2.亡命の意志を確認したい

 木漏こもが、走るアーリーヤを、まばらに照らしていた。


 下草したくさも短く、土は湿気しっけが少なくて固い。もうすぐ森が途切とぎれる。王女と言っても、ちょうよ花よの白色人種的な先進国民とは、身体の出来も育ちも違う。


 アーリーヤは、派手な色彩の民族衣装から、黒くしなやかな手足を振り乱して走り続けた。


 金茶色の長い巻き毛が、汗で顔に張りついた。厚みのある唇が、荒い息にふるえた。


 早く市街へ、港町インパネイラへと、重くなっていく足を懸命けんめいに動かして走る。アーリーヤには国の外の決め事はわからないが、インパネイラはこの国の土地ではなく、そこに行けば他の国に保護されることになる、らしい。


「待っていてください、愛するお兄さま……! ついでに、妻帯者さいたいしゃだったベルグさま……! アーリーヤは、必ず……っ!」


 森を出た。


 目のくらむような陽光ようこうが真上から降り注ぎ、まばらな木々と茂み、畑と草原が広がって、その先に港町の煉瓦造れんがづくりの市街が見えた。


 安堵あんどで、アーリーヤの歩みが、ほんの少し止まった。呼吸が限界で、次にまた走り出すまでに、が必要だった。


 ようやく動かした一歩の先に、巨大な鉄杭てつくいが突き刺さった。


 五本、十本と、人間ほどもある鉄杭てつくいが大地を穿うがち、突き刺さる。アーリーヤの眼前に、黒鉄色くろがねいろの壁がそびえ立った。


「良かった、追いついた。ちょっと慌てて撃ったから、近かったな。大丈夫か? 小石が飛んで、怪我けがとかしなかったか?」


 どこか場違いな声がした。


 アーリーヤが、思わず振り返る。森のはしから、男が現れた。少し前まで一緒にいた、筋骨たくましかったベルグに比べると、少し若く、少し背が低くて、少し手足の細長い印象だ。


 たてがみのような赤銅色しゃくどういろの髪に、茶色の軍服を着ている。りの深い野生味やせいみのある顔立ちが、良く言えば人のい、悪く言えばの抜けた感じの笑顔を浮かべていた。


 アーリーヤが動こうとした矢先、男のつま先が地面を叩く。


 かすかな光の波紋が広がって、鉄杭てつくいの壁の両端から男の横まで、アーリーヤを捕らえるおりのように、新たな鉄杭てつくいが何本も突き出した。


「おまえの兄ちゃん、心配してたぞ? まあ、怒ってるわけでもないだろうし、一緒にあやまってやるからさ」


 男が、鉄杭てつくいおりの中を、アーリーヤに向かって歩いた。


 アーリーヤは男を見て、左右を見て、意を決して鉄杭てつくいの壁の一本にしがみついた。両手足をへばりつかせて、突然変異した両生類のように、じわじわと登っていく。


「ちゃ……ちゃんちゃら可笑おかしい、言い草ですわ……っ! 帰って、お兄さまに、お伝えくださいまし……っ! アーリーヤは、必ず、こんな怪しげな異人いじんどもから、お兄さまをお救い申し上げます、と……っ!」


「いやはや、見上げた根性だよ。もうちょっと育っててくれたら、多分、れてたなあ」


「少しくらい身長が低いのは、愛嬌あいきょうですわ!」


「うん。まあ、他にもいろいろ、全体的にな」


 男がもう一度、つま先で地面を叩いた。波紋が走って、鉄杭てつくい音叉おんさのように振動する。アーリーヤの手が離れて、空中に投げ出された。


 瞬間、男の目が鋭くなった。


 鉄杭てつくいの壁に、別の波紋が広がった。男が大きく飛び退いて、直後、鉄杭てつくい粒子りゅうしのように砕け散った。


 粒子りゅうしうずが、ふわりと、アーリーヤの落下をやわらげる。次いで、真下に立った少年が、アーリーヤを抱きとめた。


 銀髪で青い目の、中性的な少年だった。ベルグや目の前の男ともまた違う、赤い縁取ふちどりがある、紺色こんいろ官服かんふくを着ていた。


「ヴェルナスタ共和国、特務局<赤い頭テスタロッサ>だ。君の、亡命ぼうめいの意志を確認したい」


「まあ、こんだけ派手に魔法アルテで暴れられたら、見ないふりも難しいけどな」


 隣にもう一人、同じ官服かんふくの少年が進み出た。亜麻色あまいろの髪に、たった今アーリーヤの落下をやわらげた、輝く粒子りゅうしうずがからみつく。花のような、石鹸せっけんのような香りがして、神話の幻想みたいな金髪碧眼の美女が、少年の肩に現れた。


