第4話 出会い


 この話の主役であるビーノこと敷島良枝しきしま よしえさんと出会ったのは、長谷部先生と別れた翌年の1990年5月でした。当時、大学三年生だった私はゼミの先輩から、バイト先を引き継いで欲しいと頼まれて、都内のファミリーレストランで働くことになり、勤務初日に店長から上司として紹介されたのが彼女でした。


「初めまして。ホールマネージャーの敷島良枝です。

 えーっと、お名前の読みは『ひでと』ではなく『えいと』ですか?

 じゃあ、島崎瑛斗しまざき えいとさんですね。了解です。

 カッコイイお名前だから、すぐ覚えました。

 島崎さんには、ホールスタッフをやってもらうんで、

 仕事をしてて、わからないことや困ったことがあったら、

 いつでも遠慮なく私に聞いてくださいね」


 第一印象は「女優の高橋ひとみに激似な背が高い人」で、20代後半に見えたので、実年齢が34歳だと聞いて驚きました。身長は174センチで、高校時代は全国大会に出場するほどの水泳選手だったので肩幅が広く、長い筋肉質な脚と合わせて、ちょっと日本人離れした体型でした。

 仕事中は、きれいな黒髪のロングヘアをお団子にまとめており、ファミレスでの正式な肩書だったかは不明ですが、店長を含めてスタッフ全員から「敷島チーフ」と呼ばれていました。


 店長の代わりに勤務シフト表作りや食材発注をやって、忙しいときはキッチンを手伝い、深夜勤務も平気でこなし、店舗視察に来た本部スタッフにはガチで文句を言っているので、正社員だと思っていたら、実際はパートさんでした。子供がおらず、旦那さんも海外に単身赴任中で、時間が自由になるので正社員のように働いていただけでした。


 いつも笑顔で、誰にでも気さくに声を掛けてくれますが、ホールマネージャーだけあって、スタッフの言動には目を光らせており、服装の乱れやマニュアル違反、問題のある接客応対をしていると、「ちょっといいかな?」とバックヤードや駐車場の隅に呼び出します。案件によって注意で済んだり、説教や𠮟責になったりしますが、高身長のためか迫力が半端なく、店長のことは路傍の石程度にしか見ていない50代のベテラン調理パートさんですら、チーフの呼び出しを怖れていました。


 私もミスや失敗をして、幾度か呼び出されましたが、厳しく怒られたことは一度もなく、「いいよ。島崎くんは許してあげる。次から気を付けてね」で済んでました。

 始めは新人だから気を遣ってくれていると思ってましたが、いつまでも変わらないので、特別扱いされていると気付きました。当然ながら、他のバイトやパートさんたちは面白いはずがなく、やっかみ混じりに、チクチク言われました。


「今日も呼び出されてたけど、また『許してあげる』で終わり?」


「あ~ぁ、島崎さんなら、気を付けてで終わるミスなのに、

 チーフにガチ怒りされちゃったよ」


「島崎くんは、かわいい顔しているから得だよね」


 この辺は苦笑して誤魔化すしかないですが、困るのは女性スタッフがコソっと囁いてくる恋愛感情絡みのコメントです。


「ちょっと島崎くん、朝からチーフの機嫌が悪くてさぁ。

 キッチンで一緒に仕事してる、こっちがたまらんつーの。

 悪いけど、なんか優しい言葉の一つでも掛けてやってよ」


「チーフはねぇ、アンタの前じゃ少女だもんねぇ。

 わっかり易いよねぇ。

 くれぐれも押し倒されないようにね。

 島崎さんじゃ、チーフに抵抗しても無駄だからね」


 最後の押し倒されたら、抵抗しても無駄に関しては、この頃の私は身長167センチで体重は52キロしかない痩せた体型で、アスリートや女性格闘家のようなチーフにあらがうことは到底、不可能なのは誰の目にも明らかでした。

 

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 ある日、バイトが終って帰ろうとしたら、通勤に使っていた原付スクーターが従業員用駐車場から盗まれていました。

 すぐに警察に通報すると、やる気のなさそうな中年警官が来て「バイクやスクーターの盗難は、この界隈の名物だから出ないよ。諦めな」とか言い放ち、なかなか調書を作ろうとしなかったので、えらく腹が立ったことを今でも覚えています。


 長谷部先生から渡されたお金があったので、新しいスクーターを買うことは可能でした。でも同じ場所に停めていて、再度盗まれるのは嫌だったので、バイト先までは地下鉄と都営バスを使ようにしました。


 ところがバイト終りが遅くなって最終バスを逃して、結構な距離を徒歩で帰る日が続き、さすがに辛かったので、店長に最終バスに間に合うように勤務シフトを調整できないか相談しました。


