が言った。


(中学生くらいかな? 化粧が濃いけどお姉さんに似て綺麗な顔立ちしてるのに……まぁお姉さん同様に眼光は鋭いみたいだな……ははは)


 少女は肩に置いた握り拳に鞄の紐を握っている。その鞄をリビングの角に置かれている大きなソファーに投げた。


「ああ、腹減った。今日は何を頼もっかなぁ」


 そう言いながら少女はガラス天板の長机に並べられている食事メニューを手に取った。


「ああーん……何これ。今週はこれから選ぶの? ピザ注文しよぉっと」


 少女は携帯電話を片手に階段を登って行く。長閑は彼女が舞子か凛だろうなと考えたが、確かめる方法は質問するより他ない。意を決して聞くことにした。


「あう……ま、舞子?」


(この年代の女子は苦手だし、どう話しかけていいかわからないな……)


 少女は長閑の声に階段を登る足をピタリと止め、目を見開きながら振り向いた。


「しゃ、喋れるんじゃん。てか…………あ、あんた今うちの名前を……よ、呼んだの?」


(合ってた! けど……なんかヤバイっぽい? 逆鱗に触れたのか?)


「あんたがうちの名前を呼ぶなんて何年ぶり? なるほど……こりゃぁ確かに入院が必要ですわ。はははーん」


 振り返って驚き顔を見せていたのは最初の数秒間で、一転、少女は喰ったような喋り方に戻った。最後の笑い方は嘲笑混じりで、そのまま階段の方に向き直り、段を登りきって二階へと消えていった。


(彼女が舞子か。ではあとは龍馬と凛だな)


 正直、それほど興味は無いが、一応、言われた通りに兄弟達を確認することにした。


「えっとここかな?」


 階段を登りきったすぐ左側は五メートルほどの長さの廊下になっていて、吹き抜けなので廊下から一回のリビングが一望できる。


 廊下は右に折れていた。そこを曲がるとすぐ左側に〝Rin〟と扉にかけられた表札。二十センチ四方の木の板の上にローマ字でそう書かれていた。

 コンコン。扉を軽く叩くが返答がない。ドアノブを回して部屋に入るも、中は真っ暗だった。


「居ないのか……じゃあ兎にも角にも住所を調べて、さっさと俺が現在どうなってるのか見に行かないとな」


 一人で呟きながら二階の廊下を歩く。〝Maiko〟と書かれた木の板が吊るされたドアの前を通り過ぎると、中から大音量の音楽と一緒に「ギャハハ!」と下品な笑い声が聞こえてくる。


「やっぱこの子は関わらない方がいいかもな……ぜひに龍馬君と凛ちゃんだけはまともであってくれよ!」


 そんな一抹の不安を抱えながら廊下を進むと、突き当たりに〝Tae〟と書かれた木の板が見えてきた。


「ここがタエちゃんの部屋だな。生徒手帳的な物を……てか、女子高生の部屋かぁ……」


 やましさを拭い去るように首をブルブルと振って部屋に入る。と、やはりと言うか想像通りと言うか? 「これは本当にJKの部屋なのか?」と、大きめの声が漏れる。


「……真っ黒じゃん」


 ピンク色を想像してた。可愛いらしいぬいぐるみに埋め尽くされて窮屈そうなピンクのカバー掛け布団のベット。それからピンク色のカーテン……それらは皆無な、なんなら男らしいダンディズム漂う部屋。長閑はネカマの悲しい現実をこんなところでこんな時に突きつけられる羽目になった。


「だよな……ネカマやってて女子のことを知ってる風で居て、現実の女子の部屋や生活が想像とかけ離れていることに驚くんだもんな」


 部屋の雰囲気は、完全に長閑が中高時代に生活していた部屋と色合いが合致していた。本棚には少年漫画の単行本がびっしり並び、黒いカーテンに黒い掛け布団カバー。学習机に至っては少年漫画のキャラクターフィギアが所狭しと置かれている。


「タエちゃんはアニオタか」


 片方の口角を上げてニヤリとする。と、そんなことをしてる場合じゃない。部屋に踏み込み、机の引き出しや、タンスの引き出しなどを開けてみる。


「!」


 開けたタンスの引き出しを素早く閉める。一瞬、綺麗に整頓された下着などが目に入った。


(ここの物はピンク系が多いのねぇ……)


 そんなことを考えながら、そろーりともう一度引き出しを開けようとして思いとどまる。

 両頬をバンバンと両掌で叩き、気合いを入れ直してふと学習机の方を見やると、机の脇に学生鞄が掛けられているのが目に入った。


「生徒手帳!」


 慌てて鞄の中身を確認すると、鞄のサイドポケットにそれはあった。


「えっとなになに? 〇〇市〇〇町……って、俺んちからそう遠くない。よし! これならすぐにでも家に帰れるかもしれん……ん? これ誰だ」


 住所を確認して、ふと手帳の写真に目をやった。そこに貼られていた宣材写真がタエではなく、ボサボサの黒髪で写真に収まる小太りの少年だった。


「たた、タエ姉……? 退院し、してきたんだぁ。ててててか…………な、ぜ勝手に僕の鞄……」


 後ろに人の気配を感じたと同時に、その気配の主がボソボソと呟いた。長閑は素早く振り返ると、そこに立っていたのは生徒手帳の宣材写真の小太りの少年だった。


「あ、うう。えっと……」


 少年はしどろもどろの呻き声を出しながら、胸の前で両掌の指をコリコリと掻いている。


(ここタエちゃんの部屋じゃないのか?)


 長閑がうろたえていると、それ以上にうろたえ出した小太りの少年が更なるモゴモゴ感を有して口を開く。


「ごごごごめん、タエ姉。たたタエ姉のパソコンつつ使ってた。何度も行ったり来たりが、め、面倒だったので、ぼ僕の物もこっちに……と。タエ姉、にゅ入院してたから……」


(なるほどな。それで男の子っぽいインテリアに……って、カーテンまで交換してるって引っ越す気満々じゃねぇか! て、まぁ俺には関係ないけど……)


「ごごごめんなさい!」


 まるで怒られた小さな子供のように、少年は部屋を出て行った。

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