第6話 神を祓った代償

「朱実! 朱実!」


 グラグラと肩を揺らされて朱実は目覚めた。眉間に深い皺を入れた父の顔が飛び込んできて、朱実は慌てて体を起こす。神社の御神木の幹に寄りかかっていたようだ。


(えっ、わたし! 帰ってきてる! それともやっと夢から覚めたの?)


「お父さん!」

「こんな所で寝ていたら危ないだろう。心配するじゃないか。そんなに疲れていたのかい? 兄から電話があったよ。素晴らしい舞だったってね。なのになかなか帰ってこないから出てきてみれば……まったく」

「ごめんなさい。御神木の幹にいい具合にはまっちゃって寝ちゃったみたい。そうだ、和寿おじさんからお土産に」


 朱実は呆れた父親の気を逸らそうと、バッグを引き寄せてもらったいなり寿司を出そうとした。しかし、狐の面はあれどいなり寿司はない。


「あれ?」

「もう日が暮れる。狐の面は私が持つから家に帰ろう」

「あ、うん」


(おいなりさん、無かった。確かに和寿おじさんからもらったのに。わたし、本当に神様にあげちゃったの⁉︎)


 朱実は父に引き起こされ、服についた埃をパンパンと払った。

 ここで、ストーカー紛いの男から押し倒されたことは鮮明に覚えている。しかし、抵抗してできた擦り傷も、靴の汚れも残っていない。服も払えば落ちる程度の乾いた土だけだ。


「朱実、本当に大丈夫か? ぼんやりしているぞ」

「うん。大丈夫」


 あれは夢ではなかったのか。自分の身に起きたことを頭の中で整理することが、朱実が今すべきことなのかもしれない。



 ◇



 不思議な体験をしてからというもの、神社の境内や鎮守の杜を行き来するときは少し構えらようになった。しかし、あれから朱実の身には何も起こらなかった。

 空は相変わらずの曇り模様で、間もなく開催される多田羅町の秋の大祭を氏子たちは憂いていた。

 それなりに収穫量はあったが、品質はまだまだ昔のようにはいかない。明らかに日照不足である。

 そのせいか、年配者の中には氏神を祀る神社に原因があるのではないかと言い始める。


 ――力のない神職は交代するべき

 ――由緒ある神社から新しく宮司を呼べばいい


 そんな中、朱実の知らない所で神社後継ぎ問題も起こっていた。宮司である朱実の父も婿入りしてきたので、おそらく朱実にも婿をとらせようということだろう。女性が宮司になれないわけではないが、歴史ある多田羅神社を支える氏子としては、それなりの力を持った男性を未来の宮司として迎えたいのだ。

 神社の運営は氏子の協力と神社庁の支援で成り立っている。もし朱実が縁談を断るならば、しかるべき時期に新しい宮司を迎え神職の総入れ替えをするだけである。

 そうなると、賢木家は多田羅神社から出ていかなければならないのだ。


 朱実の父は神社庁からの手紙を読んでため息をついた。


「はぁ……」


 宮司としてのため息か、それとも子を思う父親としてのものなのか。多田羅神社は窮地に追い込まれていた。


「お父さんどうしたの? ため息なんて珍しいね」

「いや、なんでもない。祭り前で少し疲れているだけだ。明日も早いしもう寝るよ。おやすみ」

「おやすみなさい」


 父は重い腰を上げ、影のある表情で寝室に入った。秋の大祭は毎年あるのに、今年に限ってはなぜか父は疲れ果てていた。


「氏子さんたちから何か言われたのかな。あれ、お父さん何か落としてる。お仕事の手紙じゃない? 何やって……え?」


 父が落とした紙に目を通した朱実は驚きで言葉を失う。内容は祭りのことでも、収支報告のことでもなかった。そこに書いてあるのは神社の存続と後継者のこと。そして神社庁から提示された案が二つ記載されていた。

 一つは、神職の入れ換え。

 もう一つは、朱実と神社本庁で働く男性との結婚。

 要約すると、朱実たちは多田羅町から出て行くか、それとも婿をとるかのどちらかを選択しなければならないということだ。


「うそ……」


 朱実が思っているよりも事態は深刻だったのだ。その時、休んだはずの父が戻ってきた。


「朱実?」

「お父さん、これ」

「ああ、すまない。落としてしまった」

「神社の存続、深刻だったんだね。知らなかった。お父さん一人で悩んでたんでしょ」

「読んだのか」

「うん」

「氏神様と氏子さんたちの間に立つわたしに力がないばかりに申し訳ない。秋の大祭に不作の報告なんて、あってはならないことだよ。これは朱実には関係ないことだ」


 秋の天候が悪く、作物の実りに影響が及んでいるのは神職を務める自分の能力の問題だと言う。しかし、全国的に自然災害も増えており非科学的要素が原因だというのはおかしい。

 もしも百歩譲ってそれが原因だとするならば、昔はこの多田羅町でも狐の舞をしていたのに止めたからではないのか。朱実の母はこの神社で舞を披露していたそうだ。幼い朱実の記憶にも微かに残っている。その後、母が病死し朱実がまだ小さいため、宮司である父が代わりに奉納の儀式をしたのは理解できる。

 しかし今や朱実は成人を迎え、立派な舞ができるようになった。隣の椎野町では出張してまでその舞を奉納しているのだ。


「ねえ、ずっと思っていたの。どうして私は多田羅神社で狐の舞をしてはいけないの? どうしてお父さんが舞うの? 本来は翁じゃなくて、狐が五穀豊穣を神様にご祈願するんじゃないの? 昔はお母さんが舞を奉納していたんだよね」

