龍宿りし乙女

村井喜久

第1話 シュタイン王国

 ここゴルトベルクは大陸の北西で600年にわたって続く、シュタイン王国の王都である。

 「北の華」と称される白亜の美しい城を中心に、地方の領主である貴族が住む館が立ち並び、その周りを職人や商人が暮らす街区が取り囲み、最外周には堅固な城壁がそびえ立つ。


 現在の「北の華」の主はヴィンター王太后。先の国王フリードリヒ4世の母であり、現国王カール3世の祖母に当たる。先王フリードリヒ4世が即位の3年後に暗殺者の凶刃に倒れた際、ヴィンター王太后は当時まだ5歳の子どもに過ぎなかったカール3世を王として即位させ、自らその摂政の地位に就き、政務と軍務を掌握した。


 フリードリヒ4世の王妃だったアンネは、実父であるリンツ侯爵がフリードリヒ4世の暗殺の首謀者として処刑されたことに連座して、魔法で視力を奪われた後、王都の西に広がる森の奥に建てられた牢獄の塔に幽閉されている。


 現国王のカール3世はアンネ王妃の血は引いておらず、フリードリヒ4世が王太子時代に恋をした下級貴族の娘に産ませた子と言われているが、生後間もなく王宮に引き取られ、フリードリヒ4世とアンネの息子として育てられていた。かりそめとはいえ、現国王の母という立場もあり、アンネは罪を減じられ、命を奪われずに幽閉されることになった。しかし、王妃の栄華だけでなく、光と自由を失って命を長らえるよりも、一族と共に滅びた方が幸せだったかもしれない。


 ヴィンター皇太后は現在58歳。王族の流れを汲むハルシュタット公爵家の出身で、18歳で先王の父である国王カール2世に嫁ぎ、先王フリードリヒ4世を含めて一男二女をもうけた。

 二人の娘のうち、長女のアマーリエは隣国グラーツ王国の王太子妃であり、次女のクリスティーネは有力な軍事貴族であるアルテンシュタット辺境伯に降嫁している。


 辺境伯は国境地帯に領地を有し、隣国からの侵略を防ぐ役割を与えられていることから、他の貴族よりも強力な軍事力を持つことを許されており、侯爵に匹敵する力を持っており、この結婚は明らかに王家の軍事力を高めるための政略結婚であった。


 元来、シュタイン王国の上級貴族は、3人の公爵と5人の侯爵、4人の辺境伯を含む10人の伯爵からなっており、それに次いで有力貴族の子弟を含む約30人の子爵や一代貴族を含めた数十人の男爵がいる。

 現在はリンツ侯爵家が断絶し、空位となっていることから、いずれ王族を妻に娶ったアルテンシュタット辺境伯が侯爵に叙されるものと目されている。


 アルテンシュタット辺境伯爵家の当主ヨーゼフは、軍事貴族とは思えぬ穏やかな雰囲気の美丈夫で、見事な銀髪を長く伸ばしている。この国では、男性が髪を長く伸ばすことは珍しく、王宮に集う貴族の中でも異彩を放つ。


 現在は隣国との国境紛争もなく、麾下の騎士団は専ら領地で害を為す魔物の討伐が主な任務となっており、領地に滞在している際にはヨーゼフ自身が指揮を執ることも多い。

 騎士団の闘い方は一言で言えば勇猛果敢。精強を誇る4人の辺境伯の麾下にある騎士団の中でもその進軍の速さと突撃の苛烈さは群を抜いている。

 ヨーゼフ自身は戦陣にあって自ら剣を振るうことは少ないが的確な状況判断と統率の取れた指揮により、騎士団の能力を存分に発揮させており、当代一の戦上手との呼び声も高い。


 辺境伯は、強大な軍事力を持つことから、妻子を領地ではなく、王都に住まわせることとされている。ようするに、辺境伯が叛旗を翻すことを防ぐための人質である。

 領主たる辺境伯自身は領地と王都とを往き来することとなることから、領地に側室を置くことも多いが、ヨーゼフは側室を持っていない。口さがない宮廷雀たちは、クリスティーネの母である王太后が怖いのだろう、戦上手の辺境伯も奥方には逆らえない、などと噂話に華を咲かせている。

 実際のところは、ヨーゼフと妻クリスティーネの仲睦まじさは王宮でも評判で、特に長女のヒルデガルトが産まれてからは、遠くアルテンシュタットの領地から頻繁に王都に戻ってくるようになった。


 無論、領地経営をおろそかにしている訳ではない。特産の綿の栽培や隣国との交易に力を入れ、その収益で学校や療養所などを建設するだけだなく、王都さらには隣国からも優秀な魔導師や職人頭、治癒術師、薬師らを招いている。このため、領民の識字率は王国の中でも最も高く、様々な道具や魔術が日常生活を豊かなものにしている。

 中でも領都アルテンシュタットの魔導学院は王都の学院に次ぐ規模を誇る。王都の学院と大きく異なるのは、薪への着火や水の生成、照明などの生活魔法と呼ばれる簡易な魔法の習得について領民にも広く門戸を開いていることである。

 弱い魔力しか持たない庶民でも使えるように生活魔法の改良研究を行い、領民への普及を図っていることは、魔術を独占することを特権とし、魔術の力を誇示することで領民を支配する他の多くの貴族と一線を画している。


 そんなアルテンシュタット辺境伯ヨーゼフは、今年の春の訪れを告げる聖フリューゲルの日の前に王都に赴くべく、領地を後にしていた。

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