第二幕 気心が知れているからこそ


 俺はあぐらを崩したような楽な姿勢で地べたに座り、虚ろな瞳で路地の先を見つめていた。


 ボロを羽織っただけのような服に土埃で汚れたボサボサの髪と肌、顔の半分を覆う隠者のようなヒゲ。体を動かすことはほとんどない。こんななりをしていれば、傍目には俺が十七歳だとは誰も思わないだろう。


「……どうか……お恵みを……っ」


 俺は涙を滲ませ、前を通りがかった冒険者風の四人組に向かって弱々しく声をかけた。


 すると彼らのうちのひとり――無骨なプレートメイルで身を包んだ戦士らしき青年が、チラリとこちらへ視線を向けてくる。そして哀れむような瞳で俺を一瞥すると、銅貨一枚を放り投げてくる。


 もっとも、それっきり彼らは立ち止まることも振り向くこともなく、そのまますぐにどこかへ行ってしまう。特に気に留めるような様子はない。


 一方、俺はウミウシのようなゆったりとした動きで手を伸ばし、地面に伏している銅貨を拾い上げた。それを懐へ収めたあとは、再び誰かが通りがかるのをひたすら待つ。


 ――そう、俺は港湾都市フォルスの片隅で物乞いをしているのだ。





 ネズミや害虫どもが我が物顔で這いずり回る路地。建物の壁は全体が黒ずみ、周囲にはツンとするような異臭が漂っている。この場で無垢さを感じるものといえば、フォルス港の方から吹いてくる心地よい海風と澄んだ青空くらいか。


 どんな町にも貧困層が暮らしている地域はあって、ここもそのうちのひとつ。そして細かな違いはあれど、そうした地域の景色はどこも似通っている。



 良く言えば自由、悪く言えば無法地帯――。



 何が起こっても不思議じゃないし、いつトラブルに巻き込まれるかも分からない。常に死や暴力、流行病、犯罪といった恐怖が付きまとってくる。それが身近な存在というか、ここではそれを受け入れないと暮らしてなんかいけない。


 まさに人間社会のどん底の、さらに行き着く果てみたいなもの。ひょっとすると地獄の方が気楽で快適に過ごせるかもしれない――そんな感じだ。まぁ、俺はまだ地獄に行ったことがないから、想像上での比較になってしまうが。


 でも慣れてしまえば、どんな場所でも意外に居心地がいいものだ。住めば都。実際、住んでいる連中の多くはそれなりに楽しくやっている。


 そもそも自分の身に降りかかる全ての災厄を回避できるヤツなんてこの世にいないわけだし、その時はその時だ。だからビクビクしたってしょうがない。


 ――それに七年前まで奴隷生活をしていた俺から見れば、町に住んでいるってだけで天国みたいなもんだと思う。


「さて、そろそろ潮時か……」


 太陽が水平線に沈み、空に漆黒の闇が広がり始めた。見上げれば、いくつかの明るい星はすでに力強く自己主張をしている。


 もちろん、この暗さであれば夜目が利く俺にとってはまだ全く気にならない。だが、普通の人間にとっては、これでも視覚がかなり制限されてしまうレベルらしい。事実、周囲の建物の中ではランプだかロウソクだかの光が点り、陽炎のように揺らめいている。


 こうなってしまうと人通りは激減し、物乞いは商売あがったりだ。こんな闇夜の貧困街を、見ず知らずの小汚い物乞いにカネを恵んでくれるようなお人好しが歩いているはずもない。


 もしそういうヤツがいたとしても、それは相当な変わり者だろう。頭のネジが何本か吹っ飛んでしまっているに決まっている。少なくともマトモな感覚の持ち主とは思えない。そんなのと関わるのはこっちからご免こうむりたい。


 ……ま、そこそこのカネが集まったし、今日はこんなところだろう。


 俺は今日の仕事を上がることにした。ゆっくりと立ち上がり、右足を引き摺りながら少しずつ前進。時折、立ち止まって建物の壁に手をつき、休憩も挟む。時間をかけて、暗闇の支配する路地の奥へ歩いていく。


