第8話 善悪論

処世が善か悪かを問うことに意味は無い。それは、善悪の問題ではなく必要なのだ。そのような設問は、その基準からして誤っている。 人間は社会性の動物なのだから、社会に適応しなくては生きて行けない。


さて、少しだけ哲学的になろう。


善悪とは何だろうか。


過去には、絶対的な善や悪を想定した哲学者が多数いたが、 そのようなものが存在しないことは、現代知識人の常識だ。 あるとするならば、<社会的悪><道徳的悪><経済的悪><宗教的悪>などの括弧つきの悪なのであって、<絶対的悪>ではない。


<絶対的悪>などというものは不可知であるということではなく、存在しないのだ。


子供は、「嘘をつくことは悪いことですよ」と教育される一方で、心理学者は嘘を覚えることで人は子供から大人になると言う。「嘘つきは泥棒 の始まり」という諺とともに「嘘も方便」という諺もある。嘘は<絶対的な悪>ではない。(絶対的な悪など存在しないのだから)ただ、嘘をつくと信用を失う 場合があるし、嘘つきだというレッテルを貼られると明らかに損だろう。また、それが裁判等での証言であれば、偽証という罪になる。逆に、上手い嘘は社会の 潤滑油にもなるし、幾多の利益の源泉ともなるだろう。


では、人を殺すことは悪いことだろうか。これも<絶対的悪>ではない。(絶対的な悪など存在しないのだから)ただ、人を殺すことは、<社会 的な悪>として裁きを受ける可能性が高い。私たちは社会で共生する動物として、そのような危険分子を排除するように努めるし、裁きを加える。死刑論、死刑 廃止論には言及するまい。議論がそれるからだ。これには死刑そのものの<倫理的な善悪>という議論だけではなく、いろいろな観点がからんでくる。


個人的な殺人は悪だが戦争は異なるという議論もある。それは、超法規的な世界、勝てばすべては正義になるという思想である。これも<絶対的な悪>ではない。(絶対的な悪など存在しないのだから)ただ、現代社会は、戦争は回避すべきであるという考え方が主流である。それは、もっぱら<倫理的視座>に基づくものであり、人権や人道の領域に属する。


悪名高い「優生思想」(優れた遺伝子が残り、劣った遺伝子は淘汰されるべきだという思想)にも、隠れた支持者は多い。私はもちろん、「優生思想」には反対なのだが、その理由は弱者の権利によるのではなく、何が優で何が劣かは人間に判断できるような問題ではないし、神がいたとしても、それは判 断できないと考えるからだ。


自分に危害を加えるかもしれない野獣が近くにいたとして、貴方は持っている銃の引き金を引かないだろうか。動物愛護の精神から、引き金を引 くことを躊躇うだろうか。もしも、それが野獣ではなく、危険な人間だったならばどうだろうか。生きるということは、本質的に<戦い>という側面を持つので ある。


さて、いろいろとある悪の中で、一番の悪は何だろうか。


逆説的だが、それは行過ぎた善である。


<社会的悪>を細部まで示そうとすると、どうなるだろうか?


グレーゾーンの白黒を決めると、どうなるだろうか?


殺人が犯罪であることに反対の人は極めて少ない。では、すべての隣人を愛せよ、となるとどうだろうか? 日常生活で、嘘をつくことが犯罪になったらどうだろうか? 愛国心(そんなものは定義によるが)の無いことが犯罪になるとしたらどうだろうか? それは、人間的自由、人間的自然、あるいは<生>の否定である。


浅薄に相対論を批判するのではなく、浅薄な相対論を批判するべきなのだ。私たちは、<絶対的な善悪>など存在しないことを知りながら<善悪>を問う。それは、矛盾ではない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る