世間はバレンタインデー

 とりあえず、テーブルの上は綺麗に片付いた。なんなら飲み足りなくて、全員がもう一杯ずつおかわりしたのはご愛嬌……あ、いや。これはいつも通りか。


 お会計時に『○名で割り勘』と言ってみたら、端数だけは最初の人に繰り上げて、それぞれ別会計してくれた。あらやだ親切。ここリピートしてもいいかもね?


 表に出ると、想像以上に明るい。道端の時計屋に掲げられた時計を見ると、まだ十七時だ……って時計も同じなんだね。一日二十四時間って概念も私達がいた世界と同じっぽいわ。とっても助かる。


 店を出るときに、店員さん――さっき翼を広げたときに怒られた猫型獣人のお姉さんに、近くの宿について聞いてみた。するとここから二百メートルほど離れたあたりに、宿屋の集まる一角があるという。

 幸いまだ時間が早かったこともあって、無事に四部屋確保して荷物を置いた。と言っても手荷物程度しかないけどね。


 ちなみにその宿は、いわゆるビジネス向けで。ワンルームのシングル部屋には見慣れたユニットバスがついてた。あれ? これってなんか東○インのような佇まいだな……と思ったけど、気にしないことにする。


 周囲を歩く人たちは、相変わらずファンタジー世界から飛び出てきたような感じ。なのに設備は妙に現代日本に近い匂いがする。

 すごく不思議な世界である。



 一旦宿の外で集まった私たちは、宿のすぐ近くにあるBARの前に来た。ドアは温かみのある木製で『とまり木』と刻んである。いかにも雰囲気良さそう。


 いざ入ろうかという時、メロンおっぱいゆっきーが急に「ちょっと偵察してくるから、先にやってて」と言って街中に消えていった。そういえばゆっきーは、昔から単独行動が得意なんだった。


 仕方なく、私たちは三人だけでそのBARへ入った。まだ開店したばかりのようで、少しだけ店の奥が慌ただしい。とりあえずテーブル席に陣取ると、店舗の奥から店員と思しき若い男性が慌てた様子で出てきた。


 きっちり撫でつけられた髪は清潔感がある。バーテンダーらしい白シャツに黒ベスト、艶のある蝶ネクタイが厚い胸板に乗っているけど、顔はやや童顔気味の美青年。うーん、目の保養。


「あのすみませんが、未成年の方はちょっと……」


 イッシーの方をチラチラ見つつ、申し訳なさそうな様子だ。その声は見た目に反したバリトンで。うん素敵ね、いいわいいわ。


「あ、大丈夫です。これでも中身は五十六歳なので」

「えっ、これは大変失礼しました! の方だったんですね!」


 イッシーがすかさず自己申告すると、失礼しましたと丁寧に頭をさげた店員は、私たちのオーダーをとってカウンターに戻っていく。


……」


 ハタやんの肩が少し震えてる。


「まあ平たく言うとジジイだけどさ。長命種っていわれると、なんか急にかっこいい気がしない?」

「相変わらずともっちは口が悪いね!」

「ふふーん」

「褒めてないから!」


 すかさずハタやんに連続でつっこまれたけど気にしない。そうこうしてるうちに、目の前へそれぞれのオーダーが並べられる。黒豹の前にはバーボンが注がれたショットグラス。美少女エルフの前には、ダブルのロック。そして私の前にはゴットファーザー……これ、香りが甘くて好きなんだよね。


 見れば他のテーブルやカウンターも埋まりつつある。まだ早い時間なのに、ここは結構流行ってるらしい。しかもその大半がカップルじゃないか。


 カウンターでは、女性が小さな包みを隣の男性に渡している。あれは……チョコレート?

 改めてメニューを見ると、バレンタインメニューなるものがある。


「ねえ、バレンタインとか書いてあるけど……こっちにもそういうのあるみたいだね?」


 そういえば私も毎年、夫用に通販でお取り寄せしてるんだよね。夫は甘党なので、ランキングもお値段もちょいお高めのをセレクトしてたなあ。ゴットファーザーを舐めながらそんな事をぼんやり考えてたら、ハタやんがちょっと寂しそうに呟いた。


「――バレンタインなんてね、チョコ屋の陰謀っすよ」

「ぃょぅ、独身貴族」

「ああうるさいなーもう! つかともっちは旦那さんにチョコあげてた?」

「うん、あげてたよ。あれはね、だから」

「のるま」

「うん、そう。例えれば、夫婦間の定期メンテみたいなもんよ」

「ていきめんて……」


 何それ、急にスンッて顔しなくてもいいじゃない。長いこと一緒にいるとね、逆にそういうのが大切なのよ?

 するとダブルを軽く傾けた美少女エルフなイッシーが、片肘をついてふっと寂しげに笑う。


「俺氏、もう随分長いことメンテナンスされてない……」


 イッシーは奥さんと、もう成人した娘二人を持つパパさんである。そういえば私も二十代の頃、父ちゃんにはもうあげてなかった気が……ごめん父ちゃん。


「サポート期間終了しちゃったんだね……」

「でも俺氏、ホワイトデーにはちゃんとお菓子あげてるんだよ!?」

「それって、イッシーがサポートする側になったんじゃ……」


 ぐぬぬ……と言いながらダブルを舐めるイッシーに、ケラケラと笑いながらハタやんが言った。


「メンテ先があるだけいいじゃないっすか。オイラなんて事故いや自己修復中っすよあははは」


(――全くもう、仕方ないなぁ)


 私がさっきの美形な店員さんに目で合図すると、すぐに気づいてこちらにやってくる。メニューの片隅を無言で指差して、一つくださいと伝えればすぐに下がっていった。


「ともっち、何頼んだの?」

「うん、ちょっとね。おつまみを」


 間もなく若い店員さんが持ってきたのは、カゴに入ったチョコレート菓子の盛り合わせ。バレンタインメニューの一番安いやつ。カラフルに個包装された可愛らしい包みが、愛らしい籠に小さく盛ってある。


「はい、二人に義理チョコあげるから。これで我慢して?」


「久々のメンテきたーー!!」

「ありがとおーともっち、まじ天使いいーーー!」


 全く、大のおっさんがはしゃぎすぎですよ? でもいっぱい喜んでくれてるその様子が嬉しくて、ちょっとだけニヨりそうになったけどね!

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