獣の城~魔城の少女は夢を見るのか~

五月ユキ

第1話

 水の都リアスは今日も平和だ。夏の空の下で、川に囲まれる城は生き生きと活気づくのである。


 熱気を帯びる風は城を駆け巡る、鳥は囀り、水面は太陽の光を反射してきらきらと輝く。水を浴びてる人々も夏の色を染めていた。


 誰もが夏の訪れを喜んでいる。


 一人だけ除く。この城の領主だ。


「こんなに時間掛けても見つからないのか! 役立たず!」


 領主の罵声を浴び、書斎にいる兵士全員が身を構える。窓の外の鳥も怯えて、さっさと逃げていた。夏の空気が一変し、氷のように肌寒いものになる。


 誰もが冷や汗をかき、恐る恐ると謝罪の一言を出す。


「申し訳ありません……今は団長も捜索に加えているので、必ず見つかります」


 兵士の返事に不満を感じたか、領主は兵士を見て、延々と小刻みに指で叩く。その叩く音はまるで死への秒読みだ。


 恐怖が蔓延る書斎で、一人、恐れ知らずの男が喋りだす。列の一番前に立ち、一番不機嫌な顔をしている青年だ。


「恐れながら、騎士団はあなたの使い走りじゃありません」

「おい、待て、クルト」


 クルトの失礼極まりない発言を聞くと、隣の兵士は慌てて彼を引き止める。彼は全然動じず、話を続けた。


「先週も昨日も同じことがありました。騎士団はリアスを守る責任があるが、あなた様の息子だけを守る便利屋じゃありません」


 彼の発言を聞くと、領主の顔は見る見るうちに赤くなり、椅子から飛び上がる。その怒り狂う姿を目撃する兵士全員が、無言でクルトに責めるような視線を送る。


「何なんだ、その態度は! わしの息子は守る価値すらないというのか!」


 本音を出たか、クルトは思った。もともと領主と息子の仲はいいとは言えない、それでも捜索を命じたのは、貴族の体面を保つためだ。


 問題を解決せずに、ただ連れ戻すだけ。その日課になんの価値も見いだせない。彼はうんざりしていた。


 クルトまたなにかを言い出そうな顔を見て、かの兵士は力づく彼の口を封じ、謝罪の言葉をすらすらと並べた。

 こいつら、また軽々しく謝ってやがる。クルトは卑下する兵士を見て、怒りを覚えた。思わず口を封じる手を解き、棘のある言い方で言い返す。


「領主様の方こそ、ご自分で探してみたらいかがです?」

「貴様っ」


 領主はその侮辱に耐えられず、他の兵士に指差した。


「ワイズはどこだ、ワイズを呼べ!」


 残りの兵士は扉を突き破る勢いで、慌ててワイズの探索に出た。クルトは居残り、領主とお互い睨んているだけだった。


 ワイズは騎士団の団長兼彼の師匠で、このリアス一有名な剣の達人。クルトからみれば、ただの胡散臭いのおっさんだ。


 彼ならきっと領主の怒りを鎮めるだろう。ただ、クルトが望んだやり方じゃなく、もっと波風が立たずやり方だ。


「領主様、ご用件はなんでしょうか」


 到着は予想より早い。ワイズはいかにも余裕のありそうな顔だ。後ろにいる兵士は逆にへどへどで、城を満遍なく走った後に違いない、とクルトは思った。


「おまえの部下はわしに反論したぞ! どういう教育しているのか」


 クルトは領主の罵倒を聞いても反省の色を示せず、そっぽを向いて窓の外を見てるだけ。ワイズはそれを見て、一瞬呆れた顔をしたがすぐに真面目な返事を出した。


「クルトの件は、おそらく最近魔獣横行している魔城のことが気になって、居ても立っても居られないでしょう。こう見えてもリアスのことを案じています」


 魔城のことは確かに気になるが、そこまでじゃないぞ、とクルトは心の中に突っ込む。


「また、ご子息は既に無事に発見しました」


 領主はワイズの目の方向を見ると、彼の息子は執事と一緒に庭園にいた。領主はそれを見て、胸をなで下ろす。


「おおっ、ワイズ、よくやった」


 しかしその笑顔は長く持たなかった。


「ふん、クルトと言ったか、そんなに魔城が好きなら、そこへ行って来い」


 魔城へ? 冗談じゃない、そんなくだらない見張りの仕事をやっていられるか。クルトは反論しようとしたが、すぐにワイズの声に遮られた。


「なら魔城の偵察隊入りはどうでしょうか」

「よし、手配しろ」


 すべては転がる雪だるまのように決めていた。彼には選択肢がない。


 魔城は通称だ。本名はフォクゾン城。かつては貴族の所有物だが、その貴族も没落し、華やかな城も、今もただのおんぼろ城だ。


 最近あのあたりで失踪事件が多発した。獣や野盗の仕業なのか。どれだけ調べても犯人像が見えてこない。知っているのは、失踪事件はいつもフォクゾン城まわりで起きる事実だけ。人々が恐怖や未知への不安で、あそこを魔城と呼んだ。