「……ん?」


 そうやってしばらく進んだころ、不意に前方に不自然な気配が現れるのを俺は感じ取る。


 こちらからは死角となっている場所――曲がり角の向こうに潜んで、俺の様子をうかがっている感じ。もっとも、ソイツはうまく隠れているつもりなんだろうが、存在感を消し切れていない。いくつもの死線をくぐり抜けてきた俺にはバレバレだ。




 …………。


 っていうか、これは……。


 俺はこれとよく似たシチュエーションにウンザリするほど繰り返し遭遇している。つまり相手は――。


 事態を察した俺は思わず頭が痛くなり、深いため息も漏れる。


「……さっさと出てこい、ルナ」


 そう問いかけた直後、苦笑を浮かべながら姿を現したのは同じ盗賊ギルドに所属しているルナだった。


 ルナは健康的な印象を受ける小麦色の肌に活き活きとした大きい目が特徴で、動きやすそうな純白のシャツと青系の色の短パンを身につけている。目鼻立ちは通っていて、ルックスはそこそこの美形。


 ただ、ベリーショートの黒髪や低めの身長、さらに胸の発育具合が寂しいということもあって、傍目には少年に間違えられやすいのが常となっている。なにより俺も出会って数か月くらいの間は男だと思っていたくらいだからな。


 まぁ、ちょっとしたアクシデントがあって……その時に女だと分かったわけだけど……。


 ちなみにそういった外見上のことについて言及すると、問答無用で電光石火かつ重い拳が顔面に向かって飛んでくるから注意が必要だ。


 何も知らずに口を滑らせ、鼻の骨が折れたり前歯が折れたり失神したり、とにかく被害に遭ったヤツは数知れず――。


 もう少しお淑やかなら言い寄る男も絶えないんだろうがな……。


 また、ルナは俺と同い年で、盗賊ギルドの一員になった時期もほぼ同じ。しかもギルドマスターであるお頭――ダルフに引き取られたという境遇まで共通している。


 つまりなんというか、切磋琢磨して盗賊シーフ技能スキルを学んできた同期であり、一緒に育ってきた幼馴染みみたいな間柄だ。


「――あーあ、バレちゃってたかぁ。気配を消してたつもりだったんだけどなぁ。さすがバラッタだね」


 テヘヘと笑い、ペロッと軽く舌を出すルナ。存在が即バレしたことを反省する様子も、落ち込んでいる様子もない。お気楽であっけらかん。気配を消すというのは、盗賊技能の基本中の基本だってのに……。


 ゆえに俺はそんなルナを見て呆れてしまう。


 確かに格闘術だけは俺よりも上だが、それ以外の盗賊技能は圧倒的に落第レベル。トラップ外しに至っては見習い以下の腕だ。だからギルドで割り当てられる仕事の種類も限られているし、このままだと追い出されるんじゃないだろうか?


 傭兵や兵士、冒険者なんかの方がよっぽど向いているような気がする。ま、資質があるからってその道で生きていけるかは別問題ではあるけどな……。


「ったく、あれで隠れてたつもりか? バレバレなんだよ。それに二、三日に一度は同じことをしやがって。相手するのがメンドいから、いい加減にやめろって何度言えば分かるんだよ?」


「いいじゃん、これくらい。それよりいつまで物乞いの真似してんの? もう誰も見てないんだから、いつものバラッタに戻ったら? そんな歩き方だとギルドへ上がりを収めに行くのに、時間かかっちゃうよ。さっさとギルドへ戻って、一緒に晩ご飯食べに行こっ?」




 …………。


 今のルナの言葉に明らかな違和感を覚えた俺は、即答せずに少し考え込んだ。ただ、相手に不審がられないよう、あくまでも食事の誘いに乗るかどうかを迷っている感じを装う。


 ――確かに俺は今、物乞いの真似をしている。ただし、それは盗賊ギルドから請け負っている『仕事』としてだ。


 物乞いはそこにいても道ばたの石ころみたいなものとして、誰も気に留めない。だからこそ、重要な情報を無警戒に喋ってしまうバカもたまにいる。つまり物乞いは様々な情報収集をするのに都合がいいのだ。


