第3話 傾向2:出来損ないの仮定法
これこそが、無能のかなり大きな特徴。
人間としてよければ・・・
この言葉(公式)を、むやみやたらに多用する。
出来損ないの仮定法とでも、申しておこう。
例文を出してみよう。
たとえ大学に行けなくても、人間としてよければ、それでもいいではないか。
これから大学を目指そうという人間に、こんなことを言う人物がいた。
当時こそ聞いていたが、今なら一切聞く耳を持たないし、その必要もない。
さて、彼(彼女)はなぜ、そんな言葉を述べていたのか?
無能だから。以上
これにて終りとしたいけど、そうもいかんので、もう少し掘り下げてみよう。
これから大学を目指そうという人間に、こんなことを述べて、この人物は、何が言いたいのであろうか?
そんなつもりはなかったなどと、当時の関係者が私に言ってきても、私は聞く耳など持つ気はないし、その必要もないけどね。
ちょっと、しつこいかな(苦笑)。
第三者が無責任な立場でこれを言うのは、とりあえず、カラスの勝手である。
勝手にホザけ能無しが!
これで、いい。
だが、それが自分にとって保護者というか、それに代わる立場の人間がこんなことを述べてきたら、どうだろう?
別の作品でも述べている通り、私は養護施設にいたのよね、高校生の頃まで。
その施設の職員が述べるわけよ。これを。
最終的には大学に行けたのだからいいではないかと言いたいところだが・・・、
そうもいかんわい!
こんな「人間として云々」、つまり、人間がどうこうというあいまい極まる言葉を持ち出して、今から何をしなければならないのかを論じられない者が人を指導など、おこがましいにもほどがある。
当時は、そう思っていた。今も、思っていますよ。
では、その人物は余程の悪人だったのか?
もしそうであれば、話は簡単だったろう。
だが、そうではなかった。
個人としては、実に善良で真面目な方でした。
それゆえ、こちらにとっては「性質が悪い」ってことになる。
ひょっとこの人物は、自分の進路妨害をするつもりなのか?
そう思われるのが普通や。
「ためを思って」言っているなどと言い訳しても、無駄だ。
そうでも言えば免罪符になると思っているのが、これ、無能の痛さなのよね。
それについても、また、折見て述べて参る。
ただ、誤解のないように申しておきたい。
善良な人物であることと、自身にとって本当に必要な人物であることとは、必ずしも両立するわけではない。また、善良な人物であれば、話の内容はともあれ話を聞くだけでも聞いたらどうかということには、決してならない。
それとこれとは、きちんと分けて論じなければいけないということです。
それができないのは、それこそ、無能以外の何物でもないというわけで、全くもって洒落にも何にもならんですよね。
まあその、先程のようなパターンになるとね、こちらも不幸かもしれないが、相手にしても、やっぱり、不幸、ってことになる。
つまり即ち、お互い不幸な出会いでした、以上。
そうとしか言いようのないところに、落とし込まれてしまうわけなのね。
これは、よい悪いの問題ではない。もう、構造的な問題ってことなのよ。
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