「え……ええ……っ?」


 アーリーヤが、思わず息をのむ。目が合って、美女が少しまゆを上げた。


「リヴィオ。この少女、私が……魔法励起現象アルティファクタが見えています」


「あれ? 魔法士アルティスタは、ずっと追いかけてたみたいな、あっちの男だろ?」


「ええ。少女から、魔法アルテそのものは感じません」


 リヴィオと呼ばれた、亜麻色あまいろの髪の少年と、その肩に重さがないように乗っている美女が、アーリーヤを抱いた方の少年に顔を向ける。


「レナートと同じように、なんらかの魔法アルテの影響を宿やどしているようですね」


「ぼくと同じ、ね」


 レナートと呼ばれた銀髪の少年が、アーリーヤを抱いたまま、肩をすくめた。その表情にほんの少し、悲しい影がさしたように思えて、アーリーヤはレナートを見つめた。


「おいおい、ちょっと待ってくれ! ヴェルナスタの<赤い頭テスタロッサ>だって? インパネイラには、まだ誰も入ってない! 亡命ぼうめいは成立してないぞ!」


 慎重しんちょうに距離を取っていた男が、赤銅色しゃくどういろの髪をかき上げながら、抗議した。


「市街のこっち側はエングロッザ王国だ! 越境行為えっきょうこういだよな、これ?」


「細かいことはいいじゃんか。なあ、レナート」


「細かくはないけどね。リヴィオ」


 レナートがリヴィオに苦笑する。


「でも、あの茶色の軍服は、確かロセリア連邦陸軍の将校服だよ。越境行為えっきょうこういは、お互いさまさ」


 レナートの横目に、男が嘆息たんそくした。


「なんだよ、まったく……ややこしいことになっちまったなあ。こっちも後に退けなくなるんだから、わかってても黙ってろよ。そういうことはさ」


「おっさんが正直に、そんな格好してるからだろ。ばれて困るなら、軍服なんかじゃなくて、普通の服を着てろよ」


「そこのおまえ。まず、俺は二十六歳だ。おっさんじゃない。それからな……軍服ってのは、国を背負うほこりとか、生命いのちあずけ合う仲間とのきずなとか、そういうものの象徴しょうちょうなんだ。敵だからって、考えなしに否定するもんじゃない。俺はそう思うぞ」


「え……? ああ、いや、そうか? ごめん」


「リヴィオ。あなたの素直すなおな性格はこのましいですが、その応答は、素直すなおに言って間抜まぬけです」


 リヴィオの肩の上で、美女があきれ返った。


「ロセリアなら、ヴェルナスタ本国もケンカを売られている、因縁いんねんの敵でしょう。主観的正義しゅかんてきせいぎの名のもとに、粉砕するのです」


「グリゼルダ、鼻息が荒いよ」


「愛のたかぶりです」


 グリゼルダと呼ばれた美女の勢いに、リヴィオが辟易へきえきとする。言い合っていた男も、似たような表情をした。


「なんか、難儀なんぎ魔法励起現象アルティファクタだな……まあ、いいか。お察しの通りロセリア連邦陸軍、特殊情報部コミンテルン所属、ルカ=ラヴレンチェヴィチ=ラトキンだ。そっちはヴェルナスタ共和国、特務局<赤い頭テスタロッサ>の、誰と誰だ?」


 名乗りを上げたルカが、三回続けて、つま先で地面を叩いた。


 ルカとリヴィオ、アーリーヤを抱いたレナートをつなぐように両脇に並んでいた鉄杭てつくいが、すべて空中に浮かび上がった。音も響きもなく、ルカを中心にした二つの交叉軌道こうさきどうを、佇立ちょりつするはしらのように平行に並んだまま旋回せんかいする。


「リヴィオ=ヴィオラートだ。行くよ、グリゼルダ!」


「お任せなさい、愛しい人」


 リヴィオが叫びを上げた。グリゼルダが背中に寄り添い、リヴィオの手に手を重ねる。


 リヴィオの両足から、踏みしめた地面に光の波紋が広がった。土と石が砕け散り、鉱物結晶こうぶつけっしょうのような無数の粒子りゅうしが舞い上がる。うずを巻き、凝集ぎょうしゅうして、巨大な鋼鉄色の双肩双腕そうけんそうわんを形成した。


 肩とひじ衝角しょうかくのような突起が伸びる、甲冑じみた腕だ。金属の翼に似た肩甲骨状けんこうこつじょうの部品で背部が連結し、前後に重なるリヴィオとグリゼルダを、見えない胸郭きょうかくで包むように、機械の巨人の腕が空中に存在していた。


 両肩の装甲が展開し、空気を吸入、圧縮して、肩甲骨状けんこうこつじょうの背部装甲から噴射ふんしゃする。ルカの、鉄杭てつくい交叉連環こうされんかんに向かって、鋼鉄のこぶしが一直線に突進した。

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