 それにカネを恵んでくれるヤツの一人ひとりの額は微々たるものでも、その全てを合わせると意外に高額な収入となる。


 それらの理由から、物乞いの真似をするのはギルドの大切な仕事のひとつとなっている。当然、俺はそれに誇りを持って臨んでいるし、ルナだってそのことを理解しているはずだ。


 …………。


 やはり何度考え直してみてもおかしい。となると、そういうことか……。



 ようやく全てを理解した俺ははらわたが煮えくり返る想いを必死に堪え、一計を案じることにする。


「そうだな、さっさと飯を食いに行こう。でもその前に『別の仕事』を済ませないといけないんだ。お前も手伝ってくれると、早く終わって助かるんだが?」


 俺は相手の話に乗る形で、こちらからも提案をした。もちろん、そこには深い意味を忍ばせて……。


 一方、何も気付いていない様子の『そいつ』は露骨に不満げな声を上げる。


「えぇーっ? あたしも手伝わなきゃいけないのぉ?」


「ちょっとくらいいいだろ?」


「うーん、だったら交換条件。ご飯、奢ってくれるんなら手伝ってあげる!」


「やれやれ、しっかりしてんな……。ま、いっか。それくらいは面倒見てやるよ。んじゃ、早速なんだが、こっちを向いたままその壁際に立ってバンザイしてくれ」


 俺は路地に面した民家の壁を真顔で指差した。


 それは何の変哲もない、どこにでもある白壁。表面に経年による汚れが少しある程度で、ひび割れや目立った凹凸はない。


 当然ながら『そいつ』は、その意味不明な指示に口をポカンと開けたまま棒立ちしている。


「はぁっ!? 何それっ?」


「文句を言うな。それが仕事に関係あるんだよ。飯、奢ってほしいんならさっさとやれ」


「……しょうがないなぁ。でも変なことしないでよね? 殺すよ?」


 口を尖らせつつも『そいつ』は俺の指示通りに動いた。


 直後、俺は一気に踏み込んで瞬時に間合いを詰め、無防備状態の相手の腹に右の拳を繰り出す。全力を込めた渾身の一撃! さらに間髪を入れず第二撃、第三撃を打ち込んでいく。


 当然、ヤツは背中が壁に付いているため、後ろへ体を退いてダメージを軽減することは不可能な状態。俺の腕の筋肉は雄々しく躍動し、出しうる最大限の衝撃力を発揮する。


「がはぁっ!」


 そのまま『そいつ』は白目をむきながら、ズルズルと壁に沿って地面へ崩れ落ちた。その直後、体全体が銀色の光に包まれ、瞬時にそれはシャボン玉が弾けるように消滅する。


 俺が冷たく見下ろすその先で失神しているのは、小汚い風体の中年男。ルナとは似ても似つかない。おそらく変身魔法か魔法薬でも使ってルナに化けていたのだろう。


 ……この男、本当に舐めた真似をしやがる。未だに腹立たしくてイライラが収まらない。


 ルナの姿に化けたことはもちろん、盗賊である俺を騙そうとしたことが許せない。なぜなら変装は盗賊の十八番でもあるわけで、つまり俺は真贋を見抜けない未熟者だと見くびられたに等しいのだ。ゆえに無意識のうちにこの男の胴体にあらためて蹴りを入れてしまっている。


「……手間かけさせやがって。『別の仕事』ってのは、テメェを捕まえてギルドへ連れていくことだよ。ボケが! 約束通り、飯は奢ってやる。臭い飯をギルドの座敷牢の中でな」