「それは無理だよ。だって他のスタッフにしわ寄せがいくだろう。

 島崎くんだけ特別扱いはできないよ」


 即答で却下され、交渉の余地なしオーラを出していたので「わかりました。もう深夜に長距離を歩きたくないんで今月一杯で、ここを辞めて、アパートの近所で新しいバイトを探します」と告げると、驚いた顔をしながら「いやいや、バイトを辞められるのは困るよ。冷静に考えよう。きっと良い解決策があるって。たとえば盗難対策をバッチリやって、もう一度スクーターで通うとか」と急に態度が変わります。


 すると、ちょっと離れたとこで事態の成り行きを眺めていた敷島チーフが話に入ってきました。


「ねぇ島崎くん、せっかく仕事に慣れたんだから辞めちゃダメだよ。

 それなら、私の車で一緒に通勤しない?

 私、島崎くんのアパートまで迎えに行ってあげるよ」


 もともとチーフは自動車通勤なので、来月から二人の勤務シフトを合わせて、彼女の車で一緒に行き帰りすればいいとの提案でした。


「遠慮しなくていいよ。だって島崎くんのアパート、私の通勤途中だもん。

 島崎くんが助手席で話し相手になってくれるなら、渋滞でもイライラしないし。

 職場の愚痴でも言い合いながら、一緒に通勤しようよ。

 車だから、深夜勤務明けでも始発を待たないで帰れるし、

 雨でも寒くても平気だよ。だから、そうしようよ。

 ねぇ店長、私が彼を送迎しても問題ないですよね?」


 聞いたときは戸惑いましたが、同意を求められた店長も「チーフがOKなら何も問題ないよ。島崎くん、これは滅多にない良い話だよ。ここはチーフの御厚意に甘えなよ」と止めないし、考えてみると助手席に座っているだけでバイト先に着くし、雨の日も深夜も楽勝なので、この提案に乗っかることにしました。


 この送迎が始まってから、チーフとの距離は一気に縮まりました。仕事が終わってから敵情視察と称して、他のファミレスに寄ったのをきっかけに、深夜カラオケやボーリング、オールナイトの映画館、サウナ、夜遅くまで営業している洋食店などに頻繁に行くようになります。


 ある日、店が嘘みたいに暇で、二人とも体力が余っており、真っ直ぐ帰る気になれなかったので、常連さんが教えてくれた梨畑のど真ん中にある24時間営業のバッティングセンターに行くことにし、江戸川を渡って千葉県市川市まで遠征しました。


 クリーンヒットを連打し、気分が盛り上がったチーフが突然、「ねぇ、どうせ明日は二人とも休みだし、せっかく千葉にいるんだから、太平洋から昇る日の出を見に行こうよ」と言い始めたんで、勢いでそのまま銚子の屛風ヶ浦に向いました。


 まだカーナビが普及しておらず、地図と道路標識を頼りに目的地に向う時代だったので、同じ千葉県と言っても市川市から銚子市までは、西端から東端という結構な距離移動だと気付いたのは、かなり走ってからでした。


 結局、交通量の少ない深夜の時間帯なのに片道三時間以上も掛かりましたが、当時は、トラックドライバー向けに営業している深夜食堂やドライブイン、オートスナック(麺類やハンバーガーなどの自販機が並んでいる無人店舗)などが、まだ街道沿いに残っており、そこで休憩をしたり、トラックの運転手や暴走族のレディースのメンバーから話し掛けられたりと想像以上に楽しかったので、その後も休日前に二人で深夜・早朝ドライブをするようになります。


 あるとき、今の「アクアワールド・大洗」の前身である「大洗水族館」に行く途中でチーフの意外な一面を知ります。


 いつものように休日前の深夜勤務明けに職場から茨城県に向けて出発し、チーフの運転で首都高から常磐高速道に入ります。目的地近くで一般道に降りると、交通安全週間だかの一斉検問をやっていて、道路脇の広い空き地に誘導されて、運転免許証の提示を求められました。


 チーフがドア越しに運転免許証を渡すと、警官は確認のためフルネームを読み上げるのですが、そのとき苗字が「敷島」ではなかったで「あれ? どういうことなの?」と思いました。

 助手席の私の様子にチーフも気付いたようで、検問が終わった後で「ごめんね。敷島は私の旧姓なの。どうしても結婚後の苗字を名乗りたくないんで、免許証やパスポートなんかの公的書類以外は旧姓で通しているの。別に犯罪絡みで偽名を使っているとかじゃないからね」と説明してくれました。


 今では希望すれば、女性が結婚後も旧姓のまま働ける企業は沢山ありますが、まだ当時は旧姓で生活する既婚者は珍しい存在でした。付き合い始める前だったので、敢えて詳しい事情は聞かずにいましたが、きっと夫婦仲は良くないんだろうなとは漠然と思っていました。

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