「朱実、そのことは」

「教えてよ! わたしはもう子供じゃない。和寿おじさんから聞いてない? わたしも多田羅神社の人間なんだよ? どうしてなのか説明をして!」

「信じてもらえないような話だよ。それでもと言うならば……」


 そう前置きをして、朱実の父親は腰を下ろして話し始めた。朱実がまだ母舞衣子のお腹にいるかいないかの頃の話だった。



 ◆



 多田羅町の秋の大祭は町内外から大勢の人がやってくる賑やかなものだった。出店もたくさんあって家族連れの参拝客で溢れていた。祭りの見どころは五穀豊穣を祈る狐の舞だ。柊二の優雅な笛の音に舞衣子が振る鈴の音が調和して、人々は目を輝かせながら、妖艶な狐の舞を見守っていた。

 舞衣子が化けた狐はとても評判の良い舞だった。


 祭りが終わったあと、舞衣子は神社庁から派遣された神職と、この町を守る御神木にお礼をしたいと片付けをする柊二にそう告げた。毎年のことなので柊二も気にすることなく舞衣子を見送る。


「いっておいで」

「ありがとう。柊二さん」


 舞衣子は麗しい千早の衣装を身にまとい、頭に狐の面を乗せたまま柊二に柔らかく微笑んで離れていった。


 しかし、夕刻が近づいて空が茜色に染まり始めたが舞衣子は帰ってこない。舞衣子はこの神社で生まれ育ったとはいえ、さすがに柊二も心配になり迎えに行くことにした。


「今年はやけに長いな。鎮守の杜を一周しているのかな。本当に舞衣子はこの森の神様たちが大好きなんだね。わたしも早くここの神様たちに認めてもらわないと」


 婿入りした柊二は隣町の椎野町からやってきた。兄が椎ノ宮の宮司を務めることになったので、男子のいない多田羅神社にやってきたのだ。舞衣子とは幼い頃から顔馴染みだったので、なんの抵抗もなかった。むしろ、喜んだくらいだ。


「舞衣子、どこだい! まいこー、もう日が暮れるぞー!」


 柊二は境内を抜け鎮守の杜に入った。静かで清らかな空気に包まれたこの場所には、湧水があったり小さな祠が祀られてあったりする。そこに多田羅の御神木もある。古くから神様が降りてくる神籬ひもろぎのひとつだ。

 その御神木の前に人の影が見えた。


「舞衣子? 舞衣子いるのか」

「柊二さん!」


 舞衣子の前には真っ白な狩衣を着た背の高い男が立っていた。彼が神社庁から来た職員である。柊二はその男から異常な気配が漂っているのを感じ取ってしまう。

 その男は本当に派遣された神社の職員なのか、もしくはこの世の者ではない何者かもしれないとも思った。


「もう遅いですからお引き取りください」


 柊二がそう言った瞬間、強い風が吹いた。その風と共に金木犀の香りが柊二の鼻を突き抜けた。あまりにもその香りは強烈過ぎたのだ。柊二はむせこんで蹲ってしまう。


「うっ、ゲホゲホゲホッ……ケホン」

「邪魔だてするな」

「おまえはっ、もしや魔物だな!」

「柊二さん! ちがうの!」


 柊二に舞衣子の声は届かない。舞衣子を助けたい一心で、柊二は自分の持ちうる全ての力を言霊に乗せて祓詞はらえことばを唱えた。

 それが神に通じたのか、真っ白な魔物は目の前から塵と共に消えた。


「よかった。舞衣子、よかった」

「柊二さん……」


 この後しばらくして舞衣子が妊娠していたことを知り、なおのこと魔物を払えたことに柊二は安堵した。



 ◇



「お父さんはお母さんを守ったのね」

「そうだね。それと同時にこの多田羅町から、神様がいなくなったんだ。わたしのせいで舞衣子は、母さんは病に罹ってしまった。あれは魔物ではなく、この町を守る氏神様だったんだよ。風を司る神だったらしい。わたしのせいで、この町は天災が始まった。秋になると、数十年に一度といわれるような大型台風がくるようになった。この町では五穀豊穣の狐の舞も役に立たなくなった。それどころか、狐の舞は不吉なものと噂されるようになった。全部、わたしのせいだ」

「お父さんはお母さんを守りたかっただけなのに……」

「朱実、ごめんな」

「どうして謝るの? わたしは何も」

「女の子なのに大事な時期に母親がいないのは、とても辛いことだ。申し訳ないと思っていた」

「お母さんの病気はお父さんのせいじゃないから」


(お父さんも、神様に会ったんだ。しかも、わたしが会ったあの人とは別の人みたい)


 この多田羅町では狐の舞は不吉を呼ぶなど、朱実自身が氏子たちから言われたことはない。でも確かに、秋の大祭では狐の面は神社の物置にしまわれてしまう。代わりに翁の面で舞を奉納している。

 いつも温厚な氏子たちだが、本音は別のところにあるというのだろうか。


「わたしはあの時に、神職としての全ての力を使ってしまったのだと思うよ。そのせいでなかなかこの町は繁栄しない。わたしが不甲斐ないせいで、朱実には由緒ある神社の男子を婿にと」

総代そうだいさん達がそう言ってきかないのね」


 総代とは氏子の代表を務めるものたちだ。神社に関わること全てに氏子の代表として意見を述べる。


「それで神社庁までが動いてしまったんだよ」

「そっか……」

「父さんは朱実にその荷を負わせたくない。だから、この町から出ていこうと思っているよ」

「そんな!」


 朱実は言葉を失った。早くに母を亡くしたとはいえ、母が生まれ育ったこの場所から去るなんて考えたくない。だからといって、見ず知らずの男性との縁談を受けられるかと聞かれるとそれも難しい。


 朱実も考えなければならない。神社は賢木家のものではなく、多田羅町のものなのだということを。

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