第36話 人間振り子②

 人は、どんな時に恐怖を感じるだろうか?

 この地球上で、もっとも人間を殺している生物は〝蚊〟だ。毎年、七二五〇〇〇人もの人が殺されている。


 ──だが、蚊を見た時に恐怖を感じるだろうか?

 

 その次に、人を殺しているのは〝人〟だ。

 死者数は、四七五〇〇〇人。

 道端ですれ違う人や蚊に対して、恐怖を感じる事はごく稀だと思う。


 そんな実績よりも、


 人が怖いと恐怖するモノは、自分と考えが違うもの、または自分が理解できない存在。


 肌の色や目の色、文化、信じている信仰、親の教育方針、イデオロギーや、若い人間と言う事から、老いた人間だったり、信念に相反するモノだったり。

 

 自分が、コントロールできないモノを怖がる。

 人は実態よりも、目に見えないモノが怖い。


 ──しかし、コントロールできるモノなんて本当はあるのだろうか?


 いつだか、お市が言っていた事を思い出す。

 本当は、自分自身ですらコントロールできないと。


 だから、感情的になる。

 だから、寂しくなる。

 だから、悲しくなる。

 だから、怖くなる。


 コントロールできると言う勘違いで、人は生きている。本当は、安心なんかないのか生きている限り訪れないのかもしれない。

 兄弟、姉妹、子供であろうと、親であろうと、理解できないと思った瞬間に、恐怖が生まれる。


 コントロールができるというのは、全部勘違いであって、本当に怖いモノは、勘違いを勘違いだったと認めてしまう事だったり。


 俺たち人間は、勘違いを概念に変えているだけなのかもしれない……。


 かつて、天動説が信じられていた時代に地動説を唱え、異端審問にかけられた哲学者がいた。

 世界は、天動説を貫きたいがために真実を語るその者を迫害し、晒し、火炙りの刑に処した。


 ──彼は、死ぬ間際にこう言った。


「私よりも宣告を申し渡したあなたたちの方が真理の前に恐怖に震えているじゃないか」

  by.ジョルダーノ・ブルーノ


 幻想で塗り固められた世界は、真実に恐怖し、紙切れのように燃やした。


 ◇◇◇◇◇◇


 ゴツン、ゴツン、ゴツン──


 音話の揺れは、次第に激しく、どんどん大きくなる。


「お、おい! どうやって止めるんだ!?」

「音話っち、落ち着いて!!」


 テンパる俺たちを他所に、音話は「ゴメンナサイ」とだけ呟き続けながら、永遠に頭を激しく打ちつける。


 ──このままじゃ頭に深刻なダメージを負っちまう!!


 音話の後頭部が再び床に叩きつけれる前に、ヘッドスライディングで飛び込みダメージの軽減を図る。


 ドスンッ──。


 まるで軽自動車に撥ねられた様な、重い衝撃が背骨に響き渡り、体が反り上がる。


「──ぐはッ!?」

 

 むう言わさず音話の逆ヘッドバットが、振り子の力を借り、落石の如く降り注ぐ。


 一回、二回、三回──。


「國枝っちッ!」

 

 鈴蘭が、両腕で頭を庇いながら、身を挺して四度目の攻撃の間に飛び込んだ。


 ──バカッ!


「きゃッ!」


 ──ゴツン。


 鈍い音が響き、鈴蘭が倒れ込む。


「鈴蘭ッ!」

「渚ッ!」


 音話の前方で頭を守っていた望月は、鈴蘭が倒れ込む姿を見て守りを緩めたのが視界に入った。


「バカッ、望月ッ!」


 望月が、半腰に立ち上がろうとした瞬間。


 ──ゴッ!


「うッ……」


 側頭部に大きな岩でも落とされたかのように、そのまま望月も倒れ込んでしまった。


「望月ッ!!」


 望月と鈴蘭を守ろうと立ち上がろうと中腰になった、その刹那──。


 ──しまった!!


 音話の首は180度こちらにグルリ向いて、ニヤリとゾッとする不気味な笑みを浮かべ迫りくる。


 ゴツンッ──


 頭をバットで殴られたかのような、鈍い痛みが頭蓋骨に衝撃が走る。


「ぐあッ!?」


 視界はぐにゃぐにゃと揺れ、朧げになり、徐々に意識が遠いていく。手足が痺れ、力が抜けていくのがわかる。


 ──あ、やべぇ……。


 視界の下の方から、ゾワゾワと真っ暗闇が広がっていき、何も見えなくなった。

 

 頬にカーペットの感触を感じた。

 

