第23話 アルバイト(その6)

 ルイスはマロンの方を向き、軽く頭を下げて合図を送った。それに応えるようにマロンも軽く頭を下げて2人は大きく息を吸った。


「♪~」


 最初の歌は子供でもよく知っている歌で、この店内では知らない者はいないほど有名な童謡であった。小さい頃より歌の教育を受けていたルイスにとっては、音程差も少なく歌いやすい曲であったため、お手本のような歌声を披露した。ルイスに合わせて歌っているマロンも、上手くルイスの歌声に乗せていた。


(マロンさん、なかなかやるね)

(変態のくせになかなか上手いじゃない)


 歌いながら2人はお互いのことを評価していた。聴いているお客さんや、始める前までは不安そうに見ていたメイド達も、芸術的な2人の歌声に聞き入っていた。ルイスはマロンと相談し、今回のステージは全部で5曲歌うことに決めていた。時間の都合で曲名だけ決めて、練習などは全く行っていなかった。それにも関わらず、長年一緒にやってきたかのような安心感と安定感で聴く者達を魅了していった。そして2曲目、3曲目と続き、あっと言う間に最後の5曲目になっていた。


「ではこれが最後の歌になります。聴いてください」


 ルイスが皆にこれが最後の歌だと伝えた。


「♪~」


 これも大人なら多くの人が知っている曲である。ゆっくりとしたテンポでルイスが歌い出した。だが、マロンは口を閉じたまま一緒に歌わなかった。


「「?」」


 先ほどまで綺麗な歌声を披露していたマロンが、急に歌わなかったことに会場内にいた人達は不思議に思った。


「♪~↑」

「♪~↓」


 曲が進んだところでマロンの口が開き、ルイスは上のパートを歌い、マロンは下のパートを歌い出した。見事に揃ったハーモニーで店内で聴いていた全員が心を打たれた。そして後半は難易度の高い超高音パートがあり、2人は声を合わせてそれを歌いきった。


 パチパチパチパチ


 会場内は拍手の渦に包まれた。客だけではなく、アップルやパパイヤを始めとしたメイド達も感動の涙を流しながら手を叩いていた。


「「ありがとうございました」」


 ルイスとマロンの2人はそう言って頭を下げ、ステージから降りた。そしてスタッフルームに戻るまでの間、拍手が鳴り止まなかった。


「すごい、すごいわ。チェリー、マロン。歌で涙が出るなんて初めての経験だわ」


 ルイスとマロンがスタッフルームに戻ると、程なくしてアップルとパパイヤが入ってきた。感動の涙を手で拭いながらアップルは言った。


「まさかマロンに歌の才能があったなんて驚いたわ。私達ではあのような歌は幾ら頑張っても歌えないわ」


 パパイヤもふだんマロンに対して怒ることが多いが、今回は珍しく褒めていた。


「まあそれはそれで置いておいて・・・マロン」

「ひゃい」


 先ほどまではベタ褒めだったパパイヤであったが、突然顔色が変わり、それに気が付いたマロンは体をビクンとさせた。


「あなた。私に内緒でステージに立ったのは許されることじゃないわ。あなたには罰を与えなければなりません」

「ううっ」


 最終的にはルイスも同意してステージに立ったのだが、指導担当のパパイヤとアップルにはそのことを告げていなかった。それに対しての叱責のようだ。やったことは事実なので、マロンもそれを受け入れる覚悟はできていたようだ。


「夜のステージはあなた1人で立ちなさい。良い? わかったわね」

「はいっ!」


 パパイヤの指示を聞いたマロンの表情がパッと明るくなり、嬉しそうな表情で返事をした。


「へぇ、マロンってあんなふうに笑うんだ」


 笑顔になったマロンの顔を見ていたルイスは、ふだんとは違う表情に驚いていた。


「マロンのことは決着がついたようね。そ・れ・で、チェリーちゃん」

「ひゃい!」


 アップルから1人でステージに立つように言われていたのにも関わらず、結果的に勝手にマロンと2人でステージに立ったので当然ルイスの方にも何かしらのペナルティーが科せられる。ルイスはそれを覚悟した。


「もう、私感動しちゃった。あーこの気持ちをどう表現して良いのかわからないわ」

「ちょっ、アップルさん、苦しいって。ウィッグが取れる、取れるって」


 アップルは今の感情を表現するため、ルイスを抱き寄せて、顔を自分の胸に埋めた。彼女の力は意外と強く、ルイスの力では抵抗することもできなかった。アップルが気が済むまで、ルイスは抱かれ続けた。



「ふ~っ。チェリーって柔らかいんだね。凄く抱き心地良かった」


 しばらくしてから満足したのか、アップルはようやくルイスを解放した。彼女はとても満足そうな顔をしていた。


「で、何の話をしていたんだっけ?」


 満足感からか、アップルはルイスに罰を与えるのを忘れてしまったようだ。


「まあ、いっか。それじゃチェリー、出番が来るまで待機・・・って思ったけど、そろそろ上がりの時間じゃない?」

「ちょっと確認してみます。えっと、あと1時間程度ですね」


 ルイスはこの店で働くことになったが、フルタイムという訳ではなく、学校が休みのときは開店から夕方まで、平日は学校が終わってから夕食前の僅かな時間が勤務時間となっている。出勤に関しては任意で、休日は予定が空いていれば出勤、平日は学業に支障がない範囲で可能ならば出勤しても良いという、かなり緩い条件となっていた。



