第6話

「どうしたの?」

「え、あ、いや、なんでもないです」

 紅葉は食事の時はいっつも俺と向かい合わせに座ってはにかんで俺を見る。そこに俺がおいしいっていうと微笑みが笑顔に変わるのだ。

 けど、いつもと視線が少し違うことに気づいて声をかける。どちらかというと俺よりちょっと下、それも視線が上に右に下に左に動く。

 その視線の動きが何かと連動してるような気がして、それに気づいたと同時に何に連動しているかもわかった。

「あ~…」

 試しに少し大きめに口を開けてフォークに巻いたパスタを口に運んでみる。すると視線はまっすぐに俺の手の近く、詳しくはパスタに目がいった。

「あぁ~…」

 更に大きな口を開けてみる。姿勢が前にいって興味津々なキラキラとした目をしていた。

「…む」

 口に投入されて咀嚼されると、前に寄っていた姿勢は元に戻って目も落ち着きを取り戻す。

「…パスタが気になるの?」

「え、あ、はい…」

 我に戻ったみたいに紅葉が言葉に詰まった様な答え方をする。

「何か入れ忘れちゃった?隠し味とか」

「いえ、別にそういうわけじゃ無いんですけど…」

 紅葉は説明するのに少し恥ずかしがっているような様子だった。

「あまり人の、それもマスターさんにお出しした料理にこんなこと言うのもなんですけど、マスターっていつも私の料理をおいしそうに食べてくれて褒めてくれるじゃないですか。それで、気になったんです。食べるってどんな気分なんだろうって」

 そうか。確かに紅葉達は食事は必要ないしな。てか…。

「俺、そんな顔に出てた?」

「はい。すごく幸せそうな顔でした」

「そうだったんだ…」

 なんだか恥ずかしいなぁ。

「それで、そんなに幸せそうな顔になれる食べるってどんな気持ちなんだろうって思ったんです」

「確かに、食事ってどんな気分なんですか?マスター」

 モモイも話を聞いていたみたいで俺に聞いてくる。その後ろには少し気になったようでカンナもこっちを見ている。

「ん~…なんだろう…どんな気分か…」

 どんな気分かといえばその時によりけりで、美味しい物を食べると幸せな気分になるし、不味いものを食べるとなんだこれってなる。

「ん~、時と場合による…?」

「食べるという行為に関してはどうなんですか?」

「た、食べるっていう行為に関して?」

「食べるってどんな感じなのか知りたいんじゃない?感覚的な意味で」

 思わずカンナも言葉が出る。あ、そういうことね。

「そう聞かれると難しいな…なんかもっと具体的な感じなのは?」

「えーっと…じゃあ、味覚を感じる時ってどんな刺激がしますか?痛いですか?」

「普通の物を食べる時は痛く無いけど、辛かったり酸っぱかったり刺激が強い物を食べると痛かったり痺れたりするかな」

「なるほど…。人間さんはその味覚が受ける刺激のためにお金や労力を使っているんですね」

「まぁ、そうだね」

 平たく言えばそうか。というか、そう言われるとなんか虚しくなるな。たかが一時の快楽のためにお金を使ってるのかっていう。

「でも不思議ですよね。舌に触れるだけで情報を読み取れるんですから」

「情報て…」

「でも確かにそうね。送受信しなくても物理的な接触だけで読み取れるような器官が人間に備わっているのは珍しいっていうか変な感じね」

「あ~言われてみればそうかも」

 触れる。対して接続もせず口腔に入れるだけで大して体の内側に入れずにただ舌の上に乗せるだけ。それだけで味がわかるって言うのは不思議な感じだな。

「でも、味って感じる必要はあるの?生命を維持できる程度の栄養だけ取れればいいじゃない」

「そうなると味覚の存在する意味が分かんないな…。モモイはどう思う?」

「わかりません。あ、調べてみますね」

 そういえば、モモイ達って検索エンジンを使って物事を調べることができるんだっけ。忘れてた。

「なるほど」

「どうだった?」

「食べれるかどうかを判断するためにあると言われているらしいです」

「なるほどね。安全かどうかを確かめるためのものなのね」

「それがいつしか快楽を感じるためのものになっていったのですね。元々人間は野生に生きていた種族ですから、それが時が進むにつれて現代になり食べ物に困らず限りなく安全が保証されているこの世界では安全チェックとしての役目はもうほぼ終えたのでしょう」

 そうか。日頃生きてきてこれは食べられるかななんて賞味消費期限ぎりぎりか少し過ぎたものくらいにしか思ったことは無かったけど、大昔の人は日ごろからそういう思いだったのか。

「でも、少しだけ人間さんはいいなぁって思っちゃいます。私には味覚も無ければ嗅覚も無いですから。そんな感覚も楽しみも体験できないですし」

「それはそうですね~。食べ物、一度味わってみたいです」

「甘いってどんな感覚なのかしら」

「あ~甘い、比喩表現にも使われるくらいですからね。さぞかし病みつきになる味なんでしょうね~」

「甘い…甘い…いいなぁ…」

 それぞれが味覚に憧れる中、俺はご飯を食べ終えた。

「ごちそうさま」

「あ、はい。お粗末様でした」

 甘いの妄想から帰ってきた紅葉と一緒に食器を持って行く。二人はというと未だに天井の呪縛から逃れられていない様だ。

「今日も美味しかったよ」

「よかったです」

 食器を流しにおいて、狭いながらも一緒に皿を洗っていると、

「ふふっ」

「どうしたの?」

「えーっと。ただ、もう安心して栄養を取れる環境としては上々なのに味覚が退化せずに残っていてよかったなと思って。だからこそマスターさんは私の料理を美味しいって言ってくれますから」

「そうだな。俺もそう思うよ。もみじのご飯を毎日食べられて幸せだよ。ありがとうね」

 面と向かって感謝を赤裸々に伝えるのは少し恥ずかしかったが、ピクっと顔が動き目を逸らした紅葉はそれ以上に照れていた。けど、3度ほど首の動き混じりに大きく目を逸らした後、笑顔で「こちらこそありがとうございます」と返してくれた。

 毎日繰り返されているはずなのに毎日は伝えられなかったこと。それは例え本人がそういう形でありたいと願っていても決して当たり前のことではないはずだ。

 それをこうして面と向かって話すのはどこか気持ちがすっきりしたし、初めて紅葉とほんわかとした他愛もない話をできた気がする。

 きっと毎日がこんな風に行くとは思わないけど、こんな日が続くと思うと彼女らと過ごす毎日がとても楽しみだ。


 

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