第25話 マロンの誘い

「何だ? ルイスよだれでも垂らしたのか?」


 ルイスが自分の濡れた枕を見ていると、後から起きたアランがルイスの枕が濡れていることに気が付き茶化すように言った。


「すまん、余計なことを言った」


 アランは冗談のつもりで言ったが、一緒に過ごしているのは数日ではあるが、今まで見たことのない暗い顔をルイスがしているのに気が付き謝った。


「亡くなった母の夢を見てね」

「そうか・・・」


 ルイスの言葉を聞いたアランは、それがよだれではなく涙だと知り、触れてはいけないものに手を出してしまったことに気がついた。そしてルイスに気を遣ってかアランはそれ以降言葉を発さなかった。


「気を遣わせてごめん。母が亡くなったのは僕が小さな頃で、随分昔の話だからもう大丈夫だよ」


 ルイスはそっとアランに語りかけた。


「次からは言葉に気をつける。よし、気持ちを切り替えて朝食に行くか」

「ああ」


 気持ちを切り替えたアランはルイスを朝食に誘い、お互い余り言葉は発さなかったが、一緒に食事の時間を過ごした。



「じゃあ、俺は仕事探しに行ってくるよ」

「どこか良い働き口が見つかることを祈っているよ」


 食事を終えてから部屋に戻り、出掛ける仕度を調え、アランが先に部屋を出て行った。


「じゃあ、私も行こうかなっと、その前に」


 朝からいろいろあったので、まだ朝の日課を行っていなかった。ルイスは2階のトイレに移動した。


「やっぱり奇麗じゃないと落ち着かないんだよねぇ」


 誰もトイレにいないことを確認したルイスは、洗浄魔法を使い、朝の日課として行っているトイレ洗浄を行った。


「よし、奇麗になったし、臭いも大丈夫だ。これで安心して用が足せる」


 ルイスは個室に籠もり、昨夜から朝まで溜め込んだものを放出することにした。


「出す物は出したし、仕事に行くか」


 スッキリしたルイスは、バイト先に向かって移動することにした。




「おはようございます。アップルさん」

「おはよ。チェリー」


 ヤオイオアシスの裏口から入ると、ちょうどアップルがいて挨拶を交わした。


「おはよう。マロン」

「おっ、おはよう」


 続いてルイスはマロンを見かけたので声を掛けた。無視されるか暴言を吐いてくるかもと構えていたが、ルイスの挨拶に対し普通の受け答えで返してきた。


「私のことなんて見ていないで、はっ、早く着替えてきなさいよ」

「わかった。それじゃまた後で」


 ハッとした表情をしたマロンは、ルイスを追い払うように更衣室に行くように急かした。


「衣装良し、ウィッグ良し、うん、今日も可愛い」


 ルイスは仕事着に着替えて、姿見鏡で自分の衣装に問題がないチェックをした。



「おう、みんな揃っているな。今日はワシからは特に言うことはない。みんな気合いを入れて仕事に励むように」


 スタッフルームに全員が揃うとオーナーからの話があった。だが、今日は特に連絡事項もなく、すぐに事務所の方に入ってしまった。


「そう言えばマロンは昨日の夜にステージに立ったんだよね? どうだった?」


 ルイスはマロンに声を掛けた。


「ん? そりゃ完璧なステージをしたに決まってる。ああん? もしかして私が何か失敗したと思って笑うネタでも探してるの? もっ、もしかしてそれを元に幼気な私をゆするつもりね?」


 少し気になってマロンに声を掛けたのだが、ルイスの思いとは異なり妙に噛みついてきた。


「そういうつもりで言ったんじゃないけど、気を害したのならゴメン」

「ふんっ」


 マロンは少し動揺した様子でスタッフルームから出て行った。


「チェリー、あなたは昨夜いなかったから知らないと思うけど、マロンは夜のステージでちょっと失敗しちゃってね」

「え?」


 アップルが、そっとルイスに語りかけた。


「夜のステージは夕食のピークが過ぎた頃に設定してあるのだけれど、あの子ちょっとお客さんと揉めてしまってね」




 前日の夜のステージの時間、マロンは1人で、ステージに上がり客と向き合っていた。


「お前ら、私の歌を聴けいっ!」

「は? それが客に向かって言う言葉か?」

「「そーだ、そーだ」」




 昨夜のステージでは全てを任せられたために、マロンは初めの挨拶も行ったのだが、余りにも高圧的であったために、客の反感を買ってしまい歌うどころではなかったそうだ。取っ組み合いの喧嘩になりかけたところを、スタッフ全員で止めに入ったそうだ。


