包丁で、背中を刺された!

hekisei

その1 中央線

 数年前、オレは包丁で背中を刺されるという経験をした。

 幸い死なずにすんだので、こうやって振り返ることができている。

 その時の事を思い出して全部で6回の話にした。

 良かったら読んでくれ。



 事件というのは日常生活の中で突然に起こるものらしい。


 その日、電車に乗ったオレはドア付近に立っていた。

 信濃町しなのまちから乗ってきた中年の女性と、あとに続く 亭主をぼんやりと眺めていたような気がする。


 すると亭主が手をのばして女性の持っていたバッグのファスナーを開け、財布を取り出した。

「まあ、夫婦ならそういうこともあるのかな」と思っていたら、その男はくるりと振り返って電車を降りようとする。


「泥棒かも!」と思ったオレはとっさに男の手をつかんだ。

 テレビや映画なら手を掴まれた瞬間、スリは観念するものだが、現実はそうできていなかった。


 男は猛然と手を振り払おうとする。

 こっちも必死につかんで離さない。


 しかし、この状況を客観的に見たらどうだろう? 

 オレは身長180センチ以上ある。

 その乱暴者が160センチそこそこの善良な市民をいじめているように見えないだろうか。


 第一、この男は本当に泥棒か? 


 そういう曖昧あいまいな気持ちのまま男の手を掴んでいたが、とうとう振り払われてしまった。

 男が電車から降りた途端、ドアが閉まった。


 男は振り返ってこちらをにらんでいる。

 そのまま電車が発車した。


 ふと気がつくと周りには誰もいない。

 近くにいた乗客の男性の手が血まみれになっている。


「すみません、巻き込んでしまって」


 謝ったオレに他の乗客が言った。


「オタクも切られてますよ」


 そう示されたのはスーツの背中側だ。

 見事に切られてパックリと開いていた。


 それだけではない。

 左手の袖もパックリだ。


 どうやら男は包丁を持っていたらしい。

 全く目に入らなかった。

 周囲から人がいなくなったはずだ。

 幸い切られたのは服だけで、体は無事だった。


 財布をられた女性は隣の車両との連結部付近まで逃げていた。

 目が合ったので声をかけた。


「財布を盗られてませんかー!」

「あら、なくなっているわ」

「さっきの男が盗ったんですよ。次の駅で降りて警察に届けましょう」


 我ながら冷静な言葉だと思う。

 でも他に言うセリフがないのも事実だ。


 四ツ谷駅の駅員さんに警察を呼んでもらった。

 パトカーに乗って行った先は四ツ谷署よつやしょだ。

 同乗していた被害女性はしきりに

「私が大学病院でお金を払ったときからつけてきたのよ!」

と言っていた。


 到着するまで5回は聞かされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る