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 お葬式の間はじっとしていなければならない。


 そのくらいのことはよーくわかっていた。


 たとえば、あくまでたとえばの話だけど、いま僕が急に立ち上がり、大声で叫び出したとしよう。この場にいるみんなが驚くだろう。もしかしたら、棺の中のイルカも驚きのあまり飛び上がってしまうかもしれない。お葬式は大混乱だ。そいつはちょっと楽しそうだな、なんて考えちゃいけない。こんなことは想像するだけでも罰当たりものだ。


 だから、落ち着け。落ち着かなくてはならないぞ。


 僕は爪を噛んだ。噛み千切った。家ならゴミ箱に吐き出すところだけど、あいにくと持ち合わせがない。僕は爪を飲み込んだ。ごくん。それから目を閉じ、いままさに極楽へと送り出されようとしている友達のことを考えた。


 いつだったか、タイガさんが言っていた。この島での人生は儀式にはじまり儀式に終わる。生まれてすぐに受ける浄めの儀と、死んだときに受ける送り返しの儀のことだ。それが、極楽への通行手形になるってわけ。島の神事を取り仕切るタイガさんが言うんだからこれはもう間違いない。僕らはみな極楽行きが約束された船に乗っているようなものだ。


 この島の風習にのっとり、葬儀はイルカが居候していたミナトの家で行われた。普段は居間として使われているのだろう。六畳半の和室は、葬儀を執り行うにはあまりにも狭かった。普通なら襖をぶち抜いて部屋をつなげるところなのだけれど、ミナトの家は島では珍しい洋風の間取りのためそれができなかったのだ。


 ミナトの両親、僕を含めた彼女の数少ない同級生、担任のセト先生、お坊さん。それだけで部屋はいっぱいいっぱいだった。そこにミナトの姿はない。冷たくなったイルカが林の中で見つかって以来、ずっと寝込んでいるという話だった。


 イルカはこの島に来て三か月ほどしか経っていなかった。来月には浄めの儀を受ける予定だったが、運命はたったそれだけの時間さえ待ってくれなかった。救いがあるとすれば、浄めの儀が死者に対しても有効とされていることだ。彼女の体は、お坊さんが来る前に宿元のタイガさんによって浄めの儀と送り返しの儀を受けたはずだ。だからきっと、いまごろは迷わず極楽へと導かれたことだろう。極楽がどんな場所かはわからないけど、彼女が笑って過ごせる場所であればいい。


 少しだけ気分が落ち着いてきた。お坊さんのお経に耳を傾けるくらいの余裕ができた。僕はお経が嫌いではない。意味がわかるわけではないけれど、あの淡々としたリズムが好きなんだ。これは島の祝詞によく親しんでいるせいかもしれないね。


 イルカの死に顔はとてもきれいだった。それは島に伝わる神様の表情にも似て、この世のすべてを赦す寛大さのようなものが感じられた。


 僕はきっとそれを見て安心すべきだったのだろう。よかった、イルカは極楽で楽しくやっていける。そう思うべきだったのだろう。


 なのになぜだろう。僕は死んでしまった彼女に問いかけずにはいられなかった。


 どうしてそんな顔をしていられるんだい。


 君はとても理不尽なかたちで死んだ。


 なのに、どうして。


 ダメだ、ダメだ。落ち着かないといけないぞ。僕は自分に言い聞かせた。だけど、感情はいつだって理性の手には余る代物だ。暴れ牛をなだめるのに、赤い布をひらひらさせていたのでは逆効果というものだろう。いまの僕がやっているのはそういうことだ。


 落ち着かなければならない。しかし、そう念じれば念じるほど、僕の感情は高ぶり、怒れる闘牛のように胸の内を暴れ回った。


 イルカは死んだ。


 あの化け物――魔臼まうすに殺されたのだ。


 拳を固く握りしめた。爪を肉に食い込ませるようにして、強く。


 痛い。


 でも、きっとイルカが感じた痛みはこんなものじゃなかったはずだ。そう考えるとどうしようもない無力感が込み上げてきた。


 お葬式の間はじっとしていなければならないだって?


 誰がそんなことを決めたのだろう。


 なぜ僕はそれに従わなければならないのだろう。


 僕はその場に立ち上がった。参列者の視線が集まるのを感じる。イルカは相変わらず眠ったままだ。僕はそのことを少しだけ残念に思いながら部屋を飛び出した。

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