「そろそろ時間ね。チェリー、もう上がって良いわよ。また明日もよろしくね」

「はい。ではお先に失礼します」


 それから時間まで1組ほど客の相手をした後、ルイスは仕事を終え、自分専用の倉庫兼更衣室に向かった。


「オーナー、お先に失礼します」

「今日は大活躍だったじゃないか。また明日も頼むよ。お疲れさん」


 ルイスは着替えが終わり店を出る前に、一言オーナーに挨拶をしようと思い、事務所に顔を出した。そこではオーナーが、書類に向き合って作業をしていた。ルイスが入ってきたのに気が付くと、書類から目を離して顔を上げてルイスを労った。



「いろいろとあったけど、今日は楽しかったな」


 裏口から店を出て、表通りに回り、改めて店の佇まいを見ながら、今日あったことを思い出しながらルイスは呟いた。




 一方その頃。


「おい、気をつけろ。奴はストーンラビットだ」

「なっ、何故こんな危ない魔物がダンジョンの浅いところで出てくるんだ」


 とある冒険者のパーティーはダンジョンの浅い部分で魔物狩りに勤しんでいた。4人の男達は剣を振るい、次々に魔物を倒し、倒したときに現れる魔石やお金になりそうな部位を集めていた。そこに灰色をしたウサギがひょっこりと現れた。大きさは普通のウサギ程度なのだが、この魔物には厄介な特殊能力があった。


「石化光線が来るぞ! みんな気をつけろ!」


 リーダー格の男がパーティーメンバーに対し注意を促した。石化光線というのは、このストーンラビットの目から光線が放たれ、それを浴びたものは石化してしまうと言う厄介なものであった。このダンジョンの深いところでは存在を確認されている魔物ではあるが、この冒険者達がいる場所はダンジョンの浅い部分で経験の浅い冒険者でもパーティーを組めば何とか狩りのできる。そのような場所に上級ランクの冒険者が相手にするような強力な魔物が出現した場合、どのような惨状になるか容易に想像できる。


「うわぁ。盾がっ、くそっ重くて持てない」


 ストーンラビットから赤い光線が放たれ、1人の冒険者に命中した。幸いなことに彼が持っていた盾に命中し、石化したのはその盾だけだったが、石化によって重量が増え、手に持つことができなくなり、破棄するしかなかった。


「もう逃げるしかない。退却だ! 退却」


 リーダーは戦闘の継続は無理と判断し、退却を判断した。


「おい、待ってくれ! うわぁ」


 だが1人の男が逃げ出すときに石につまずき転んだ。他の3人も助けたい気持ちもあったが、自分まで巻き込まれるのを恐れて逃げ出してしまった。


「くっ、来るな! ひっ!」


 取り残された男は恐怖でなかなか起き上がることができず、体を引きずりながら後退するしかなかった。そのような速度では簡単追いつかれ、気が付けばすぐそこまでストーンラビットが迫っていた。


「こっ、こいつ、俺のことを・・・」


 ストーンラビットは恐怖する男の表情を楽しんでいるかのように、石化光線は打たず、じりじりと距離を詰めてきた。


「ここまでか・・・。こうなるんだったら、無理を言ってでもあの緑髪のメイドさんとVIPルームで楽しい時間を過ごしておけば良かったな」


 午前中に訪れたヤオイオアシスで、担当をしてくれた緑髪の綺麗なメイドさんの顔を思い浮かべながら彼は自分の死期を悟った。そしてストーンラビットから石化光線が放たれ、彼はそれを浴びてしまった。


「あれ?」


 ストーンラビットの石化光線を受けたにも関わらず、冒険者の男の体は石化せず、自分の意思で動かすことができた。装備している革の鎧は所々石化していたが、使用には全く問題がない状態であった。


「?」


 ストーンラビットは何度も石化光線を放ったが、この男には効果がなかった。


「効かないとわかればこっちのもんだ。うりゃっ!」

「ピキ――ッ!」


 男が剣を振りかざし、それがストーンラビットに命中し、断末魔を上げた後、息絶えた。


「かっ、勝ったのか」


 ストーンラビット自体は石化光線を除くと野ウサギ程度なので、初級の冒険者でも討伐可能だ。だが、その厄介な特技からモンスターのランクとしては上位のものに分類されている。上級冒険者なら1撃目の石化光線を何か囮になるものを投げて逸らし、その隙に討伐するのが基本となるが、それは連携の取れたパーティーや上級冒険者の話である。今回のような普通のパーティーでは、仮に1撃目をそらすことができても、すぐに次の石化光線が来るのでその時点で終わってしまう。危機が去ったことで男はホッとした表情を浮かべてその場に座り込んだ。


「これを持って行けば今夜は美味しいものが食べられそうだ。そうだ、まだヤオイオアシスは開いているかな? もう1度あの店に行こう」


 彼はストーンラビットの魔石と、お金になりそうな部位をダンジョンから持ち帰り、冒険者ギルドに提出した。すると担当した受付嬢のミアは驚いた表情をして対応をした。その男はストーンラビットを1人で討伐したことで一躍有名人になった。そして受け取った報奨金を手にヤオイオアシスに向かった。



「ああん? 何しに来やがったんですか? このクソ御主人様」


 そして、彼は気分良く入店したのだが、担当したのはマロンで、その冷たい対応で精神的に疲れ、店を出た後、そのまま酒場に行き飲み直した。

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