「……ぁ……ぐ……」


「残念だったな。いくら外見や内面を似せたとしても、完全に誤魔化すのは難しい。喋ったり行動したりすればするほどボロが出るもんだ。俺を殺りたければもっと完璧に仕事をしろ。未熟な暗殺者アサッシンめ。テメェはド素人か? うちのギルドの新入りだって、もう少しうまくやるぞッ?」


「――バラッタ!」


 俺が暗殺者を罵倒していた時のこと、ギルドのある方角からルナが全力疾走で向かってくるのが見えた。まるでこの世の終わりでも告げられたかのように、血相を変えて激しく息を切らせている。


 でもコイツも偽物という可能性があるから、まだ油断は出来ない。足下で泡を吹いているのはダミーで、あとからやってくるのが本命の暗殺者という二段構えの作戦も充分にありえる。同業者の俺としては、それくらい緻密な作戦であってほしいとは思うが。



 とりあえず鎌をかけてみるか……。



 俺は何事もなかったかのように、いつもと変わらぬ戯けた調子でルナに声をかける。


「どうした、ルナ? そんなに血相を変えて走ってきて。寝小便がみんなにバレたから庇ってほしいって相談か? まったく、十七歳にもなって恥ずかしいヤツだな」


「……はいはい、寝言は寝て言ってね。それとも普段からそういう妄想でもしてんの? そっち系の趣味があるわけ? やだやだ、キモい。変態。ムッツリスケベ。クズ」


 特に怒ったり呆れたり拒否反応を示したりといったことはなく、淡々と俺に対しての罵詈雑言を吐き出すルナ。涼しい顔で、まるで街中にある立て札や看板の文章でも読んでいるかのようにスラスラと汚い言葉が出てくる。今のところ不自然な点はない。


 それなら次は確実に判断できる言葉を投げかけてみることにする。


「ふっ、妄想しようにも色気ゼロのその体型じゃ――」


 俺が鼻で笑いながら喋っていると、ルナは瞬時に敵意と殺意を膨れあがらせ、有無を言わさず重く鋭い右拳を俺の顔面に繰り出してくる。タカのような鋭い目付きと俺への憎悪。遠慮も躊躇もあったもんじゃない。本気で殺しにかかってきてる。


 でもそれは長い付き合いの中で、星の数ほど見てきた動き――。


 攻撃に入るタイミングや軌道、動きのクセ、呼吸など、俺には何もかも完璧に分かっている。不意を衝かれない限り、食らうわけがない。


 俺は左の外側へステップして一撃目を避け、直後に繰り出してきた中段回し蹴りは両手でその足を掴んで受け止めた。さらに今度はこちらから反撃に出て、掴んだ足をそのまま持ち上げて相手の体勢を崩そうとするが、ルナは自ら後方宙返りをして距離を取ってそれをさせない。


 こうしてお互いが間合いから離れた位置で、身構えたまま対峙する。


「ルナ、動きが少し鈍ったんじゃないか? ククク、もしかして太ったか?」


「……チッ、バラッタなんて死ねばいいのにッ!」


 ルナは苦虫を噛み潰したような顔をしてそっぽを向いてしまった。


 その姿を見た瞬間、俺の中にあった全ての憂いが瞬時に吹き飛ぶ。脳内に渦巻いていた霧が一気に晴れて、澄み切った青空が広がったような感覚。ホッとするというか、緊張の糸が秒速で緩んでいく。


 すると途端に笑いがこみ上げてきて、思わず構えを解いて吹き出してしまう。


「ぷっ! あはははははっ! そうそうっ! ルナはそうでなくっちゃな! どうやらお前は本物みたいだなっ! 安心したぜっ!」


「えっ!? それってどういう意味っ?」


 眉を曇らせ、首を傾げるルナ。まだ状況が掴めていないらしい。


 俺は必死に笑いをかみ殺すと、足下で白目をむいている中年男の頭をつま先でコンコンと軽く蹴る。


「コイツが変身魔法でお前に化けて近付いてきたんだ。ご覧のように返り討ちにしてやったけどな」


「もしかしてあたしに成りすましてたのっ!?」


「まぁな。当然、俺はすぐに偽物だって気付いたけどな」


「……ふーん、あたしに化けるなんて、いい度胸してるおじさんねぇ~っ♪ あたしもコイツをぶん殴っていーい?」


 満面に笑みを浮かべながら、ルナは未だ意識がもうろうとしている中年男に歩み寄った。そして胸ぐらを乱暴に掴んで無理矢理に起き上がらせると、即座にそいつの頬へ向かって拳を振り下ろす。



