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     最近、自身が「無能」なのではないか疑念を抱き始めた二〇代、男です。応援コメントはこれが初なので、少々不躾な言葉で不快にさせてしまうかもしれませんが、そこは年の功で大目にみて頂けると幸いです。

     昨今、SNSが発展し、誰でも気軽に発信できるようになった半面、使用者側の中には欠如したリテラシーで攻撃している人をみかけます。その中でも、時折使用される「無能」という単語は、英語におけるFワードに類するような、強烈なインパクトを持っているのではないかと思っています。

     人は誰しも無能と呼ばれたくないでしょう。とくに、日本人は自己肯定感が諸外国に比べて低いそうです。「自分が相手にされていない」「無視されている」といった行間を読む能力は日本人お得意なので、より強烈に刺さるのでしょう。

     これがフィルターバブルによるパラノイア構造の現出なのか、代々鬱屈した想いを抱えていたのが噴出したのか、はたまた社会に出れば皆感じるのか(私はひろゆき氏の影響が大きいように思いますが。よくも悪くも笑)結論は出ませんが、この『無能の特徴』は与方藤士朗先生の、

    「それなりに食える茶漬けのような文章」

     のコンセプト通り、ずきずき痛いけど読める文、となって私の中にすっと入り込んできました。

     無能の対処、なんていうビジネス本を書店で見かけるたび胸が苦しくなってしまうようなポンコツですが、無能から逃げず、でもオブラート紙で包んだ言葉が満ちればいいと心の底から願ってやみません。

     他力本願、臭いものは蓋をする精神。まさに無能の極みですが、そんな私にも読める文章力には脱帽でした。楽しい時間、ありがとうございました。





     あんまり賛美ばかりしては信者かよと思われそうなので、一応批評みたいなのも。

     キャッチコピーに「対策」、タグに「論理的思考」とあったので気になったのですが、第六十話から続く、

    『対応策:本を読む、ひたすら、読む。』

     のくだりはロジックがイマイチだと思います。

     知性(というより知識か)の重要性は仰る通りだと思いますし、本を読むことはネットのオススメ機能による情報の偏向をある程度取り除けるという意味で、紙媒体が情報吸収のうえで効率的ということを除いても、意義ある行為だと私は確信しています。しかしながら、ここに書かれてある本文を読むかぎり、どうして本を読まねばならないかがはっきりとしません。

     読み解くかぎりでは(私の理解不足なら申し訳ありません)、野球選手という成功者の体験を知ることで成功者の共通点を学ぶ、というふうによめます。ですが、これなら別に本である必要はないのではないでしょうか。

     YouTubeのインタビュー動画やそこいらの人間に質問してみても同じ結果が得られるでしょう。「負けに不思議の負けなし」とは野村監督の言葉ですが、成功者よりも、平々凡々とした無能の一般人に失敗談を尋ねるほうが意義はあるやもしれません。漫画およびその他創作物でなくとも、誰かに会い、質問するだけでその人物の思想や生々しい反応までが簡単に手に入ります。

     それだけでなく、ファッション誌がダメな理由もよくわかりません。ときおり妹のファッション誌を読んで表現の参考にしている身としては、自分の領域外であるそれは未知のオンパレードです。一方、スポーツ紙などのタブロイドは聞き込みが浅く、お前それもはやゴシップ紙とか作文だろと思うことも少なくありません。

     まあなにが言いたいのかと言うと、結論、「本を読め」という理由がはっきりしないと思うのです。

     活字離れが叫ばれる現代人ですが、それは文字離れを意味しません。日常的にSNSで文字を打ち、動画の中のテロップを眺めます。

     人類最大の発明は文字であり、原始人にでもならないかぎり切って離すことはできないでしょう(アインシュタインいわく、人類最大の発明は複利らしいですが。キャピタリズム万歳涙)。一方で、本媒体は刷るのが面倒、持ち歩きは荷物になる、なんなら腐ると、SDGs推奨の世の中においては、時代に逆行する愚かなことなのかもしれません。

     しかし、だからこそ、本好きである我々こそが「本でなければならない理由」を明確にしておかなければならないと思うのです。

     無論、エッセイな以上、論理的に正しい展開よりも文章的におもしろいことが望まれるとは理解しています。ですが、『無能の特徴』というタイトルで、「対策」とサブタイトルを打ち、「論理的思考」というタグを付けられた以上、突っ込まずは居られませんでした。

     完全に深夜テンションかつ、人生の大大大先輩に重箱の隅をつつくような文句は如何なものかと自分ながら思いますが、今後本について語るときは一考していただければ幸いです。

     ここまで長々言っといて、お前はどうなんだって?
     インテリアとしてカッコいいから本を買え! が私の主張です笑。

    作者からの返信

    原田孝之様

    はじめまして。
    長文でのコメント、ありがとうございます。
    私、20代の頃にそれだけの文章、書けなかった(汗汗)。

    ご指摘の本を読むところですが、もちろん私は、本だけがすべてとは思っておりません。YOUTUBEもテレビも観ますし、他の媒体ももちろん利用します。
    まあその、高校時代の私にとって一番手っ取り早く確実なものが、本であったというのが、大きいだけで、そこで得られた体験(ある意味これも、「成功体験」なのかもね、ってところ)に縛られているのかもしれません。
    そのあたりは、もっと深く考察していかねばと思ったところです。

    ここまでの感想をいただくことはなかなかありませんで、私自身、世の中から疎外されているのかとさえ思うことも、書いているときにはたまにあるものですけど、どうやら、そうでもなさそうだという自信を改めて持てました。

    重ね重ね、御感想ありがとうございます。

  • 与方さんの考え方は、もしかしたら中国の韓非子に似ているかもしれませんね。
    法家思想に通ずる物を感じます。
    今回は特に近しい印象を受けました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    韓非子に似ているとの指摘を受けたのは、初めてです(え、え?え~!・・・です)。
    私個人としてはその対極あたりにいるのかなとは思っていますけど、その前段階でどうしても、まあこれは育ちのためかもしれませんが、そうしないとやっていけない故の状況から来たものかな、という気もしております。
    でも言われてみれば、確かに、儒家的な情緒論を排除するところは、そうかもしれません。

  • 歯に絹を着せぬ暴言が痛快ですね。
    なにやら、相当な怒りを感じます。
    かく言う僕も、言わんとする事が理解できてしまいます。これまで散々、泣き落としの被害に合ってきましたから。
    いずれ何かの作品で、
    「泣き落としは卑怯者がする事だ」
    みたいな台詞を出そうと思っていたぐらいです。続きも楽しみにしております★

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    まさにこれ、私が小説養護施設シリーズで、テーマにしていることの一つです。

    そりゃあ、人生の大事な時期にやられたわけですから、怒りが収まるはず、ないですね。
    金で済むような話でもないだけに。
    泣き落としもそうですが、その背景にあるのは、感情に訴える情緒論、郷愁論といったもので、日本人が弱いところでは、あります。
    これを言っておくと、さしあたり、能力等の議論をしなくて済むものですから。