絵本カフェ【尻尾屋】のおまかせランチ

ゆちば@「できそこないの魔女」漫画原作

(1)

「お店の名前――【尻尾屋しっぽや】の由来って、何なんですか?」


 新人アルバイトである私こと山科風香やましなふうかは、絵本棚を整理しながら、キッチンにいる夢園小太郎ゆめぞのこたろうに話しかける。


「犬や猫が大好きとか?」

「うーん? ユニコーンは大好きかな。ま、純潔の乙女じゃないから見たことないけど」


 一瞬ドン引きの顔をした私を見て、夢園は「くくく」と喉を鳴らして笑った。

 どうやら冗談だったらしいが、できればリアクションの取りにくい冗談はやめていただきたい。


 彼は、ここ――絵本カフェ【尻尾屋】の店長だ。

 古い町屋をお洒落な大正ロマン風に改装、世界各地の絵本を集め、料理の腕は一流という、絵本カフェの店長としては申し分ないスペックの持ち主だ。しかも端正な顔つきで、スタイルもいい。ゆるりと無造作に跳ねる髪も似合っているし、大人の余裕みたいなものも感じられる。

 だがしかし。

 口から出るほとんどの言葉がボケか冗談で構成されているのか、彼の痛い発言に私のメンタルはガリガリと削られている。

 つい先ほども、「バイト雇うのって半世紀ぶりだから、何から教えようかねぇ」という滑り気味のジョークを聞かされ、私は「店長、おいくつなんですか」と苦笑いする羽目になったのだ。


(鋭いツッコミ待ちだったら、すみません。でも、正直きつい……!)


 どう多めに見積もっても夢園店長は30代前半といったところだろう。25歳の私より、少し年上に見える程度だ。

 もしかして、絵本マニアをこじらせすぎて不思議ちゃんになってしまったのかもしれない。私だって、絵本の読み描きのために睡眠が取れていない時は、軽く幻影を見たりすることがあるのだから。うんうん、大いに有りうる。


(まぁ、生活費と画材代が稼げたらいいんだし。店長とは深く関わらなくてもいいよね……)


 私が心の中で、「ビジネスライク、ビジネスライク」と呪文のように繰り返し唱えていると――。


 うっかり身体が触れてしまったのか、私の手近にあった棚から一冊の絵本がパサリと床に落ちてしまった。

 あれ、ぎっしり詰まった絵本棚なのになと少しだけ違和感を感じつつも、私はその絵本を拾い上げる。

 屈んだ姿勢を起こすと、次の瞬間、目の前にキラッキラのドレスを纏った美女がいた。蜂蜜色の美しい髪をアップした、碧眼の外国人女性だ。


「へっ? い、いらっしゃいませ!」


 いったいいつの間に入って来たのか分からないが、きっとお客様だろうと判断した私は大慌てで頭を下げる。

 ものすごく気合いの入ったコスプレイヤーだろうか。美人は何をしても様になるから羨ましい。まるで、本物のプリンセスだ。


 そして私のうっとりとした視線と、ドレスの女性の少し戸惑った視線が重なり、沈黙が数秒間。

 もしや、日本語が分からないお客様なのではないかと思った私は、「うぇ、ウェルカム!」と挨拶をし直したのだが、それは無駄な心配だった。


「夢園さん! 私、家出して来たの!」


なんと流暢な日本語か。というか、家出少女ならぬ、家出プリンセスとはどういうことだ。


「お腹が空いたわ。この店員さんと話して時間を潰すから、ランチを早くお願い」


(流暢な日本語! ……っていうか、今なんて?)


 私が阿保みたいな顔をしていたのかもしれないが、キッチンで夢園店長が笑いを堪えていた。このお客様と顔見知りであるなら、助け舟くらい出してほしい。

だが、夢園店長は逆に「オーダー諸々承りました」と言うではないか。

 正直、プリンセスコスの美女客とのガールズトークは、しゃべり下手な私には荷が重い。

 私が「ちょっと待ってくれ」という思いを込めて、遠慮気味な表情を浮かべていると。


「大丈夫、大丈夫。山科さんも、それなりに知ってる人だよ」

「初対面のはずですけど……。えぇっ? そうですよね?」


 夢園店長が私の交友関係を知るはずがないのは当然のことなのだが、あまりにも断定的な発言だったために、一応ドレスの女性に確認を入れる。

 すると、彼女は自信ありげにデコルテに手を添えながら名乗ってくれた。


「私は貴女を知らないけど、貴女は知ってると思うわよ。私の名前はエラ」


(……誰?)


 存じ上げませんと言いそうになった私の口が開くよりも早く、彼女のぷるっぷるのピンクの唇から驚きの言葉が飛び出した。


「超絶不本意なあだ名は、『灰まみれのエラ』。『シンダーエラ』」

「シンダーエラ、シンダーエラ……。シンデレラ⁈」


 御名答、と言わんばかりに女性はドレスの裾を軽く持ち上げる。

 ドレスの中から姿を現したのは、かの有名な――。


(うそうそ? まさか、本物のガラスの靴が?)


 ところがどっこい。目に飛び込んできたのは、美しい刺繍が施された絹張りのヒールだった。


「あっ。今日はガラスの靴、履いてないんだった!」


(シンデレラって、ガラスの靴履いてないんだ)


 アルバイト初日。私は、混沌とした非現実の予感をひしひしと感じたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る