「そんなことになっていたんだ。ちょっと僕、マロンのところに行ってくるよ」

「がんばってね」


 アップルはルイスがこの後、どのような行動に出るのかを予測して、暖かく見送った。



「マロン、昨日のことは聞いたよ」

「ふん、昼間は上手くいったから、夜もいけるだろうと思った私がバカだったよ。ふん、笑えば良いさ」

「ワハハハハ」


 マロンに笑えば良いと言われたので、ルイスは思いっきり笑った。


「ムキー! そこで笑うなんて信じられんわ」

「マロンはそうじゃないと。これくらい元気がなきゃね」

「くっ!」


 ルイスの行動に腹を立てたマロンは、ルイスに思いをぶつけたが、暖かく受け止められてしまい、マロンは悔しそうに下唇を噛んだ。


「また、一緒に歌おうよ。歌以外のところは僕が面倒見るからさ」

「言ったね。じゃあ面倒見て貰うわよ。私を思いっきり歌わせなさい」

「はいはい」


 ルイスは無意識のうちにマロンの頭を撫でていた。


「ところでさ」

「ん?」


 マロンは真っ赤な顔をしてルイスに話しかけた。


「ここって女子更衣室なんだけど」

「え? ああ」


 マロンが入った部屋は今までは更衣室であったが、ルイスが働き始めたために昨日からは女子更衣室と名前の変わった部屋であった。室内には洗濯された女性用の下着も干されていて、どうみても男性が足を踏み入れることが許される部屋ではなかった。最初マロンが何を言っているか理解できなかったが、良く考えてみると、ルイスは男性としてこの店で働いていたことを思い出した。女性用の服を着ていたこともあり、ルイスはその辺りの感情が欠如していた。


「もしかして、このまま鍵をかけられて、私はそのままあなたの慰み者に・・・」

「しない、しない。絶対にしないから。ごめん、お邪魔しましたぁ」


 急にお淑やかになったマロンは、演技なのか本気なのかわからないが、そんなことを口走った。それを聞いたルイスは慌てて女子更衣室から出て行った。



「・・・という訳で、午前と午後のステージを僕とマロンに担当させて貰えませんか?」


 ルイスはマロンに対して言った以上、最善を尽くすことにした。まずは指導担当のアップルに午前と午後のステージに立ちたいことを伝えた。


「そうね。私の一存では決められないから、チーフに聞いてくるよ。少し待っててね」


 アップルはルイスの申し出を聞き、実現可能か確認するため、パパイヤに尋ねに行った。


「チェリー、聞いてきたよ」

「それでどうでした?」


 アップルは意外と早く戻ってきた。ルイスは結果が気になり彼女に尋ねた。


「昨日のステージが良かったら、是非お願いだって」

「ありがとー。アップルさん」

「えっ? チェリーの方から来るなんて。う~ん。どさくさ紛れにハグハグしちゃう」


 嬉しさの余りルイスはアップルに抱きついてしまった。抱きつかれた彼女は、このチャンスを逃さないように、それ以上にルイスを抱きしめていた。



「・・・という訳で許可を貰ってきたよ」

「その・・・ありがとう」


 ルイスがマロンにステージに立つ許可をもらったことを話した。すると彼女はお礼を言うのが恥ずかしかったのか、体をモジモジさせながら、ルイスにお礼を言った。こうして本日の午前と午後のステージは、ルイスとマロンの2人が立ち、大盛況で終わることができた。


「チェリー、今日はありがとう。とても良いステージになったと思う」

「そうだね。お客さんの反応も良かったし、チーフからもまたお願いするわねって言われたね」


 午後のステージが終わったところでチーフから、2人のステージの評判が良く、また次回もやってほしいと言う話を貰った。だが、その話題を出すとマロンの顔が曇った。


「あんたは、歌える曲の数がハンパじゃなく多いから苦労しないだろうけど、私なんてそこまで歌を知らないから、これ以上の新曲を披露するのは難しいと思う。だから、あんた、私に歌を教えなさい。ちょうど明日は、私は仕事が休みだから付き合ってあげるわ。いいわね?」

「えっと、明日は学校があるんだけど?」

「あっ、そうだった。じ、じゃあ、学校が終わってからで良いわ。ちょうど私の家なら大きな声を出しても周りに迷惑がかからないわ。といっても私の家はわからないだろうから、・・・そうね。この店の前で待ち合わせをしましょう。待ってるからね。絶対来なさいよ」


 午前と午後は、2人で話し合った上で、すべて違う歌を披露した。だが、マロンはルイスと違い優秀な指導者もつかず、独学で歌を学んでいたために、披露できる曲の数がそう多くはなかった。それを補うために、歌のパートナーであるルイスの知識を活用することをマロンは考えた。歌のレッスンをするためと言う名目で、半ば強引にルイスはマロンに明日の予定を決められてしまった。結局、その後マロンに呼び出しがかかり、フロアに出てしまった為、ルイスは終業時間を迎えて寮に戻ったため、お互い会って返事をしないまま別れる形となってしまった。

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