第9話 人であるということ

 それからというもの、魚や肉の調達、畑仕事、屋敷の掃除の手伝いをしつつ、朝昼夕には稽古をつけてもらう日々が始まった。




 そして修行何日目かの夕食にて。


「すごいじゃない、あなたこの数日でずいぶんとよくなったわ」

「でもまだ朱音には勝てない」

「そりゃこんな幼い子に数日で追い抜かれたら、こっちの立つ瀬がないってもんでしょ」


 と笑ってみせる。


「それにしても、名前がないのはこれから不便ね」

「必要ない」

「じゃあ、別に自分でも認めなくてもいいわ。こっちが好きに呼ぶだけだから」


 そうして朱音は腕を組んで指先をあごに当てて考え出した。 


「そうね~、瞳が赤いから茜? それだとあたしと被るか。じゃあ……そうだ! 今日食べたもののなかでなにが一番美味しかった?」

「おいおい、食べ物の名前にするのかよ」


 と千里がつっこむも、


「いいじゃない、いいじゃない。あくまで発想のきっかけよ」


 すると少女は晩生の桃にかぶりつきながら、


「ほへ(これ)」


 と言う。


「じゃあ、これからあなたのことはモモって呼ぶわね。なによ、案外いい名前になったじゃない」

「でも漢字で書いたら元も子もないけどな」

「そこは漢字の百をあててモモって読ませればいいじゃない。ふふん、あたしって天才ね」


 ニヤニヤと得意気な笑みを浮かべる朱音。


「まあ、でも、たしかに名前が決まったのは色々と便利だよな」

「そうね。あとは箸の持ち方を教えたりちゃんとした服を着させてあげたいわね」

「なんか、だんだん世話焼き婆さんみたくなってきたな」


 千里がからかうと、朱音は箸を膳に叩きつけて、


「なによ! うら若き乙女に向かって婆さんだなんて、ずいぶんな言い草じゃない」


 そして、百に向かって、


「あのね、名前もそうだけど、どれもこれもあなたにとって大切なことなの」

「わたしにとって?」

「そう。私たちの半分は紛れもなく鬼だけど、でも、もう半分は人間でしょ?だからちゃんと人間らしく生きる権利だってあるの。それは完全な人間に比べたら半分だけのものかもしれない。血の滲むような苛酷な道かもしれない。でもね、あたしはあなたには後悔のない人生を、自分に向かって胸を張れるような一生を生きてほしいの」

「……人間らしく」

「そ。まあこんな言い方してもすぐには分からないかもね。あなたずいぶんな旅をこれまで送ってきたみたいだし。ひとまずはこの後、あたしと一緒にお風呂に入ることからはじめましょ」




 そういうわけで、今、朱音と百は一緒にお風呂に入っている。 


「湯加減どうだー?」


 外から千里が尋ねてくる。


「いい塩梅よ。このままお願い」


 そして百に向かって声をかける。


「どう?温かくて気持ちいいでしょ?」


 優しく傷だらけの背中を洗ってあげると、


「くすぐったい。モゾモゾする」


 百はこそばゆそうに身をよじる。


「それはあなたがまだ人の優しさに慣れてないからよ。でもね、お風呂にちゃんと入るのも女の子の大事な身だしなみのひとつよ」

「そうなの?」

「ええ」

「……ねえ、ひとつ質問がある」

「なんでも訊いて」

「なんで朱音はそんなに優しくしてくれるの?」


 振り返って百がそう尋ねると、そうねえと朱音は立ち上る湯気を仰ぎ見て、


「妹みたいに思ってるから、かな」


 と言う。


「ずっと欲しかったの。友だちや姉妹みたいな人が。そこにちょうどあなたが現れたってわけ。だからあなたも、あたしのことお姉ちゃんだと思っていいわよ」

「お姉ちゃん……」

「ま。そう呼ぶのは慣れたらでいいけどね」


 そう言って洗ってやりながら、百の全身の傷が目に入る。


(——こんなにも幼いのに、純粋で真っ直ぐなのに、それを守ろうとせず、それどころかそこにつけこんで鬼を殺す道具にしようとしている人たちがいる……


 あるいは、道具のままがいいのだろうか。人並みの幸せなんて知らなければ、道具のままでいることしか知らなければ、迷うことも苦しむこともない。あたしがしていることはモモに苦悩と混迷をもたらすのかもしれない。エゴを押しつけているだけかもしれない。それでも、百には、この子にだけは自らの手で人生を選びとってほしい)


