半鬼の少女と百鬼夜行

石上あさ

二人旅のはじまり

第1話 プロローグ

 目覚めたら、血のように赤い紅葉の中にいた。 


「どこだ……ここ?」


 山路千里(やまじせんり)は辺りを見回す。見覚えがない。いったいいつのまに自分はこんなところへ来てしまったのだろう、そんなことを考えていると頭痛がした。そして千里は思い出した。


 自分はすでに死んでいるーーということを。 




 四年三組の教室を出て、下駄箱をとおり、千里は自らが暮らす児童養護施設『光の子ども園』に帰ろうとしていた。なにげない、いつもどおりの帰り道ーーのはずだった。


 ところがこの日ばかりは違った。暴走した大型トラックがガードレールをぶち破り、歩道まで突っ込んできたのだ。


「ーー!?」


 小さな子どもになすすべもない。走馬灯も見なかったし痛みもなかった。おそらく即死だったのだろう。それだけが幸いだった。ただひとつ死に直面した恐怖だけが全身の細胞のすみずみにまで焼き付けられていた。




「あの世にしちゃあ、ずいぶんと生々しいな」


 トラックも道路も、児童養護施設もない森のなかで、そう呟く。

 すると——


「——!」


 悲鳴が聞こえた。

 千里はっとして、そちらへ走り出す。


「俺以外にも人がいるのか!」


 その人物が敵になるか味方になるのか、あるいはそのどちらでもないのか、それは分からない。が、ともかくここがどこなのか、その手がかりが欲しかった。


 千里は誰にも見つからないように用心し、木々の間を縫うように歩きながら声の主へと近づいていく。


 歩いている間も悲鳴や叫びはとまらない。何人、何十人もの大人たちがなにかを叫んでいる。


「早く村の外へ逃げろ!」

「オニガリはこないのか!?」

「老人は置いていけ!」


(なんだ!?何が起こってる!?)


 分かるのは近くに村があるということと、そこになんらかの危機が迫っているということ。状況はまるで掴めない。


 本来であればわざわざ自分からそんな危険地帯へ足を踏み入れたくはないものの、ここがどこなのか、自分の身に何が起こったのか知る手がかりはその死地のなかにしかない。ならば、虎穴に入らずんばなんとやら、ここで迷う暇はない。


 するとやがて丘の頂上のような開けた場所へでて急に視界が明るくなった。眼下にはいくつもの素朴で質素な民家と、そこから出てきてはわらわらと逃げ惑う何十もの人の群れ、そして——


「なんだ……ありゃあ……」


 鬼——がいた。


 何度目を疑ってもそうとしか言い表せない。村の向こう、入り口とおぼしきところに常人ならざるものが存在していた。背丈は並みの大人の倍近くある。赤や黒や紺に染まった体躯に隆々と筋肉が盛り上がっている。そして額からは大きな一本の角がそそりたっている。


 ——逃げろ!


 あまたの苦痛と危機にさらされてきた本能が彼自信にそう告げていた。いや、叫んでいるといっていいほど強烈に警告していた。


 その鬼たちは全部で四体ほどいて、それぞれが思い思いに近くの人間をつかまえては、背骨を折り、頭蓋を砕き、そうして殺しては雄叫びをあげている。


(ここにいたらまずい。早く逃げなければ殺されていったやつらの二の舞だ)


 理性は冷静にそう結論した。彼は理不尽に痛めめつけられてきた経験から、誰よりも賢く生き延びる術を心得ていた。あれに関わるべきじゃない。今すぐ逃げて逃げて逃げのびなければならない。


(でも、どこへ——?)


 その疑問が彼をその場に縫いとめた。逃げ惑う人々の向かう方向へ行って合流するか? それが安全だとは思えない。彼らはこの襲撃を予期できなかったし、抵抗さえできてない。ただ我先にと逃げ惑うだけ。それなら、その有り様を見下ろせるここにいる方がまだ安全だ。


 が、いつまでもここにいれば問題が解決するというわけじゃない。そもそも問題はなんだ?トラックに轢かれたと思ったら知らない場所にいること、その知らない場所に鬼がいて人を殺しまくっていること、この二つが問題だ。一つ目は今すぐ解決しそうにない。二つ目も望み薄だろう。あんな怪物に勝ち目がないのは村人たちも認めているとおりだ。


 じゃあ、どうする? どこへいけばいい? それがどうやっても分からない。


 そうやって悩んでいるとき背後に足音。


(よかった、村人の方からこっちに逃げてきてくれた。とりあえずこの人に避難場所についてきいてみよう——)


 そう思って振り返った瞬間——


「——っ!?」


 鬼、がいた。


 遠くから眺めてさえ恐ろしいその怪物は、近くで目の当たりにするとなおのこと恐怖を感じさせた。近くで見るとマジ怖い。全身の筋肉に緊張が走り、背中からは冷や汗が出る。


 そして鬼が咆哮する。間違いなく威嚇行為、あるいは「これからお前を殺す」という宣戦布告だ。


 それでも彼は恐怖にすくんだりはしなかった。彼の特筆すべき点は危機に瀕したときの対処方法にあった。普通の人は恐怖の底に陥ると混乱して我を失う。ところが、千里の場合は恐怖するほどより冷静に、より合理的になる。どうすれば苦痛を少なくできるか、保護されるまで虐待環境で考え抜いてきた経験がここで彼に工夫を与えた。


「——」


 彼は足元の枯れ葉の、その下にある土を握りしめると、およそ三メートルの高さにある鬼の顔へと投げつけた。


 そして鬼が咄嗟に手で顔を覆うとその隙をついて走り出した。


(今のうちにできるだけ遠くへ! つかまればおしまいだ!)


 あえて密集した木々の間を選んで走り抜ける。追いかけてきた鬼の巨体がその木々にぶつかる。その隙に手頃な太さの木の陰にかくれる。


(向こうは今こっちを見失っている。このまま逃げきれれば理想なんだけど、そうもいかないだろうな……)


 現実に期待しないところも千里の特徴のひとつといえた。


 一歩でも動けば足音で居場所が割れる。息を殺しじっと様子をうかかがっていると——


「——!」


 また近くで別の咆哮。


(なっ——!? 二体目だと!? こんなときに!?)


 位置を確かめようと辺りを見回すと遠くに赤く光る眼光がある。それと目が合う。二体目の鬼の咆哮。それによりさっきまでこちらを見失っていた一体目の鬼もこちらに気づく。


(なんて日だよ、くそ! 一日に二度も死ななきゃいけねえのかよ!)


 もはや逃げ道はどこにもない。一体目の鬼が回り込んできて、千里へと飛びかかる。再び全身を駆け巡る恐怖。


(ちくしょう! もうおしまいだ!)


 完全に諦めきったそのとき——


「だいじょうぶ?」


 凛とした声が聞こえた。


「——!」


 一閃。


 次の瞬間、鬼の首は切り落とされ、首から流れ出た大量の血が千里の全身を染めた。どさっと倒れる鬼の巨体と、その生首。


 そして。


 その傍らにあったのは、身の丈に不釣り合いな大剣を肩に担いでこっちを見つめる、彼よりも小さな幼い少女の姿だった。

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