第1話 Awakening――1

 1:

(悪い夢――)

 そうぼんやり思えたのは、いつの間にか薄目を開けて、天井を眺めていたからだった。

 しばらくぼおっと天井を眺めていて、ここはどこなんだろうと、ようやく気が付く。

 外では朝日と一緒に、チュンチュン鳴く鳥の声が入ってくる。

(どこなんだろう、ここ……)

 視線をさまよわせ、布団の中で身じろいで、顔を横に向ける。人の顔があった。

(金色、ぼさぼさ、女の子……? 男の子?)

 思ったとおりのまま、金色ぼさぼさの髪に、女の子のようなきれいな顔立ちをした少年が眠っていた。

 女の子に見えるほどきれいな顔立ちをしていたが、その少年が男の子だと思えたのは……眉間に皺がよって難しい顔をしていたからだった。

(誰なんだろう?)

 じゃあ私は? 名前は?

(私も、誰なんだろう?)

 思いだせない。

「ううーん。母様」

 横で丸まったように眠っていた金髪の少年がうめいた。寝言のようだ。

 母様――母親――お母さん。

 小さくささやいてみた。

「どんな夢を見ているの?」

 まるで小動物かのようにわずかに動いて、寝言で返事がきた。

「もっと頭を、お撫でください……うれしゅうございます」

(可愛い)

 額に皺がよった寝顔から、一転して気持ちよさそうな顔に変わっていく。

 ガタン

 反対方向から、物がぶつかる音がした。見ると。

(また、知らない人)

 後頭部を抑えているのは、転寝していたところに背を預けていた壁に頭をぶつけてしまったのだろう。

「むう?」

 こちらに気が付いた。眼鏡をかけたその青年と目が合う。

 数秒見合ったところで、青年がぽつりと。

「ああ、おはよう」

「おはようございます」

 この青年も知らない人だった。聞いてみる。

「どなたですか?」

「うむ。葉山誠一郎だ」

 葉山誠一郎さん。じゃあ――

「こっちの子は?」

「羅シュウジだ」

 この金髪の男の子はシュウジ。

 それなら――

「私は誰なんでしょうか?」

 今度は、少し困ったような空気を出し始め、逡巡したあとで、誠一郎と名乗った青年が答えた。

「誰なのだろう?」

「私も分かりません」

「そうか」

 こっちは布団に入ったまま、誠一郎さんは座って顎に手を置いたまま、時間が固まってしまった。

 誠一郎さんがポツリと。

「……君は、苦労してきたのかもしれない」

「そうかもしれませんね」

 根拠は分からないけれども、私はどうやら苦労してきたのかもしれないらしい。

「ここは、どこですか?」

「ここは『ひなた時計』だ」

 さっぱりわからない。

 と、床を叩く音――足音が近づいてきた。

 こちらに近づいてきて、そのまま部屋の引き戸が開く。

「起きてたのか」

 現れたのは、亜麻色の髪を後頭部でくくった、誠一郎さんと同じくらいの年の瀬の青年だった。

「たった今起きて、自己紹介をしていたところだ」

 自己紹介とは言っても、名前を聞いただけだったが。

「そうかい。俺は凉平。鳥羽凉平だ。よろしく」

「よろしくお願いします」

 布団の中で会釈をして、彼にも聞いてみる。

「あの、私は誰なんでしょうか?」

 凉平さんと名乗った青年も、少し考え込んでから言ってきた。

「さあ? 誰なんだろうな?」

 この人にも分からないようだ。

「凉平邪魔だ。どけ」

 部屋の入り口で立ったままでいた凉平さんが、現れた片足で腰の辺りを蹴られて部屋に入ってくる。

(また増えた)

 未だ丸くなって横で寝ている金髪のシュウジさん。眼鏡の誠一郎さん。髪の長い凉平さん。

 そして、黒髪に温厚そうな優しい顔つきの人。

「あなたは、誰ですか?」

「ああ、僕は洸真麻人」

 麻人という青年が、土鍋を乗っけた盆を両手に持って入ってくる。

「食べるといい。味は保障するよ」

 優しい声音で言ってくると、彼は横に座って土鍋の中を見せてくれた。

 土鍋の蓋を開けると、白い湯気が開いたように。そして綺麗なおかゆが入っていた。

 視界の端では、凉平さんが寝ているシュウジの頭を引っぱたいて起こしている。

「おら、起きろチビ助」

「ふあ? あ、何? なんだよ?」

「寝ぼけるな」

 またシュウジさんの頭を引っぱたいて叩き起こす凉平さん。

「痛ってえなてめえ!」

 シュウジさんが反撃で、凉平さんの顎を殴り上げた。

「ぼやぼや寝こけてるからだろ!」

「殴るな!」

 喧嘩を始めちゃった。

 それを眺めていた誠一郎さんと麻人さん――麻人さんの方がごほんと咳払いをして、場が静まった。

「静かにしろ。見苦しい」

 怒気を含めた麻人さんの低い一喝で、凉平さんとシュウジさんがお互いに嫌な顔を向け合ってその場に座り直す。

 この人にも、聞いてみよう。

「あの、私は誰なんですか?」

「……誰、なんだろうね?」

 答えは同じだった。

 私はどうやら何も覚えていないらしい。


 結局分かったのは、彼ら四人の名前だけだった。


 2:

