第27話 白虎

 轟々と頭上で何かがうなっていた。

 白夜は天を見上げる。

 青い光の輪にとらわれたお館様と玉藻の姿があった。

 いままで見たこともない必死の形相で、こちらに向かって口々になにかを叫んでいる。

 そのまわりを信じられないほど巨大な虎が猛々しく旋回している。

 虎が駆けた後につむじ風が起きた。それは竜巻となって雲を吹き飛ばし、月へ向かって立ち上のぼる。

 黒天狗たちが破壊した家屋の瓦礫が一緒くたに巻き上がり、逃げ遅れた住民たちも木の葉のように空を舞う。

 砂塵が髪を煽りバサバサと音を立てる。

 白夜は腕で顔を覆い、前傾姿勢になると立ち上がる足に力をこめた。

 都全体を強大な霊力が覆っていた。

 白夜が知り得る中で、もっとも強いあやかしはお館様である。

 もちろん玉藻も引けを取らないほど強い。

 そこらのあやかしなんて相手にならないし、きっと先の陰陽師とて軽くひねられたはずだ。

 しかし、あの虎の持つ霊力は二人の力を軽く凌駕している。

 白夜には大きく見えていたお館様が赤子のように感じられた。

 虎が天に向かって吠える。

 あまりににも猛々しい咆哮に全身が粟立ち、指先がぴくりとふるえた。

 しかし白夜は天を睨みつける。

 竜巻の中心にいる二人に向かって稲光がはしった。

 黒々とした嵐の中で荒れ狂う突風が肌を切り裂き、間髪入れずに閃光がまたたく。

 苦痛に歪む二人の表情が見える。それでも二人の視線は白夜から離れなかった。

 必死になにかを叫んでいるが、白夜には聞き取れない。

 雷がとどろき、大粒の雨が降りだす。

 天の怒りか、都のあちこちに稲妻が落ち始めた。

 お館様と玉藻の体にも立て続けに稲妻が落ちる。

 普通の雷ではない。虎の霊力が上乗せされた雷である。

 いくら二人が強力なあやかしといえど、あの衝撃にどれほど耐えられるか。

 このままでは身を焼かれ、四肢がばらばらにされてしまう。

「お館様っ、玉藻っ!」

 二人へ手を伸ばしたところに天から雷が降る。

 慌てて飛び退いたが、雷は地面に大穴を開けて白煙をたちこめさせた。

 その一手が皮切りとなって、次々と雷が白夜を襲う。

 躱すのが精一杯でお館様に近づくことさえままならない。

「逃げ……ろ! 白夜っ!」

「わたしたちのことは構わず逃げるのです! あああっ!」

 二人が必死に叫んでいる。雷に打たれながら体をのけぞらせ、それでも叫んでいた。

 その一端をかろうじて耳にした白夜は歯を噛みしめる。

 (なんとかできないのか!)

 あの虎の正体はなんだ!?

 あやかしじゃない。怨霊でもない。いままで邂逅したことのない存在!

 その時、天をかける虎と同じ気配をもう一つ感じた。

 白夜はハッとして振り返る。

 朱色の屋根が連なる大きな内裏。その一角から虎に通じる力が流れているのがみえた。

「あそこかっ!!」

 白夜の瞳は怒りで燃えていた。

 背中から黒姫が伸びる。黒姫は左右に大きく分かれ、翼の形を象った。

 白夜は翼をはためかせ、飛んだ。その速度は尋常ではない。速すぎて体のまわりに空気の壁ができた。降りしきる雨を弾いて雷を躱し、ぐんぐんと上空を飛行して内裏へ突入する。

 閉ざされた大きな門を風圧だけで粉砕し、そのまま人々や簾や衣などを巻き上げて飛んだ。

 たどり着いたのは朱砂で書かれた霊符が隙間なく張り巡らされた襖の前。

 中からは大勢の人の声がする。

 白夜が襖をねめつけると、襖はバンッと左右に吹き飛んだ。

「きたぞっ!!」

 誰かが叫んだ。

 何十畳もある縦長の和室。その両脇にずらりと座す陰陽師たち。

 みなそろって白い直衣に立烏帽子をかぶり、手に木簡をかかげて一心不乱に祈りを捧げていた。手にした木簡が何かに呼応するように淡く輝いている。

 真正面には大きな祭壇が祀られ、虎を象った御神体が見えた。

 強い光を生み出す御神体の前には、ひときわ豪華な直衣を纏った壮年の陰陽師が座し、一心不乱に経を唱えている。

「あれか」

 憎々しく睨みつけて、白夜は足を踏み出した。

 しかし。

 見えない圧に行く手を阻まれる。

 前に踏み出す足を押し返そうとする何かが、襖のあった場所を境に存在していた。

 重い、重い何かだった。

 地を踏む足に力を入れて体を倒す。分厚い壁に顔が、肩が、胸が食いこむ。

 一歩、右足を踏み出した。

 それから右足に力を入れてまた前のめりに体を倒す。白夜の体を何かが必死に押し返そうとしている。陰陽師たちの祈りはずっと続いていた。進もうとするたびに声が大きくなり、空気をふるわせる。

 また、左足を前に出した。

 一歩、また、一歩。

 じわりじわりと前に。

 踏みこむ足の下で畳がへこむ。そうして白夜の軌跡が一つ二つと畳に刻まれてゆき、歩むたびに壁に貼られた霊符が一つ二つと黒く燃え尽きた。

「信じられん……! なぜ入ってこれるのだ!」

 部屋の中ころまで進んだ時、横にいた陰陽師が青ざめて叫んだ。

「ここに鬼は入ってこれぬはず! 仮に閻魔であっても入れぬ!!」

 なるほど。これは鬼よけの結界なのか。

 悪しきもの、怨霊の類。またはその化身。霊もあやかしも立ち入れぬ結界。

 ではなぜ、白夜は入れるのか。

 答えは一つしかなかった。

「ははははっ!」

「あやかしめっ、何を笑うかっ!」

 まさかこの体がこんなふうに役立つ時がくるなんて。

 白夜は額に汗を流し、勝ち誇った笑みを浮かべた。

「ぼくは半妖なんだ。鬼でもあるけど人間でもあるんだよ! だからぼくには、おまえらの術が完璧には効かないんだ!」

「半妖……だと!?」

 半妖に生まれ落ちて、なぜ半分だけなのかと己を呪ったことは数知れない。

 山に棲むあやかしたちは人間の匂いを嗅ぎ分けて襲ってくるから。

 人間の血肉を欲し、牙を剥くから。

 妖狐たちの寝ぐらは玉藻の結界によって守られている。あそこだけが唯一ほっとできる場所だった。あそこから一歩出ればあやかしたちは容赦なく襲いかかる。

 白夜はいつも怯えていた。

 死に際まで痛めつけられたことだって山ほどある。

 でもお館様と約束したから。お館様に頼んだのは白夜だったから。

 おまえらなんかに殺されてたまるかって毎日踏ん張った。

 半妖だから狙われる。半妖だから弱い。

 ずっとそう思っていたけど。

 いまは、いまだけは。

 半妖でよかったと心から思う!

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