 それでも構わない、害獣なら殺すだけ。ただ、あそこには聖獣が出現する噂がある。聖獣ならば話は別だ。

 聖獣はエディミア教教義にある『光を纏いし獣』だ。殺すのをバレたら処刑に違いない。


 面倒くさい仕事だ、まったくやりたくない。


「偵察隊はどういうことだ」


 彼は不満げの顔でワイズに質問した。


「そんな顔しなくても、今回は見張りだけじゃない、原因究明のための偵察隊だ。偵察隊には学士と医師、あとエディミア教神父も参加している」


 いつものつまらない見張りと違って、面白いだろう、とワイズは笑いながらクルトを見た。


「エディミア教が憎いと知っているくせに、嫌がらせか」


「クルト、騎士は仕事を選べない。ガキの頃からいつも言ってただろう」


 彼はワイズのように簡単に割りきれない。強くなりたい一心で騎士団へ入った、なにか変わろうと思った。結果はこれだ。


 クルトは別の方向を向けた。廊下からは庭園が見える。風が歌い、花は舞う、夏の風景はこころをを癒やされる。


 リアスは豊かだ。領主はなにもしなくても金が回る。贅沢や享楽まみれの貴族だけの楽園。リアスを守る騎士だって、今もただの使い走り。貴族へ媚を売るためだけに入団した人も。騎士団に入る時とは大違いだ。