 『ひなた時計』とは、このお店の名前。喫茶店の名前だった。

 あわただしくも、のんびりとした朝の喧騒の中で、カウンターの中で麻人さんが仕込み作業をしていて、店内のテーブルを吹き掃除している凉平さん。そして店の外ではシュウジさんが掃き掃除をしていた。

 誠一郎さんはこの店の店員ではなく常連らしく、私と一緒にカウンターに座って、コーヒーに舌をつけている。

 コーヒー。熱くて苦い。でもなんだか落ち着く匂い。

 店内は木をふんだんに使ったログハウスのような作りで、ところどころに観葉植物や花の咲いた鉢が置かれている。『ひなた時計』その名の通りに、陽だまりが集まったような喫茶店だった。

 カランカランとカウベルが鳴って、入り口のドアが開いた。

「おはようございまーす」

 また知らない人が現れた。今度は女の子。

 凉平さんと麻人さんが「おはよう加奈子ちゃん」「おっはようさん」と、それから遅れて誠一郎も小さく「おはよう」と返した。

 私も返してみる。

「おはようございます」

「おはよー」

 加奈子ちゃんと呼ばれた女の子が、私に向かって手をひらひら振ってきて、そのまま厨房の奥へ入っていく。

 そしてすぐにその女の子は戻ってきた。早足で。

「誰っ!」

 私を見て驚き叫んできた。

「誰なんでしょう?」

「え?」

「はい?」

「う、うん? え? ええ?」

 何を言えばいいのか分からないようで、そんな生返事で言葉にならない声を出してきた。

「はい?」

 この女の子はよく分からない人だ。

 加奈子ちゃんが突然に声の矛先を変えた。

「誠一郎さん!」

 呼ばれて、誠一郎さんが加奈子ちゃんへ向いた。丁度、私が加奈子ちゃんと誠一郎さんの間に挟まれているような構図に。

「何だ?」

「この子、誠一郎さんの妹さんか何かですか?」

「違う。だがなぜそう思った?」

「なんだか性質か性格あたりが似てるからです。じゃあ誰なんですか?」

「ふむ……」

 考えるときの癖なのだろうか?

  誠一郎さんが顎に手を当てて考え込んでから、加奈子ちゃんへ。

「もし妹がいたら、こんな感じなのかもしれないな」

「ああっこの人は朝っぱらから! 話が噛み合わない!」

 頭を抱える元気な女の子。加奈子ちゃん。

 カウンターの中で麻人さんが苦笑しつつ眺めている。

「加奈子ちゃん、この子は南波那菜ちゃん。しばらくここで預かることにしたんだ」

「あー、そんなんですか」

 ただし――

「仮の名前なんですが」

「はい?」

 また驚いた加奈子ちゃん。その視界の端で、麻人さんが唇に人差し指を当てるジェスチャーをしていた。

「あ、なんでもありません」

「言った後でなんでもないと言われても……」

 またも、加奈子ちゃんが誠一郎さんを見て。

「本当に妹さんとか、血が繋がってたりしてないんですか?」

 あるのかな? 聞いてみる。

「誠一郎さんと私は、血が繋がっているんですか?」

「それは無いはずだ」

「無いみたいです」

「ああ、そう……」

 どうやら疲れさせてしまったようだ。肩を落としてげんなりする加奈子ちゃん。

「……とりあえず、着替えてきます」

 加奈子ちゃんがため息をついて、厨房の奥へ入っていった。

 それを見送った後で、自分の左胸のやや上の位置を触る。

 名前が無いままだと不便だということで、とりあえず南波那菜と、呼ばれることになった――その通りに、私の左の胸には『№7』という文字が書かれている。

 私は一体、誰なのだろうか?


 でもコーヒーはやっぱり苦い。飲むのに苦労していると麻人さんがオレンジのジュースに変えてくれた。

 時計を見るともうすぐ十一時半になるところで、お店の中もにぎわってきて、何だか居心地が悪くなってくる。

「4番テーブル、ミックスサンドとナポリタンと、後にコーヒー二つです」

「はいよー」

 加奈子ちゃんと凉平さんのやり取り。

 私は何をしたらいいのだろう?