 ◇◇◇◇◇◇


「──だっ──、く──ッち」


 声が途切れ途切れに聞こえてくる。

 体が、何かに揺らされている。

 瞼が重くて、開かない。


「國枝っち!」


 俺の名前を呼ぶ声の認識と共に、意識が覚醒し、体は、ビクンッ反応した。


「國枝っち、良かった!」


 起き上がりと同時に、後頭部に鋭い痛みが走った。


「──ッ」


 頭を抱え、その痛みの質を理解するとこれまでの出来事が、雪崩の様にドッと流れ込んでくる。


「はッ!? 鈴蘭、大丈夫か!?」


 鈴蘭の両肩を掴み、揺すりながら、彼女の負傷具合を確認する。


「えへへへ、私は大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。それより──」


 鈴蘭の視線の先を目で追うといるはずの望月姉妹の姿が、そこには無かった。

 ヒューと冷たい風が、部屋中に流れ込んでくる。

 どれだけの時間、この冷たい冷気に体を当てていたのだろうか? ブルッと体が身悶えした。


「望月は?」

「わからない……、どうしよう?」


 鈴蘭の俯いた表情からは、不安でいっぱいな心境が伝わってくる。

 時刻を確認すると二十三時二十分。

 あの音話の様子が、可笑しくなってから約三十分程経っていた。


 ──まずい……、状況が理解できない。


 胸騒ぎのままに望月の部屋から出ると、その直線上にある玄関のドアが開いていた。冷たい風はここから流れてこんでいたらしい。


「外に出たみたいね……」


 鈴蘭も部屋から顔を出し、状況を把握し始める。

 

 ──これまでの話を整理しねぇと……。

 

 夜な夜な音話が豹変する言う事、

「ごめんなさい」とひたすら謝り続ける事、

 そして、いったんから聞いた女僧伝説、

 その後も生贄の風習が続いた事、

 今はその村は、ダムの奥底に沈んでいる事、


「望月は確か……、夜な夜な、音話はダムに向かおうとすると言ってたよな?」

「うん」


 ──向かった先は、ダム? とりあえず宛はそこにしかない……。


「行くぞッ!」

「うんッ」

「あッ!」


 玄関の下駄箱の上に、大きな懐中電灯が置かれているのを見る。夜中の山中に街灯なんてもんはない。


 ──こいつを借りて行こう。


「鈴蘭、それ持っていってくれるか?」

「おっけ〜!」

 

 バイクに跨り、鈴蘭を後ろに乗せて、ダムに向かって走り出す。


「しっかり捕まっとけよ! 飛ばすぞッ!」

「イェッサー!!」


 夜の山道は危険だ。

 望月の家からダムまではバイクで三十分くらいだ。あいつらは、何で向かったんだ?

 

 街頭もない、こんな真っ暗闇な山道を女の子2人で歩くには危険すぎる。ましてや、音話は正常ではない。あの頭突きの馬力を考えると……、いくら望月とは言っても、簡単には抑えられないだろう。


 ──もし、揉み合ってもつれたり、踏み外したりしたら……。


 望月姉妹が、転落する映像が頭によぎる。

 サーッと血の気が引いていき、胸の奥底が真っ黒になって、ザワザワと胸が掻きむしられた。


「國枝っち?」


 鈴蘭の声で我に返る事ができた。

 俺はなんてネガティブな事を考えていたんだ……。今は運転に集中しよう。でなきゃ事故っちまう。


「あの怪異はなんの怪異? やっぱり栗八佐和ダム伝説の女僧かな?」


 鈴蘭の問いを丁度頭の中で考えていたところだった。


「だが、その女僧だとしたら何故謝る? 普通だったら恨み言を言わないか?」

「うん、だよね〜。私もそれ考えていたの……」


 ドゥルルル──、Vストロームのエンジン音が、夜の山道に鳴り響く。真っ暗闇な闇の中、心細い愛車のライトを頼りに走り抜ける。

 冷たい夜風が、体に突き刺さった。

 

 気のせいなのか、不安だからか、

 木々の隙間から視線を感じる。

 野生動物なのか?

 はたまた、そうじゃない何かか?


 ──望月、無事でいてくれよ!


 心の中のざわつきを必死で押さえ込み、ハンドルにつけたスマホの画面を見る。

 店も何もない、殺風景なマップが青く映し出されている。


 ──残り2キロ。


 山道の1キロは、平地の1キロとは違い、うねうねとカーブが多くなかなか進まない。

 同じ2キロであっても、時間がずっとかかる。


「もうちょっと!」


 ダムまで残り500メートルの看板を鈴蘭が、指差した。


「國枝っち、あれ!」


 鈴蘭の叫び声にブレーキをかけ、バイクを止める。


「あの折りたたみの自転車、夢見のだよッ!」


 道のど真ん中に、不自然に荒々しく、白い自転車が投げ捨てられていた。

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