 その場に響く痛々しい打撃音――。



 中年男は後ろの壁へ勢いよく吹っ飛び、背中や後頭部を強打してそのままずり落ちた。グッタリとしていてもはや虫の息。一応、まだ指先がかすかに動いているから、天に召されてはいないようだが……。


「お前、俺がいいとかダメとか答える前に、すでにおっさんを殴ってるじゃねぇか……」


「細かいことは気にしな~いっ♪」


 ルナは実に晴れやかな表情。日頃のストレスも併せて発散させたような感じだ。それを見て俺はため息をつきつつ、頭を抱える。


 無抵抗の相手にここまでやるとは末恐ろしい。こんな調子じゃ、嫁のもらい手なんか絶対に現れないと思う。世界一のマゾでもさすがに拒否するんじゃないだろうか?


「暗殺者のおっさんもルナの振りをしたばっかりに、こんな目に遭って可哀想に」


「全然可哀想じゃないじゃん。自業自得ってヤツよ」


「だからってやり過ぎるなよ。ギルドに連れていって、詳しい事情を吐かせないといけないんだから。やるならそのあとにしろ」


「いいのいいの。すでにコイツ以外の一味は全員、捕まえてあるから」


「なんだとっ?」


 ルナの口からサラッと告げられた事実に、俺は小さく息を呑んだ。


 いったいどういうことなんだ? 俺の知らないところで何かが起きていたっていうのか?


 ルナは自分の腰に吊り下げていたロープの束を手に取り、手慣れた様子で中年男を縛りながら話を続ける。


「バラッタを暗殺しようとしてる連中が、フォルスの町に入ったってタレコミがあってね。手の空いているギルドのみんなで、先手を打って潜伏先へ乗り込んだんだ。でも実行犯だけはすでに殺りに出かけちゃったっていうから、それで慌ててバラッタに状況を伝えに来たの」


「そうだったのか……。あんなに血相を変えて駆けつけてくれるなんて、俺は嬉しいぜ~?」


 ニタニタと笑いながら戯けるように俺が言うと、ルナは小さく息を呑んで頬を真っ赤にしながら口を尖らせる。


「なっ!? バ、バカ! 心配なんかしてないもんっ! 仕事だから仕方なく来ただけだしっ!」


「……ありがとな、ルナ」


「っ!?」


「嬉しい気持ちはマジだから。それは誤解しないでくれよな」


 俺は神妙な面持ちでルナの頭をポンと軽く叩いた。柔らかくて手触りのよいサラサラの髪の感触と良い匂いが彼女の方からほのかに伝わってくる。


 やはりふざけるだけじゃなくて、伝えるべき気持ちはきちんと伝えておかないといけない。相手が大切な家族ならなおさらだ。


 もちろんルナだけじゃなく、ギルドのメンバーはみんな大切な家族。だからこそちょっとしたケンカだってするし、憎まれ口も叩く。


 でも心の奥底にある絆は、なによりも強い。お互いに相手のことを大切に想ってる。今回のことだって、もし俺とルナが逆の立場だったとしても、俺はルナと同じように行動したと言い切れる。


 盗賊はいつ命を落としてもおかしくない商売だ。突然、別れが訪れるとも限らない。だから本当の気持ちを伝えないままでいると、悔いが残ってしまうことになる。


 そうならないためにも、きちんと素直な気持ちを伝えるというのがうちのギルドの暗黙のルールなのだ。ルナもそれが分かっているからこそ、今度は照れくさそうに微笑みながら素直に首を縦に振る。


