第18話 お館様と添い寝

 それからも絶え間なく襲い来る鬼どもを次々と蹴散らして、よくやくお屋敷まで戻ってくることができた。

 月はだいぶ傾いていたが、夜の帳はまだ落ちたまま。梟の鳴き声を遠くに聞きながら、ぜいぜいと肩で息をして、お屋敷を睨みつけた。

「見たか! 半日もかからなかった! 今度こそやめてもらうからな!」

 初めは強くなりたいと願っていたけど、これまでに受けた劣悪な嫌がらせを思えば、もはや性悪なお館様に対する意地しかない。

 途中で収穫した桃や胡桃といった物を胸いっぱいに抱いて、門番の天狗に胡桃をいくつか放り投げ、ずんずんとお屋敷の中に足を進める。

 まだ手にしている物はもちろん、お館様に渡すためである。

 胡桃だって天狗の好物だと知っていて放り投げたのだ。

 それらはここに来てから毎日の日課にしていたことなので、もう習慣と言ってよい。

 迷うことなくお館様の部屋に辿り着いた白夜は無造作に食べ物を上に放り投げた。

 十以上もある桃や胡桃が一斉に宙を舞い、その隙に襖をすぱん! と勢いよく押し開いた。

 襖が跳ねて少し戻る。襖の裏には玉藻の葉が隙間なく貼ってあった。

 続いて落下してきた食べ物をとととと、と器用に胸の中に集め、最後に背中でひとつキャッチ。平然とした顔で中へ踏みこんだ。

 中には相変わらず青い炎が灯されていたが、座敷にお館様の姿がない。天狗たちの姿もなかった。白夜は眉を寄せて注意深く周囲に視線を滑らせる。

 (どこかに出かけたのか?)

 こんな時間に訪れたのは初めてのこと。普段と違う寂寥とした空間に怒りのぶつけどころを見失ってしまい、どっと疲れて座敷の上に寝転がった。

「酒の匂いがする……」

 甘い果実の匂いが酒特有の鼻を抜ける風味と混じって座敷に残っている。酒など飲んだことはないが、この匂いは嫌いじゃなかった。

 手足を広げて寝っ転がれば、昂った感情は気の抜けるような甘さにほだされて、ゆるりとほぐれてゆく。

「あの皿、なんなの?」

 鼻から息を抜いた白夜がとらえたのは、真上にある大皿である。初めて来た時も思ったのだが、天井付近に浮かぶあの大皿の正体はいまだに不明だ。

 いまならお館様もいないし、怒られない。

「よし」

 白夜はむくりと起き上がり、両脇にかかった梯子に手をかけてのぼり始めた。

 しばらくのぼって、ようやく皿の縁に手をかけた。

 ひょこっと顔を出してみれば、白夜の顔ほどはある大きな葉っぱが見えた。

 襖に描かれているヤスデだ。それが見渡す限り一面に敷き巡らされ、ふち周りには支えもなしに浮き上がる青白い焔がいくつも灯る。中央には馬鹿に大きい敷布団があった。人間が使用する布団を十は繋げた大きさだ。

 金や銀の刺繍が縁に施され、やたらと豪華だけど、その上にはたくさんの黒い羽が散らばっていた。

 手前にあったものつまんで、よく見てみる。大きいが、とても軽い。指先で触れるだけで温かさが感じられるものだった。

 布団の上を歩んでみると羽根がふわふわと舞い上がる。その中に横たわる背中が見えた。艶のある漆黒の衣に長い黒髪がゆるりと垂れている。

(お館様?)

 できるだけ音を立てないように注意を払い、そろそろと近づく。じっと顔を見つめると、やっぱりお館様だった。

 いつもある眉間のしわがない。

 白夜を怒りつけるきつい眼光も、いまは長い睫毛で閉ざされている。

 そうか、ここはお館様の寝床なのか――

 こんな高い所に寝床を作るなんて変わってる。

 天狗というのは、そういった習性があるのだろうか。

 せっかく寝ているのに起こすわけにもいかないと、そばに腰を下ろしてお館様の寝顔を見つめることしばし。まぶたが重くなってきた。

 何度かカクンと首が落ちて、繰り返しているうちに吸い寄せられるようにして布団の上に倒れこんだ。

 白夜の意識が途切れたのはあっという間のことである。

 すうすうと寝息が聞こえ始め、黒天狗はそっと薄目をあける。

 気持ちよさそうに眠る白夜の頬にかすり傷がはしっていた。小さな傷だが、色白の肌に浮かぶ赤みは痛々く見える。

 眉をひそめた黒天狗は吐息をもらしながらゆっくりと翼を広げ、白夜の体を優しく包み込んだ。

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