第12話 喫茶店で(1)

 良枝さんから待ち合わせ場所に指定された喫茶店は、JRの駅前から続く昭和テイストに溢れたアーケード商店街の端にありました。7~8卓ほどのテーブル席とカウンター席のある割と広めな店で、ランチタイムが終わった時間帯なのに半分以上の席が埋まっています。


 カウベルが付いた木製ドアを開けて店に入ると、待ち合わせ時間前なのに、奥のテーブル席には良枝さんが座っており、こっちこっちと笑顔で手招きしてます。テーブル上には、飲みかけのアイスコーヒーと一齧りしたフレンチトースト、ページを開いた女性雑誌があったので、少し前から来ていたようです。


 約三年ぶりに再会した良枝さんは、以前よりも太って、髪型も黒髪ロングから、明るいブラウンのミディアムショートにしたので、見た目の印象が随分と変わっていました。


「びっくりした。全然、昔と変わってないね。

 来年で30歳だよね?見えないよ。

 島崎くんは本当にきれいな顔しているよね。

 残念ながら、私はこんなに太っちゃって恥ずかしいよ。

 もう脱いだ姿を見せられないよ」


 私が向かい合わせの席に座る前から、堰を切ったように話し始め、若いウェイトレスが水とおしぼりを持ってきて「御注文は?」と尋ねている最中でも言葉の流れが途切れません。


 海外に単身赴任していた御主人が帰国し、今は2LDKのマンションに引っ越して夫婦二人で住んでいると言うので、復縁したのかと思ってびっくりしたら、そうではなく、食事から洗濯まで全く別々の完全家庭内別居状態で、極力、顔を合わせないようにしており、御主人も愛人の部屋に泊まるので、いない日が多いそうです。


 近況を尋ねられたので、退職したことや母が膵臓癌で亡くなったこと、現在、求職中ながら、故郷の外房ではバイトやパートの仕事しかないので、東京への引っ越しをするつもりでいたら、元の職場から再雇用の話がきたことなどを、かい摘んで伝えました。


「島崎くんもいろいろあったんだね。

 私と別れた後に名古屋で彼女とかいたの?」


 別れの原因となった良枝さん似の滝谷久美子と付き合っていたとは絶対に言えないので、そこには触れずに話します。


「一応、いました。でも郷土愛が強くて、

 絶対に名古屋を離れないという人だったんで、

 会社を辞めて千葉に戻ってからは一度も会ってません。

 母親の看病が大変なときに、両親に挨拶に来いって言ってきたり、

 勝手に婿養子の話を進めてたりで、急に気持ちが離れちゃって。

 最近はメールや電話も途絶え気味なので、このまま自然消滅でしょうね」


「いるよね。彼氏よりも故郷とか家族とか選んじゃう子。

 私は真逆のタイプだから、全然、理解できないけどね。

 そういう人と遠距離恋愛になったら、

 戻って一緒になるか、別れるかの二択だもんね」


「良枝さんは、新しい彼氏とか、いたんですか?」


「そんなのいないよ。私が身体を許す島崎くんだけだもん。

 島崎くん以外でチョーカーやキャミソールが似合う子なんか知らないし。

 だから三年くらい御無沙汰して身体のメンテを怠ったら、このざまよ。

 あ、でも彼氏とかじゃないけど、ちょっと艶っぽい話なら、

 島崎くんと別れた直後に昔の先輩に誘われて、

 SMクラブで女王様のバイトをやったんだよ」


 良枝さんが彼氏と別れて、パートのファミレスも辞めたと聞きつけたOL時代の先輩が「気分転換に、また高収入バイトやらない?」と連絡してきたそうです。その方も良枝さんと同じくらいの高身長で、20代の頃も誘われて、別の店でしたが短期バイトをやったそうです。良枝さん曰く「セックス一切なしで、おっさんを罵倒して、踏みつけて、引っ叩いて日払いで給料を貰ってた。あれは楽しかったな。ただ今回は同僚にバカがいてね」


 その人は、もう数年働いているベテランなのですが、良枝さんが予約を入れてくれたお客さんの相手して控室に戻ったら「新人のくせに自分の馴染み客を奪った」「ふざけるなよ」とか文句を言ってきました。

 とりあえず良枝さんは黙って聞いていたそうですが、その態度に怒りがエスカレートしたのか「おい、聞いてんのか?」とか言うや良枝さんの髪を掴んできました。

 これにはさすがに頭にきて、ちっこい柴犬がドーベルマンに噛みついたらどうなるのかという社会の基本ルールを教えてやらねばという使命感から、相手の髪を力一杯掴んで、床に引き倒し「あのね、髪ってね、引っ張られたら痛いんだよ。もしかして知らなかったかな?」「誰を指名するかは、お客さんの自由だよね?」「あと、喧嘩は相手を見て売ろうね。返討ちは怖いよ」と説明してから、顔以外をガンガン蹴りまくったら「許してください、勘弁してください」とかワンワン泣き始めたそうです。 

 騒ぎを聞いて、すっ飛んできた店長に止められましたが、指名の逆恨みで、先に手を出してきたのはコイツですよと言ったら、周りに目撃者も沢山いたんで、一切、お咎めなしで済みました。「泣いて許しを請うなら、最初から喧嘩なんか売らなきゃいいのにね。まあ、この件で腹立って辞めたんで、在籍は三ヶ月弱くらいか?」


 私は良枝さんが大好きですが、思考が体育会系武闘派だからか、殴る蹴るが割と平気なので、ときどき付き合ってて大丈夫かな? と思うことがあります。


 この後も良枝さんは、私に様々な質問をしてきました。概ね真面目に返しましたが、それに対して突っ込んできて、私が困って「じゃあ、良枝さんはどうなんですか?」と問い返すと、なかなか含蓄あることを言ったり。話をするうちに、段々と昔の感覚が蘇ってきました。この人とは、こうやって、お互いの考えを確認してきたのです。


 こんなやりとりが一段落すると、良枝さんが座り直しをして、身を乗り出すような前傾姿勢になりました。彼女がこの座り方をするときはシリアスな話です。


「さっきの話だけど、島崎くんは前の会社に再就職する気はあるの?

 そこに入社したら、だいたい何年くらいで東京に戻れるの?」


「まだ決めてないけど、こっちで仕事がなければ仕方ないかなって。

 あと今回は支店採用なので、一生、愛知県内で東京への転勤はないです」


「そうなんだ……もしかして名古屋に戻ったら

 例の名古屋愛の彼女とヨリを戻してもいいかな、とか考えている?」


「それはないです。そもそも再雇用を受けるかも決めてないんで」


「ふーん、なるほどね。ねぇ島崎くん、大切なことだから正直に答えて。

 今回、連絡してくれたのは、過去のことを謝りたかっただけ?

 それともヨリを戻してくれる気があったりするのかな?」


 唐突に核心に迫る質問をしてきます。誤解されないよう、でも思いはちゃんと伝わるように言葉を選びながら短かめに話すことにしました。


「一番、重要なことから答えると、良枝さんのことは今でも大好きです。

 例の一件で別れた後、名古屋で新しい彼女ができたけど、

 その人といるときでも、良枝さんを思い出すことがあって、

 自分の本当の気持ちがわかりました。

 だから良枝さんさえ良ければ、もう一度、やり直したいです。

 今日、会ったのは、その気持ちを伝えるのが最大の目的で、

 謝りたかっただけじゃありません」


 良枝さんの口元に笑みが浮かんでいます。ああ、伝わったな、たぶん大丈夫だなと感じました。

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