第5話 特徴3:(相手の)ためを思っていることを強調する

 この手合いのもう定番と言ってもいい言葉を、御紹介する。


 あなたが憎くて言っているんじゃない、ためを思って言っているのよ!


 ヒステリックな女性の言葉になったような気もしないではないが、別に、女性蔑視の思想をベースにそういうことを言っているのではない。

 男なら言わないのかと言えば、さにあらず。男であっても、言う人は、言うよ。

 ただ、女性のほうが多かった印象は強いね。特に、年配者ほど多かった。

 もちろん、このようなことを言う人間のすべてが、ここで私が述べる状況に該当するわけじゃない。だが、こういう感情論を述べて通用すると思っているなら、実に浅はかであろうなと思うけどね。


 さて、この手合いはなぜ、そんな言葉を強調するのであろうか?


 そもそも、こんなことを言わなければいけないあたり、自分の言動に自信もなければ信念もない、あってもたかが知れたものでしかないからこそ、このような「自己弁護」にもならない言動をしているのではないか?

 つまりすなわち、言い訳の「予防線」を張っているというわけよ。

 内容がなかった、相手をむしろ傷つけることになった、あるいは人生の選択に汚点をつけた、そんなことになったとしても、相手のためを思いよかれと思って、動機はあくまでも「善」であったということを言いたいがために、ことさら述べる。

 まあいうなら、「免罪符」ってことになるのね。

 ローマ・カトリック教会が宗教改革の原因となった免罪符にはどうやらそれなりの金が要ったようだが、この言葉を発するのには、金など要らない。

 はした飯でも食わせてやればそれで聞いてくれるやろというのが、関の山であろうな。美味い酒飲ませてやることなんかないよ。

 あ、相手が未成年者だったら、飲ませちゃまずかったな(わっはっは)。

 それはまあ冗談にしても、ともあれこの言葉を述べておけば、あとで責任を追及されなくて済む。ま、昔ばなしに出てくる魔よけのお札、みたいなもの。追及されたら、そのときは、「ごめんなさい」と言えば、許してももらえよう。まして、裁判所経由で訴状なんてものが来るなどと言うことは、なかろう。そうでなくても、著作なんかで厳しく断罪されたりなんか、しないよなぁ~。

 なんせ、動機が「善」で、相手のためを思っていたのだから、ってか・・・(やれやれ)?


 そこまで分析できるようになったのは、何と言っても、私が大検を通って現役で大学に合格できて、何とか養護施設を脱出できたから、ではあります。

 私自身が知性がある、まして知性と教養にあふれまくっているなどと言う気は毛の先(毛頭ともいうそうな。毛沢東の党ではないよ~わっはっは!)程もないけどさあ、これ、知性がないと、あるいは、それをしっかりと磨いていこうという気がない限り、見抜けないことだぜ。19歳当時の私にそれがすでにあったとは言わないが、それをしっかり磨いている過程で、その手の言葉に対する疑問がわいてきていて、さらに自分なりに分析していた。

 それは、自信をもって言える。押忍!


 ついでにこれを逆から見てみるとだね、知性がつけば、そういう手合いの言動内容の「からくり」、また別の言葉を借りるなら「子どもだまし」が見えてしまうことも意味しているのです。


 ともあれわしは、こんな言葉をこれ見よがしに述べるが如きくだらん大人にだけはなりたくないと思った。

 その甲斐あってか、今までわし自身は子どもであれ大人であれ、人に向って「ためを思って」などと言った覚え、全くと言っていいほど、ないよ。

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