「ふふっ、どういたしましてっ!」


「それにしても危険を冒してまで俺の命を狙うなんて、酔狂なヤツらもいるもんだ。俺みたいな小物よりお頭みたいな大物を狙わないと割に合わないだろうに」


「酔狂なんかじゃないよ。うちのギルドの若手では、バラッタは一番の有望株だもん。ほかの盗賊派閥シンジケートから見たら、将来的に大きな障害となり得る存在だよ」


「そりゃ、買いかぶり過ぎってもんだ。それにそんな未来のことを気にするなんて、ご苦労なこった。世の中、明日がどうなるかも分からないってのに。特に俺たちみたいな稼業はな」


「あははっ、バラッタは何があっても最後まで生き残るような気がする。ゴキブリみたいにしぶといもんね」


「……っ? それって褒めてるのか? 貶してるのか?」


「あっははははははッ! さぁねっ♪ ――それじゃ、このゴミはあたしがギルドへ連れていくから」


「あぁ、任せた!」


 俺が力強く返事をすると、ルナは軽く首を縦に振った。そして縛り上げた中年男を担ぎ上げようと、腰をかがめる。


 だが、中年男に手が触れようかという時、なぜかピクリと動きを止めてこちらに向き直る。


「そういえば、バラッタはコイツが偽物だってすぐに見破れたんだよね?」


「当たり前だ。俺がお前と偽物を間違えるワケねーだろ」


「……そっか。あははっ、そっかぁっ♪」


 ルナは頬を赤らめながら穏やかに微笑んだ。そこには屈託がなく、華やかで親しみを溢れさせている。その瞬間、不覚にもほんのちょっぴりだけ愛おしさを感じて、俺はわずかにドキッとしてしまった。


 そういえば最近、ルナはふとした時に大人びた雰囲気を見せることが増えたような気がする。たまたまなのか、俺の意識が変わったのか、それとも彼女自身が成長している表われなのか。理由は分からんが、ま、いっか……。


「親しいヤツに変装して近付くのは、相手の油断を衝きやすいってメリットはある。だが、親しいだけにちょっとしたことで偽物だとバレるリスクも大きいんだよ。いつも付き合ってるだけに、違和感に気付きやすいだろ?」


「あー、なるほどねぇ。それはあたしにも分かるっ」


「要するに諸刃の剣さ。もし俺が変装してターゲットを殺る立場なら、適度に親しいくらいの距離感の人物を選択する。その方が確実性は高いからな。ま、それはそれで近付くための環境作りが必要になるが」


「ふふ、勉強になりますっ! いずれにしても、あたしは嬉しいよ。コイツが成りすましの偽物だって、ちゃんと見抜いてくれて……」


「なんだ、俺に惚れたか?」


「んなっ! バババ、バッカじゃないのっ!? そんなのありえないしっ!」


 やけに狼狽えながら、ルナはそっぽを向いてしまった。


 ちょっとした冗談なんだから、あそこまで落ち着きをなくす必要なんてないのに。まさか本当に俺に気があるワケじゃないよな? それはありえないよな。


「偽物かどうかを見抜くなんて簡単なことさ。細かな違和感に気付けばいいだけだからな」


「あたしは自信ないな。……あ、で、でもバラッタの偽物なら……見抜く自信がある……かも」


「そうなのか? じゃ、飯でも食いながらその話を聞かせてもらおうかな。ギルドに戻るのは後回しにして、今すぐそこらの酒場にでも行こうぜ」


「っ!」


 俺の言葉を聞いた途端、ルナは目を大きく見開き、反射的に俺と距離を取って身構えた。そして当惑するような表情でこちらの様子をうかがっている。



 今回も予想通りの反応――。



 盗賊の端くれならもう少し動揺を隠せよとは思うけど、そういう不完全なところも含めて目の前にいるのは本物のルナだと確信が持てる。


 むしろここで平然としているようなら、俺の方が警戒しなければならなくなる。


「どうした? なぜ俺と距離を取る?」


「……アンタ……本物のバラッタ……だよね? うん、外見も仕草も空気感も……本物……だと思うけど……」


「何か不自然さを感じたか? ま、偽物の見抜き方ってのは、そういうことだ。今回はギリギリ及第点といったところかな」


「はぁっ? どういうこと? 話が見えないんだけど?」


「今、ルナはなぜ警戒した? 安心しろ、今のはわざとやったことだ。俺は本物。もし信じられないなら、あの話をしてやろうか? 初めて俺たちふたりだけでギルドの仕事をし――」


