第7話 新しいねどこ

 急なことで叫ぶ暇すらない。

 目を丸くして宙を舞った白夜を新たな手がすっぽりと受け止める。

 銀色の髪がふさりと頬にかかり、見上げてみれば、さきほどの九尾が金色の目を牛車に向けていた。

「この子をどうされるおつもりで?」

「知るか!」

「そう仰られても。ついてきてしまったのですから、面倒をみなければなりませんよ。この山のあやかしは、あなたが管理しなければならないのですからね。その責務をお忘れですか?」

「勝手についてきたのだろうが」

「それでもです。もう辻への入り口は閉じてしまいましたし、帰すこともできませんよ」

「まったく面倒な。それなら適当に寝床をあてがってやればよい。あとは知らん」

 牛車から飛び降りた黒天狗は漆黒の衣をばさりと煽り、心底不機嫌そうにして去って行った。

 九尾の唇から小さな吐息がもれ、白夜の額をかすめる。金色の瞳がこちらを向いた。

「仕方がないですね。あなた、名はなんというのです」

「ぼく……白夜です」

「わたしの名は玉藻たまもといいます。白夜、よく聞きなさい。ここは黒天狗様の管理される黒羽山。人間は足を踏み入れることが許されない土地です。しかし、あなたはここまでついてきてしまった。来たからには面倒をみますが、黒天狗様に迷惑をかけるようなことをしてはなりませんよ。わかりましたか?」

「え」

「それから、ここでは黒天狗様ではなく、お館様と呼ぶように」

「お館様?」

 玉藻は細い指先を伸ばし、向こうへと向ける。

 白夜は玉藻の腕の中でそちらを見やった。

 まず目にしたのは煌々と輝く大きな月。

 ここはどれほど高い場所なのだろうか。

 都で見た低い空とは違い、どこまでも高い空が広がり、まるで雲など通り越してきたようである。

 次に鬱蒼と茂った森が見えた。ほうほうと梟の鳴き声が夜風に乗って響き、木の葉が揺れる音と混じって山の音色を奏でている。

 その中に一本の坂道がある。緩い傾斜をつけてまっすぐ上に伸び、黒天狗が数匹の天狗を従えて歩んでいた。 

 その先は山頂だろうか。立派なお屋敷が重厚的な佇まいを構えている。

 まだしばらく距離はありそうだが、ここからでもだいぶ大きく見える。

 都で見た御所とほぼ同じ……いや、この距離であれだけ大きく見えるのだ。もしかしたら、こちらの方が大きいかもしれない。

「あそこがお館様のお住まいとなります。立ち入りは自由ですが、無用に訪れないように」

「あの」

「何か」

「ぼく……殺して欲しいだけなんですけど」

 白夜が気落ちしたように言うと玉藻は綺麗な眉をひそめた。

「わたしに言われても困ります。お館様は立派なあやかしになるようにと仰っていたではないですか。ならば、そのとおりになさい」

「ええ」

「不満があるのなら、またお願いするしかないでしょうね」

「そんなあ」

「せいぜい頑張ることです」

 玉藻に案内された寝床は動物の洞穴ほらあなだった。

 まだ八歳である白夜が体を丸めてぴったり収まる程度の洞穴。

 岩山を掘って葉っぱや藁が敷いてあるだけのものだ。

 白夜の家も似たようなものだったからそれほど不満はないけれど、足を伸ばして寝れないのは少しつらいかもしれない。

 この洞穴は他にもいくつかあって、中には雪のように真っ白い狐が丸まって眠りについていた。

 すうすうと寝息を立てる狐の鼻先をかすめる尾は二つ。三つ叉に分かれているものもある。

 やはりこれも普通の狐とは違うのだろう。

「あれらはわたしの子。いじめたら、ただでは置きませんよ」

 白夜の視線に気付いた玉藻が鋭い眼を向ける。

 丁寧な言葉遣いに加えて綺麗な貌に凄みを加えるものだから、迫力が凄まじい。

 黒天狗も目つきが悪かったけど、あちらは炎。こちらは氷のような冷たさを纏う。

 しかし白夜はぷうっと頬を膨らませ、「そんなことしません」とむきになって言い放った。

 もともといじめといった類いのことが嫌いなたちなのである。

「それならよいのです。山の中は自由に動き回ってよいですが、山から下りてはなりません。それにはお館様の許可がいりますからね。心しておくように」

「はい」

 玉藻が背を向けた。向かう先はあのお屋敷だろうか。

 そう思った矢先、玉藻がとんっと軽く地を蹴った。地面の土は乾いていたが、土埃ひとつあがらない。音もそれほど大きくない。

 たまたま梟の鳴き声が途絶えており、なおかつ近くにいたからこそ拾えるほどのものものである。

 それなのに玉藻の体は一瞬で遙か上空に飛来した。

 天を照らす青白い月を背に九つの尾がふわりと開き、銀色の長い髪と重ね合わせた純白の衣が風に舞って波打つ。

 白夜はそのままお屋敷の方へ飛んでいってしまった玉藻を口をあんぐりと開けて眺めた。

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