第13話 黒姫

「おまえ、そいつに名をつけろ」

「そいつ?」

 お館様が見ているのは背後で遊んでいる黒煙だった。

 いまは畳をなでていたり天狗たちの錫杖に絡みついてみたり、興味本位に動き回っている。

 これに名前をつけろって。なんで?

 キョトンとする白夜にお館様は舌を打つ。

「そいつはお前についた怨霊だ。だからお前の身に危険が迫れば盾となる。しかしな、そいつの力はそれだけではない。名付ければさらに力が増す。お前が持つ唯一の武器だと考えろ」

「怨霊……」

 そう聞くと恐ろしいが、あの家で目覚めてからこのかた、白夜はそんな感情を抱いた例しがない。

 例えば首に刺した刃を抜こうとした時、都で辻を探していた時。優しい声がする。

 言葉ではない声だ。聞くというよりは感じると言った方が正しいかもしれない。

 武器になるというお館様の言葉の意味はよく理解できなかったけれど、名付けるというのはよい案に思えた。

「えーと。じゃあ……黒姫にする」

 とたんにそれまで緩和な動きをしていた黒煙の動きが活発になった。

 大きさが何倍にも膨み、轟々とうなりを上げて荒れ狂う。直後、一斉に白夜の体めがけて飛び込んだ。

 軽く腹を圧迫される感覚があり、ふっと消えたかと思えば部屋の中に黒煙の姿は欠片ほども残っていなかった。

 静かさを取り戻した部屋で白夜は目を丸くしてお腹をさする。

「ぼくの体に入っちゃったの?」

「それが支配下に置くということだ。何も消えたわけではない。呼べば出てくるから心配はいらん」

「黒姫?」

 少し不安になって小さく呼びかけた。

 すると右の手のひらからふわりと黒い玉が浮き上がる。

 玉といっても宝玉のように固いものではなく、黒煙が丸くなって浮遊しているだけなのだが。

「出てきた」

「そう言うたではないか」

「なんだか可愛い」

「いまだけだ。そいつは鍛えれば鍛えるほど強くなる。あとはおまえ次第だな。強くなってみせろ、白夜」

 お館様が挑むような目を向ける。相変わらず眉間にしわが寄っているし、どこか面倒くさそうな色も表情に滲んでいる。けれど声だけは普段と違って穏やな響きがあった。

 だからだろうか。

 すんなりと言葉が心に落ちてくる。

「強く?」

 おうむ返しに問うとお館様は眉間のしわを深めた。

「おれは弱い者が好かん。おれに倒して欲しければ、おれを倒せるくらい強くなってみせろ。話しはそれからだ」

「お館様を倒せるくらいに?」

「そうだ」

 それがお館様の望みなのか。

 白夜は顔をしかめて懊悩おうのうする。

 殺してもらうために強くならなきゃいけないなんて変な話しだ。

 それに、いますぐ殺してもらえないってことじゃないか。

 じゃあ、他の人に頼むとか……

 そんな考えがよぎったが、追い出すように頭を振る。

 白夜は幼いながらにして、己の発した言葉の責を真摯に見つめるだけの度量があった。

 お館様に殺して欲しいと頼んだのは自分だ。ここで手のひらを返せば人の道にもとる。

 ならば、どれほど時間がかかっても必ずお館様に介錯を頼もう。そのためにここまで追ってきたのだから。

 考えあぐねいて、白夜は心を決めた。

 お館様をまっすぐに見据え、力強くうなずく。

「わかった。ぼく、強くなるよ」

「その日が楽しみだな」

 したり顔で笑ったお館様に顔が引き締まる。

 お館様が白夜の目標となったのは、この日からである。

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