 たった数日そばにいるだけでもそう思わせる純粋さがモモにはあった。そしてどうか、これからもそうあり続けてほしい——そう願わずにはいられなかった。


(百。あなたは決して鬼を殺すための道具なんかじゃない。あなたの半分は人間で、ちゃんと人間らしく生きる幸せだって手に入れられるの——)




 それから数日後。


 夕方の稽古を終え、入浴も済ませた二人は朱音から突然呼び出された。


 朱音は悪巧みを思いついたいたずらっ子みたいに笑いながら、後ろ手に何か隠し持ちながら二人を待ち構えていた。


「……嫌な予感しかしないんだけど」 


 千里が露骨に警戒を示すと、


「別に取って食おうってわけじゃないわ。むしろ逆。今日は二人に贈り物があるの」

「贈り物?」 


 首をかしげる百。


「そう! じゃじゃん! まずは百、あなたにこれを贈るわ」

「これは?」

「あたしお手製の、あなた専用の着物よ。どう、可愛いでしょ?」

「……」


 じいっと着物に見入る百。 

「まあまあ。とりあえず着てみてちょうだい。いい? 千里はあっちを向いておくこと!」


 ずびし、と指を指す。


「へいへーい」


 素直に後ろを向いて目をつぶると、ボロ布を脱いで新しい着物を着ているらしく、衣擦れの音がする。


「いいわよー! どう? 完璧じゃない?」


 千里が振り返ると、そこには赤い着物を見にまとった百がいた。


「おお……!」

「動きやすいように丈を短くしたの。それと、女の子らしく可愛いものにしたかったから帯は背中でリボン結びにしてみたわ。鬼の返り血を浴びてもいいように色は赤。どう、気に入った?」


 今度は百に尋ねる


「動きやすい」

「そうね、たしかにそこも大事にしたわ」

「それと……」

「それと?」

「可愛い、と思う」


 心なしか百の顔が赤い気がする。


「きゃー! そう! その言葉が聞きたかったの。作り手冥利に尽きる一言だわ!」

「ありがと」

「お礼を言うのはこっちの方よ」


 それから百は千里に向かって、 


「どう?」


 と訊いた。 


「どうって、そりゃお前——」


 ふだんボロ布をまとって戦う姿しか見ないせいか、こういう場面では反動で余計に女の子らしさを意識してしまう。 


 千里は自分でも顔が赤くなってるのに気づいて舌打ちしたい気持ちになりながら、


「に、似合ってる……ぜ」


 心の中で、どうにでもなりやがれ! と叫んだのだった。


「あらあら、赤くなっちゃって。千里にも可愛いところあるじゃない。そんなあなたにも贈り物があるの」

「まさかリボン付きじゃないだろうな」  


 照れ隠しに憎まれ口を叩くと


「それもいいけど、今回は真面目に作ってあげたわ。百が赤色を基調にしたから、あなたのは対照的に苔緑を基調にしてみたの」 


 そう言って男用の着物を手渡す。


「おお! 本当にまともな出来だ。やったぜ、これで服のせいで目立たずにすむ。朱音さん、ありがとうな!」

「えへん。ふだん手伝いをしてもらってるお礼とでも思ってちょうだい」


 腰に手を当てた朱音は、そのままの姿勢で、


「そして二人に提案があるの。この格好で村に行きましょう!」

「村に? なんでまた」  


 千里が尋ねると、


「せっかくの着物をお披露目しに、よ」


 そう言うと百の右手に包帯を巻い鬼印を隠す。 


「よし!これで、どっからどうみてもふつうの美少女ね。あたしの仕立てた服も百の魅力を最大限に引き出してるわ!」 


 と自画自賛。


「修行はいいの?」


 と百がきくと


「たまには遊ぶのも修行のうち! いいから二人とも、ついておいで!」  


 そう言うと二人の手を取って屋敷の外へ飛び出した。


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