 誠一郎さんはいつの間にか居なくなっていた。気が付くと居なかった。

「あれ? 誠一郎さんは?」

 加奈子ちゃんも気が付いたようだ。

「居なくなりました」

「あの人、影が薄いのよねえ。気配が少ないっていうのかしら」

 本当にいつ居なくなってしまったのだろう?

 そこへ凉平さんがひょっこりと現れた。

「あいつなら三十分くらい前にレジ通って帰っていったがな」

 いつの間に。

「見ませんでしたよ!」

 加奈子ちゃんも気が付いていなかったようだ。

 凉平さんが苦笑して肩をすくめ、すたすたと厨房の中へ入っていく。

 私と顔を見合わせる加奈子ちゃん。加奈子ちゃんはなんだか腑に落ちない表情をしていた。

 すると、加奈子ちゃんは私の頭を見て「あ」と気が付いた。

 加奈子が伸ばしてきた指で、私の髪を弾いてくる。なんだろう?

「これ寝ぐせ?」

 自分で加奈子ちゃんが指してくる所を手で触れると、髪の横側がはねていた。

「あっ」

「ちょっと待ってね」

 そう言うなり、加奈子ちゃんが自分のポケットから、輪ゴムを取り出して頭に付けてくれる。

「これでよし」

 少し満足げな加奈子ちゃん。

 カウンターから麻人さんの声が。

「加奈子ちゃん、ミックスサンド上がったよ」

「はーい」

 カウンターを挟んで、加奈子ちゃんが麻人さんからお皿に乗ったいくつものサンドイッチを受け取って、4番テーブルと言った場所へ運んでいく。

 話し相手が居なくなってしまった。

「…………」

 どんどん店の中は騒がしくなっていく。

(いろいろな人の声)

 色んな人の色んな声が混じって、何を言ってるのか分からないぐらいにざわざわがやがやと騒いでいる。

 声が聞こえてきた。この中に混じって、ぼんやりとした声が。


 ナ……バー……ブン。

 ナンバー、セブン。

 僕の声が聞こえるかい?

 聞こえるかい? 届いてるかな?

 ナンバーセブン。

 聞こえたら……して。

 ここに……て、むか……えを出す、から。

 ナンバ……セブン……。


「那菜ちゃん?」

「あ、はい?」

 気が付いたら、カウンター越しに麻人さんが居た。

「どうしたの?」

「声が」

「声?」

「声が、たくさんあって……その」

 どう言えばいいのだろう?

「疲れたのかな? 奥へ入って休んでるといいよ」

「……はい」

 疲れてたのかな?

「お昼、後で持っていくから」

「わかりました」

 カウンターのスツールから降りて、店の奥へ向かう。

 いろんな人の声の中に、聞こえてくる声があった。

 誰なんだろう? あの声は。


「あ」

 シュウジさんがいた。

 居間でごろ寝しているシュウジさんがこちらに気づいて、視線だけ動かしてこちらを見た。

「よう」

 なんだか眠たそう。

 シュウジさんの側へ座る。シュウジさんの寝顔は可愛かった。また見れるかもしれない。覗き込む。

「なんだよ?」

 顔が少し、くしゃっとなったシュウジさん。

「寝るの?」

「だりい」

「みんなお店にいるよ?」

「めんどい」

「シュウジさんは動かないの?」

「っていうか顔が近い!」

 シュウジさんが起き上がった。起き上がって、ぼさぼさになっている金色の髪をがりがりと引っ掻いた。

「やらないの?」

「だからめんどいって」

 ついでに大あくびをするシュウジ。彼はお店で動かないのだろうか?

「あー、それから。シュウジさんってのはやめてくんねえか? シュウジでいい」

「うん、わかった。シュウジ」

「くおらシュウジ!」

 びっくりした。突然に加奈子ちゃんがやってきた。

「今お店がピーク来てるの知ってんでしょ!」

「っと忘れてた」

「とぼけるな! 働け!」

 働く?

「あーはいはい、働きますよ……うっせえな」

「ぼやいてないでさっさと来る!」

 加奈子ちゃんがシュウジの服を引っ張って、連れて行ってしまった。

(誰もいなくなっちゃった)

 加奈子ちゃんとシュウジの言い合いが遠くへ消えていき、静かになった。

「…………」

 シュウジが寝ていたところ、そこは丁度日が当たっていた場所。

 彼が寝ていた畳に触れてみる。

「あたたかい」

 

 2:

 未だ№7から返事がない。

 繋がっているのは分かる。届いていることも分かる。

 もどかしい。

 今すぐにでも彼女の元へ行きたいのに、奴等が邪魔をしている。

 彼女を連れ去った『奴等』

「ソーサリーメテオめ……」

 №7に会いたい。

 彼女の側にいたい。

 今すぐにでも会いたい。

 なのに。

「僕が、ナンバーセブンを必ず救い出してみせる」

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