「わぁああああぁーっ! その話はしなくていいからぁあああぁーっ! 分かったからっ、バラッタは本物っ! 今の瞬間に間違いないって確信したからっ!」


 俺の話を遮り、耳の奥が痛くなるくらいの大声でルナは叫んだ。しかも顔全体どころか耳まで真っ赤に染まって狼狽えている。


 その理由は、俺が話そうとしていることがルナにとって絶対にほじくり返されたくない過去だから。当然、それは俺とルナだけが知っている秘密であり、彼女にとっては恥ずかしい内容でもある。


 だから俺は思い出しただけでニヤニヤしてしまうのだが、可哀想なので口に出すのは勘弁しておいてやることにする。


「んじゃ、あらためて訊くが、お前が警戒した理由はなんだ?」


「あ……うん……。さっきの言葉が変だなって感じて。だってバラッタが仕事を途中で投げ出すワケないから。例え誰も見てなかったとしても、ギルドを出てから戻るまでは物乞いとして振る舞うはずだし。アンタって普段はいい加減なくせに、盗賊の仕事に関してだけは頑固なまでにキッチリしてるもんね。そういう変なこだわりがあんのよね」


「ご明察! 俺がルナの偽物に気付いたのも同じような理由だ。このオッサンは『物乞いの振りなんかやめて、急いでギルドへ戻ろう』なんて言いやがった。本物のルナなら絶対に言わないセリフだよ」


「ふーん――って、えっ!? それであたしの偽物だって気がついたのっ?」


 ルナは目を白黒させながら素っ頓狂な声を上げた。


 なぜそんなに驚いているのか、俺には理解できない。だから訝しげに思いつつも、小さく頷く。


「そうだが、何かおかしいか?」


「外見とか仕草とかで気付いたんじゃなくて?」


「はぁっ? 何を言ってるんだ、お前? 変身魔法を使ってるのに、外見で見分けがつくわけないだろ。仕草に関してはあんまり気にしたことねーし。普段からジロジロ見てるんなら別だが」


「っっっっっ! 確かにアンタは本物のバラッタねっ! そういう空気が読めないところとか、昔から全ッ然変わってないしっ! このバカッ!」


 急にルナは頭から湯気を上げ、敵意むき出しの血走った目で俺を睨み付けてきた。まるで怨念でも込められているんじゃないかという迫力。このままだと呪われてしまいそうな気さえする。実際、目が合った瞬間に悪寒が走ったくらいだ。


 これ以上ヘタに刺激をしようものなら、我を忘れて攻撃されかねない。さすがにその状態になると、動きの予測がつかなくて俺でも手に負えなくなる。



 ……でもこれほど激高するなんて、何が気に障ったんだ?


「な、なんでそんなに怒ってるんだよ?」


「話しかけんなっ! くそッ、アンタなんかこの暗殺者に殺されちゃえば良かったんだ!」


「おいおい……」


「あ゛ぁあああぁーっ、もうっ! イライラするッ!! こうなったらコイツをボコボコにして、憂さ晴らししてやるんだからっ!」


 そう言いつつ、ルナはロープでグルグル巻きになっている中年男の腹の部分へ何回か蹴りを入れた。今回に関しては、この男は完全にとばっちり――だと思う。なんというか、運が悪かったなとしか言いようがない。


 その後、ルナは周囲に殺気を振りまきながら、中年男を引き摺るようにしてギルドの方へ行ってしまったのだった。



(つづく……)

 

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