「おまえが騎士へ昇進した時にも言ってただろう。どんなことをしても、リアスのためだ」


 平民出のクルトにはもともと騎士になれず、ワイズが強く推薦したからこそ、特例で騎士になった。ほぼ全部ワイズの独断だが。


 何年たっても彼はワイズみたいに考えない。小さい頃からずっと騎士団にいた。だからこそ、今みたいな生き方はどうしようもなく嫌いだ。


「偵察隊の話に戻るが、残念ながら人手不足で、新入りばかりだ」

「人手不足なんてあるものか。あの領主は全然気にしていないだろう。原因究明もどうせ体面のためだ」


 金はたぶんあいつの贅沢に回っている。クルトは思った。


「何かあったら、ハンスに聞け」


 クルトはこの名を聞くと嫌になる。なにしろ、騎士としての能力は微妙で、貴族のご機嫌取りだけが仕事のような男だ。


 話を聞くと、今回はアダラン家の学士、ホロン家の医師、加えて、エディミア教の神父か。どれも機嫌を取ればいい事ばかりだ。


「まぁ、偵察だし、ご機嫌取りばかりじゃないはずだ、安心しろ」


 ワイズは一呼吸を置いて、話し続ける。


「とにかく、明日出発だ。新入りばかりだから、ガンガン先輩面してもいいぞ」


 ワイズは笑いながら、クルトの肩を叩いた。


 明日は一日中、延々とハンスの媚びの演説を聞かないといけないのか。それは悪夢に違いない。


 クルトは立ち去るワイズの背中を見て、ため息をつく。


 ――そして、悪夢が現実となる。


 魔城まではそこまで遠くない。皮鎧を着ているから、蒸し暑さを感じたが、最も辛いのはハンスの声が延々と聞こえるこの道のりだ。


 貴族様とハンスは隊の先に、悠々と馬車を乗っていた。この速度は偵察隊っていうよりも、物見遊山のようだ。


 クルトは最後列にいた。もちろんハンスの嫌がらせだ。遠くにいても、ハンスの甲声を聞こえた。


「アダラン様、こちらに来てからお疲れのご様子、ご心労お察ししますよ」

「い、いや……それほどでも」


 相手の方が弱々しく応じた。どうやらアダラン家の学士だ。


 世情に疎いクルトでも聞いたことがある。アダラン家は貴族の中でも上の銀糸コードの使い手。その強さで、何人の貴族が敗れて、臣下となり、城をもろ共手に入れたらしい。


 貴族制度は弱肉強食だ。銀糸コードの力があっても、なくでも、その貴族さえ倒せば、貴族になれる。もちろん、銀糸コードなしで、貴族とやり合うのが分が悪い。


「アダラン家なら、エディミア教の素晴らしさご存じかと思いますが。なぜ学士など罰当たりなことをしているのでしょうか。聖獣様が悲しみますよ」


 この、いかにも自分の世界だけに生きているのが、きっとエディミア教の神父だ。クルトは思った。


 貴族も神父も嫌いだが、どっちが一番嫌いって言うと、もちろんエディミア教の神父だ。自分の世界に閉じこもって、エディミア教の素晴らしさとか押し付けるのが無理だ。


「そうとは思わないですか、ホロン様」


 神父から話を振られ、もう一人の男は冷たく言った。


「私は医師です。獣なんて知りませんよ」

「……あの……その」


 残りの学士は反論すらできなかった。


 少しくらい反論しろよ、学士なら賢いなんだろうが。クルトは後ろで聞いて、歯がゆさを感じだ。


「――クルトさん、今回は同じチームでよかったです!」


 急に、隣の兵士がクルトに話をかけた。ふり返ると、新入りが彼の隣に立っていた。


 ただの新入りじゃない。騎士らしくない、お人好しの顔だ。どこかで会った気がするが、どうしても思い出さない。新入りはクルトを見て、ニコニコと笑った。


 同名の人と間違ったんじゃないか、クルトは不意に思った。クルトの意外そうな目を見ると、新入りは返事した。


「覚えていないんですか? この前は妹と城下町で、賊に襲われた時にクルトさんに助けられたのですよ」

「ああっ! あの時の兄か」

「そうです――あっ、名乗っていなかったっけ。エモンです」


 確かにそんな事があった。クルトが街を巡回している時、兄妹の財布を取った賊とばったり会った。賊は必死で城下町を逃げ回り、しかも共犯があり、一対二でも結局クルトに負けて捕まれた。


「エモン、呼び捨てでいいだろう、同じ騎士団なんだし」


 エモンはさらに尊敬の眼差しでクルトの話を遮った。


「どんでもない! あの日クルトさんの剣を見て感動した、弟子にしてください」

「無理だ、弟子は取らない。そもそもなぜここにいる」


 普通なら詮索はしないが、今は暇なので、一応聞いてみた。この速度のままじゃ、いつ魔城にたどり着くか。


 エモンは少し歯切れの悪い様子で答えた。


「母親の薬代を稼ぐためなんです。狩りをするより、兵士をやるほうが早いかも、と思って」

「無茶だな。剣は使えたか」


 兵士としての報酬はもちろん狩りより多いが、兵士のスキルと狩人のは全然違う。


 狩人は速度あるいは根性勝負、兵士は場合によっては守りに徹する時もある、任務を放って逃げ出すことができない。脱走兵となれば話は別だが。


「一応できるけど、そこまで上手くないんですよ。クルトさんの剣をもう一度見たかったです」

「残念。今日は偵察だ、剣技をみるチャンスなどない」

「ですよね……」


 エモンは明らかに落胆した。


「まぁ、ここの報酬も多いし、案外お母さんの病気もなんとかなりそうだな」

「ええ、頑張ります!」


 慰め言葉を聞いてとすぐに笑みを浮かぶ。わかりやすい人だ、と彼は思った。


「まぁ、ガンバレよ」


 クルトはエモンの肩を軽く叩いた。彼らしくない明るい声で。


 他の兵士はびっくりするような顔をクルトを見た。全然らしくない行動だと、クルトも思った。


 でも、家族のために頑張るような連中を応援しない道理はないだろう。解決する意志すら見せない連中よりはマシだ。


 気づかないうちに、一面の森に囲まれた。森というより、山道で無作為に植木を放り込む感じだ。リアスで見た木よりも生き生きしていて、むしろ、山道を呑みこまれそうな勢いだ。


 夏のせいかもしれないが、木ってそこまで生えるものなのか。くだらないことを考えるうちに、城が見えた。


 遠目には灰色な城しか見えないが、正面で見ても、やはりぼろぼろな城だ。外壁が崩れており、城の中身までは見えないが、いつ倒れてもおかしくない。


 城の後ろに、大樹が見えた。


 まるで城を食い入るように、縛りつくように、根を走らせていた。芸術的とまでは言えないが、このギリギリのバランスは時をかける奇跡のようで。クルトもまた見入った。


 城についた途端、ハンスは声を上げた。


「いいか、今回は偵察だ。ムダの争いは避けたまえ」


 ハンスはそう言いながら、神父を見た。こんな時でもご機嫌取りか。


「今回はアダラン家のノラン様と、ホロン家のアイヴァン様を迎え、おなじみのエディミア教のシモン神父も今回の偵察に参加することになった。くれぐれも失礼がないように」


 ご機嫌取りの演説はたらたらと続いた。あとは偵察の説明だ。兵士たちは三チームに分かれ、それぞれ別の場所を探索する。


 クルトはほか四名の兵士と共に魔城の東を捜査。そのチーム分けに皆が不満げにクルトを見た、一人を除いて。エモンだ。


 その他三名を見て、どうせまたハンスの子分か何かだろうと、なにも訊かずに前を進めた。


「また同じチームで、よかったです」


 エモンのそのニコニコ顔はまるで子供のように、『クルトさんと別れたくないです』なんか言い出そうだ。


「喜ぶのが早すぎるだろう」


 クルトが城に入る刹那。なにかを聞こえた。切羽詰まった少女の声だ。


「——来ないで!」


 どれだけ周りを探しても、少女の姿が見えない。なにかあったのか、危険を感じた彼は、思わず剣を取ろうとした。


 近くの兵士を見てもなんの反応もなかった。一番わかりやすいエモンですら、変化はなかった。


 気のせいなのか。それとも幻聴なのか。クルトは疑問を拭えないまま、城に踏み入った。

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